スージー鈴木『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』(ブックマン社):PR

23歳QJ編集部員がスージー鈴木に聞いた“クリスタル”じゃない80年代前夜のリアル(小説『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』刊行記念)

2024.3.14

文・編集=脇 みゆう 編集=森田真規


1980年代。それは、この国にお金があって、東京の若者たちはキラキラとした都市生活を送っていた時代。音楽ではシティポップが流行し、お笑いでは漫才ブームがやってきて、人々は何ひとつ不安を感じることなく、豊かに暮らしていた時代──。

でも本当に、それだけだったのだろうか。スージー鈴木は、そんな80年代(厳密には70年代後半から80年にかけて)をもう一度自分の言葉で語り直す必要があると感じ、小説『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』(ブックマン社)のため筆を執ったという。

本稿では、80年代にリアリティがまったくないのに、昨年出会った『なんとなく、クリスタル』(田中康夫/河出書房新社/1980年)にハマり、すでに5周は読んでいる23歳のQJ編集部員が、2024年2月に刊行されたこの本を執筆するに至った経緯や当時の空気など素朴に浮かんだ疑問の数々を、著者であるスージー鈴木に聞いた。

スージー鈴木(撮影=高岡 弘)
スージー鈴木(撮影=高岡弘)

スージー鈴木
(すーじー・すずき)1966年生まれ、大阪府東大阪市出身。作家、音楽評論家、ラジオDJ。早稲田大学政治経済学部卒業。著書に『恋するラジオ』(ブックマン社)、『中森明菜の音楽1982-1991』(辰巳出版)、『幸福な退職』『桑田佳祐論』『サザンオールスターズ1978-1985』(いずれも新潮新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)など多数

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1979年と1980年

『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』の舞台は、1970年代後半から1980年にかけての東大阪。1978年に小学6年生だった、ひとりの少年が主人公として描かれる。「八神純子/想い出のスクリーン」「西城秀樹/ラスト・シーン」「RCサクセション/雨あがりの夜空に」など、当時の流行歌が章タイトルとして用いられ、全12曲(章)のプレイリストのように物語は進んでいく。

スージー 音楽でいうと1970年代後半は、日本人の若者による自作自演の楽曲がメジャーになってきたころです。この本では「ニューミュージック」と呼んでいますが、アリスとか中島みゆき、渡辺真知子も自作自演ですね。そういうところから、1980年になるとパキッと髪の毛も短くなって、RCサクセションが出てきたり、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)が出てきたりする。重かった70年代の空気がすごく軽快になって、79年までと80年では、ガラッと変わった感じがしましたね。

スージー ビートルズというバンドがあったんですが(笑)、簡単にいうとビートルズが世界の音楽シーンを変えたんです。彼らがやったことっていうのは、自分たちで曲を作って、自分たちで演奏して、自分たちで歌うということ。今だと普通の話なんですが、これはビートルズによって世界中に広まったことだといえます。

そして、そんなビートルズを見た当時の若者たち(いわゆる団塊の世代)が、俺らもやってみようじゃないかと。そういう人たちが日本でガッと出てきたのが70年代後半です。それを当時、新しい音楽、「ニューミュージック」と呼んでいました。吉田拓郎とか井上陽水から始まって、あとは中島みゆきとかユーミン(荒井由実/松任谷由実)とかですよね。

スージー そうですね。歌謡曲という、芸能界的で、巨大事務所的なものに対する新しい勢力として、ニューミュージックがありました。だから、歌謡曲よりも新しい、若者の音楽っていう感じでしたね。

歌謡曲は「商品」といいますか……プロが作ってるから当然なんですが、きらびやかな衣装で、髪の毛もちゃんと整えられて、歌番組で歌うプロの方々というイメージ。一方でニューミュージックは、もう少し素人っぽくって、アマチュアっぽい。 かつ、自分たちの言葉で歌詞を書いているから、若者のハートにビビッとくるものがありましたね。

あのねのねとせんだみつお

第10章では、70年代後半の演芸シーンについても触れられ、主人公は「あのねのね」というフォークデュオに心を動かされる。彼らは音楽だけなく、お笑い要素も併せ持っていたという。スージー氏に、当時の演芸事情について聞いてみた。

スージー 今、1980年代の音楽とか文化が好きな若者っていうのはわりと多くて、音楽でいえばシティポップ、あとはやっぱり漫才ブーム、ツービートとかの話ですね。そのあたりはよく語られると思うのですが、1980年以降の歴史をたどる若者に伝えたいのは、その前の1970年代後半に、あのねのね、せんだみつお、笑福亭鶴光といった人たちがいて、もっとナンセンスで、エロで、 おしゃれでもなんでもない、すごくベタな匂いがするお笑いの大ブームがあったということです。

細かい話になりますが、当時のフォークソングにはお笑いの要素があったんですよ。 さだまさしは今でもその典型ですけど、松山千春も谷村新司も、ものすごくMCがおもしろくて。 歌だけじゃなくて、楽しい話もするっていう文化があって、そのお笑いの部分っていうのを強調したのが、あのねのねです。

シティポップのブームを代表する竹内まりやとか松原みきの「真夜中のドア〜Stay With Me」とかを聴いていると、80年代の音楽は全部おしゃれで都会的で、無味無臭なものだと思えてしまう。南青山でシュッと外車乗って、カクテル飲むみたいな(笑)。そんな人がいなかったわけではないと思うのですが、それ以外のもっとダサい、ドロドロした、“クリスタル”じゃない文化というものがあったんです。

あのねのねやせんだみつおに大笑いしてニューミュージックを聴く、髪の毛の長い若者がいたんですけど、そういうことがほとんど顧みられることがなくて、80年代は全部「YMO以降、ツービート以降」になっている。これは一種の歴史の改ざんなので、ぜひ『クイック・ジャパン ウェブ』でせんだみつおを特集していただければと思います(笑)。

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物書きとしての責任

そもそもどうして、この時代、このテーマで小説を書こうと思ったのか。そこには、スージー氏の強い想いと確固たるモチベーションが隠されていた。

取材中、23歳のQJ編集部スタッフの話にも丁寧に答えてくれたスージー氏(撮影=高岡 弘)
取材中、23歳のQJ編集部スタッフの話にも丁寧に答えてくれたスージー氏(撮影=高岡弘)

スージー 母親が亡くなったことで募った、母親に対する想いという個人的な話があるんですけど、 書こうと思ったいくつかの理由のひとつには、さっき半分冗談っぽく言った、70年代後半から80年の時代のリアルな空気があまり顧みられてないということがあります。

「80年代が日本全体がシティポップに覆われていた時代だった」と思われ始め、ニューミュージックという言葉が死語になって、あれだけ当時新しかったニューミュージックを誰も語らないな、と感じているところがありました。特に東京じゃなくて大阪の、それも大阪の中でも下町の、ちっともシティじゃない街のことを書きたい気分があったことも、 この本に対するひとつのモチベーションになっています。

あとやっぱり、戦争が終わって30数年しか経ってなくて、まだまだ貧しくて、「東京よりも」ってあえて言いますけど、強烈な差別とか貧困が大阪にはかなり残ってたはずなんです。こういうことを書くのも、還暦近くになった大人の、ひとつの責任なのかなと思っています。

スージー この本の冒頭に小さい字で書いたんですけど、差別の話もあえて、当時の言葉で書いているという註釈を載せました。特に「飛んでイスタンブール」の章で書いた地域差別の話は、もう誰も書いたりとかしゃべったりしない。この本ではそれを「ウォッシング」というふうに書いたんですけど、歴史上でなかったことにするっていう時代の空気がたしかにあって。

別に昔のことを掘り返さなくても……と思いつつ、ウォッシングばかりしていると、問題の根本解決にならない。あったことをなかったことにするっていうのは、やっぱり書き手として、自分の時代に責任持ってないことになるんじゃないかなと。それでも、正直ウォッシングした部分はあるんですけど、こういうことを誰かが語っておくことが必要なんじゃないのかなと思っています。

もうひとつ、本の冒頭に「我が母と、さばのゆ須田泰成さんと、栗林書房レッド小阪店に捧ぐ」と書いています。私と同じ東大阪出身で、同じ高校の1年下で、「さばのゆ」という不思議な飲み屋を経営していた須田泰成くんが、昨年末に突然亡くなったんです。あと、この本では「中林書房」としていて、実際には「栗林書房」という本屋が東大阪にあるんですけど、そこのレッド小阪店という私の行きつけだった店も、この1月になくなってしまったんです(別店舗で営業中)。

何が言いたいかというと、物事は黙っているとそのまま消えていく。そして人は死んでいくということ。それで、まだ手が動いてしゃべれるうちに、1980年前後の東大阪のリアルを書き残したいと思ったんです。当時のことを書けるのは、 私以外にはいないかなって思いも、正直ありましたね。

同世代を喚起したい

スージー氏は自身が出演するテレビやラジオで、80年代の輝かしい一面を語ることを求められ、それに何度も応じてきた。しかし、その都度何か語り足りていない部分を感じていたようだ。

若い人にも読んでほしいと言いつつ、本書に込めた同世代への思いについて明かしてくれた(撮影=高岡 弘)
若い人にも読んでほしいと言いつつ、本書に込めた同世代への思いについて明かしてくれた(撮影=高岡弘)

スージー 若者というのも当然ありますけど、もう少し意識したのは、ザ・ブルーハーツを大学時代に聴いていたような連中です。もうすぐ60を迎えようとしている連中に対して、こういうことを語りかけるのに早いってこともないんじゃないかと思ったんですね。

我々の世代は、やっぱりいい時代に生まれた気がするんです。これは若い世代の方にはちょっと耳障りの悪い話になるかもしれませんけど、大学時代にいわゆるバブル景気があって、売り手市場の中で就職活動して、1990年に新卒で会社に入ったんです。つまり、「失われた30年」のちょっと前に青春時代を過ごしていた。

でも当然、その時代にも暗黒な部分はあったと思うんです。だから、我々の世代が経験してきたことを次の世代にちゃんと伝えることを、もっとやってもいいんじゃないかなっていう気持ちがありますね。

これまでマニアックといわれる音楽の本ばかり書いてきて、ラジオでもそんなことばかりしゃべってきました。そんなスーパーノンポリの、時代の軽薄な部分しか語ってこなかった男が、貧困とか差別とか語り始めたぞって気づいてもらいたい。そういうことが必要な時代になってきているのかなと、そんなふうに同世代を喚起することができれば最高ですね。

最後に、『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』の編集を担当した小宮亜里氏から読者に向けて、次のようなコメントを寄せてもらった。

小宮 この本は短編集なので、好きな音楽の章から読んでいただくのもありだと思うんですけど、ほかの章を読んでから最終章を読んだとき、全然違う読後感になるんじゃないかなと思っています。最終章で出てくるお母さんのセリフがとても重くて、このセリフによってひとつの世界観が完結していると思いますので、ぜひ最終章まで読んでほしい、というのが担当編集としての願いです。

『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』

『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』スージー鈴木、ブックマン社、2024年2月1日発売

著者:スージー鈴木
発売:2024年2月1日
定価:1,600円(税込)
ページ数:256ページ
判型:四六判
発行:ブックマン社

■目次
イントロダクション
第一章 八神純子/想い出のスクリーン
第二章 西城秀樹/ラスト・シーン
第三章 庄野真代/飛んでイスタンブール
第四章 原田真二/タイム・トラベル
第五章 堀内孝雄/君のひとみは10000ボルト
第六章 渡辺真知子/ブルー
第七章 浜田省吾/風を感じてEasy to be happy
第八章 久保田早紀/異邦人 シルクロードのテーマ
第九章 渡辺真知子/唇よ、熱く君を語れ
第十章 RCサクセション/雨あがりの夜空に
第十一章 ジョン・レノン、ヨーコ・オノ/スターティング・オーヴァー
最終章 THE BLUE HEARTS/TRAIN-TRAIN

スージー鈴木(撮影=高岡 弘)
スージー鈴木(撮影=高岡弘)
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脇 みゆう

(わき・みゆう)2000年生まれ。ZINE作家。QJ編集部。

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