『つながりを、取り戻す。』(ブックマン社):PR

“アディクション”から抜け出すための読む処方箋。『つながりを、取り戻す。』が解き明かした依存症を克服する方法

2024.1.31
“アディクション“から抜け出すための読む処方箋。『つながりを、取り戻す。』が解き明かした依存症を克服する方法

文=折田侑駿 編集=森田真規


「これは副作用ゼロの言葉の治療薬」

帯に記された一文が目を引く『つながりを、取り戻す。』(ブックマン社)は、あらゆる“依存症“に悩む現代人にとって必読の一冊だ。

幼少期にアルコール依存症の母から性被害を受け、やがて自身もアルコール依存症になってしまい、さまざまな“つながり”によって病気を克服した福岡雅樹氏。そんな福岡氏と、さまざまな依存症治療に携わるソーシャルワーカーの斉藤章佳氏、依存症の回復を模索し続ける医師の竹内達夫氏の鼎談によって構成されたのが『つながりを、取り戻す。』である。

“依存症”に陥ってしまうのは“自業自得”でも“自己責任”でもない、と本書では主張している。

アディクション(依存症)からコネクション(つながり)へ──。

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生きづらさの根本にあるもの

人は何かしらとの出会いによって、人生が変わることがある。好転することがあれば、それまで以上に悪い方向へと進んでいくこともある。これは言い換えれば、何かしらとの出会いによって、“人生が変わってしまう”ということでもある。

この“何かしら”とは、「人」であることもあれば、「アルコールや薬物」や「ギャンブル」だったりもする。何事も適切な距離を保って付き合うことができなければ、それはやがて「依存症」へと発展しかねない。「依存症」とは、ある物質や行為や関係によってなんらかの損失が生じているにもかかわらずそれがやめられない状態のことだ。

このことを考えるにあたって、最良の一冊がある。アルコール依存症から回復し続けている福岡雅樹氏、さまざまな依存症治療に携わるソーシャルワーカーの斉藤章佳氏、依存症の回復を模索し続ける医師の竹内達夫氏の鼎談からなる『つながりを、取り戻す。』だ。

本書は、アルコール依存症であった母親から幼少期に性被害を受け、やがて自身もこの病に陥ってしまった福岡氏の“これまで”と“現在”が、3者それぞれの立場から語られているもの。福岡氏の「主観」と斉藤氏と竹内氏の「客観」を往還しながら読み進めていくうち、「依存症」の正体やそれにまつわる諸問題が見えてくる。

本書を手に、福岡氏と斉藤氏のふたりに話を聞いた。

福岡雅樹
福岡雅樹(ふくおか・まさき)1977年生まれ、新宿区出身。SOBER ARTIST「HEIGHTS33」主宰
https://bento.me/heights33
斉藤章佳
斉藤章佳(さいとう・あきよし)1979年生まれ、滋賀県出身。精神保健福祉士、社会福祉士。大船榎本クリニック精神保健福祉部長。大学卒業後、アジア最大規模といわれる依存症施設「榎本クリニック」でソーシャルワーカーとして約20年にわたって、アルコール依存症を中心にギャンブル・薬物・性犯罪・児童虐待・DV・クレプトマニアなどさまざまなアディクション問題に携わる

斉藤 福岡さんがどんな方なのかは事前にお聞きしていました。過去に性被害に遭ったこと、お酒や薬物の依存症になってしまったこと、そして現在はプログラムに沿ってシラフの生活をされているということをです。

私はこの仕事を始めて20年以上になるのですが、アディクション(依存症)の臨床をしていると、初診のときには口にしなかった、過去の家庭内での性被害の話があとから出てくることが少なくありません。自助グループ内のほかの参加者の体験を聞いているうちに、実は自分も被害に遭っていたのだと気がつく方もいるんです。

いろいろな生きづらさの根本に、家庭内での性被害があったりするわけです。「なぜ私は依存症になったのか?」という理由の最も深いところにこれがある。このパンドラの箱が開いた瞬間に、その人の問題が一気に見えてきたりもします。こういった認識を持ちながら、福岡さんとお会いしましたね。

福岡 あの鼎談時には編集長(『つながりを、取り戻す。』編集担当・小宮亜里氏)の計らいで、テレビカメラを入れていただいていましたよね。僕としてはありのままを話すだけなので、そんなに緊張しているわけではありませんでした。

とはいえ、ちょっと感じたことのない独特な空気が漂っていたのは事実。そんなところ、斉藤さんは職業柄なのか、一瞬にして僕の気持ちを包んでくださったんですよ。表情や声、話し方などのすべてに優しさがにじみ出ていて、リラックスしたままあの1日を過ごすことができました。

それは今この瞬間もそうですね。僕にとってはファーストインプレッションがすごく大切なんです。あの日の僕は本当にいろんなことを話しましたが、とてもいい時間でした。

依存症とは何か?

改めて、「依存症」とはなんなのだろうか。

この社会で生きていくためには、何かに頼らずにはいられないのが正直なところ。私にもいろいろな“心の拠りどころ”がある。そのうちのひとつが「アルコール」だ。

お酒を飲むのは愉しい。しかし、私も飲酒量が度を超えがちだ。どれだけ気をつけていようとも、つい飲み過ぎて失敗してしまうことが少なくない。こんなことを繰り返していては心身によくないとわかりながらも、やはりやめられない。これは果たして、“心の拠りどころ”だといえるのだろうか。

『つながりを、取り戻す。』を読んだ今、考え方が変わりつつある。

斉藤 「人はなぜ依存症になるのか?」という大きなテーマがありますよね。かつては“正の強化”が原因で依存症になるといわれていました。快楽物質を求め、やがてやめられなくなり、人は依存症になるのだと。だから意志の弱い人がなるものだという話になりがちです。でも、心理学者のエドワード・J・カンツィアンが提唱した「自己治療仮説」では、“負の強化”が重要なのではないかと言っています。

私たちは日々、さまざまな苦痛を感じていますよね。アルコールや薬物などの人間が耽溺するものって、このような苦痛を一時的に緩和してくれるんです。つまりは鎮痛作用。人は快楽ではなく、苦痛の緩和のほうがハマりやすいのではないのか。こういった仮説が立ち上がりました。

よくよく考えてみればそのとおりですよね。ハードなものを取り入れ続けていたら体が持たないし、一時的に苦痛を遠ざけてくれるもののほうがいい。これが非常に大きな発見でした。人間はどうしても“正の強化”の認識が強いので、周囲からは「約束を破られた」「だらしない」となりがち。でも“負の強化”の視点が入ることで、飲みすぎてしまった人の背景にどんな苦痛があったのか、その痛みの理解につながる。

なぜ、この人は飲まなければならないのか。他者の痛みや弱さへの理解につながる考え方なんです。なので依存症の本質は、実は快楽ではなく苦痛なのではないかというのが、今では一番支持されている考え方です。

福岡 幼いころに何に依存していたか明確には覚えていませんが、体質的に依存しやすい状態に常にあった気がしています。

この原因がどこにあるのかを探るため、認知行動療法を教わりました。でも最初のうちは認知行動療法だけだと、理屈ではわかっていてもちゃんと入ってこないんですよ。なぜ認知行動療法が必要なのかを学ぶとき、必然的に過去や幼少期にまで遡らなければならない。これを自分なりに学習して理解し始めたころから、依存症がどういうものなのかようやくわかってきましたし、自分が依存症体質なのだということまでわかってきました。

多くの人にとって過去を振り返ることはとても苦しい行為です。でも僕は自分の経験を赤裸々におもしろおかしく語ったことが、依存症回復への第一歩になった。幼少期の性被害のこともそうで、他者から「それは性被害だ」と言われるまで、そのような認識はなかったんです。こういうことが僕たちにはよくあって、これらを自ら掘り下げていくことが依存症の認識と回復につながっていくんです。

斉藤 私が入職した当時は、「三度の飯よりミーティング」と言われていました。「朝、昼、晩、徹底的に自分と向き合いなさい」と。とにかく自助グループに行くこと、ミーティングに出ること、それだけが正しいという時代だったんです。

でも、依存症の治療は簡単には定着しません。こちらとしては酒をやめてほしいけれど、患者さんは酒を飲みたいわけですからね。そんな時代に「底つき」という言葉がありました。これはつまり、依存症当事者が生きるか死ぬかの極限的な状況に直面して、どん底から這い上がる経験をしない限り回復はしないということ。なので、まずは底をついてもらうしかないので放置する。すると依存症はコントロール障害なので、自滅するわけです。

これが見直されたのが、10年ほど前のこと。アメリカから認知行動療法が入ってきたんです。これによって具体的な「やめ方」がわかるようになった。「とにかく自助グループ!」ではなく、まずは勉強するところから始めるんです。

患者さん側の「底つき」に問題を矮小化させて、スタッフ側の関わりを否認するため、いわば暴力的にこの言葉が使われてきた歴史がある。症状には段階があります。だからこそ、治療にも段階を作ることが必要なんです。

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アディクションからコネクションへ

「依存症」から抜け出すためにはどうすればいいのだろうか。そこで重要となるのが、本書のタイトルにもある「つながり」だ。

人はひとりでは生きていけない。他者が存在する社会と関係し合いながら、私たちは生きていかなければならない。どうすれば依存することなく、他者と、そして社会とつながっていけるのだろうか──。

斉藤 「アディクション(依存症)」の反対が「コネクション(つながり)」だと言われるようになったのが2015年のこと。私はなぜ人々が「AA(「アルコホーリクス・アノニマス」の略。お酒をやめる人々のための自助グループ)」に行ったら酒が止まるのか、非常に不思議でした。

我々の医療をもってしても酒をやめられない人が、なぜ自助グループに行ったら酒が止まるのか。これが謎で、1年目には100カ所以上の「AA」に足を運んだんです。この目で確かめる必要があると。そこでは私も、自分の話をせざるを得ません。

やがて感じたのが、自助グループの温かさです。ある日の「AA」の帰りの道中、胸の真ん中あたりに温かいものが残っている感覚がありました。しかもこれがなかなか消えない。そこで気がつきました。当事者の方々は、ここにある穴を酒で埋めていたのだと。

この温かさはずっとは続きません。だからまた通う。「コネクション」の本質は、この“温もり”なのだと思います。誰もが心の穴を持っていて、埋める作業を毎日やっている。依存症の人はこれを酒か薬物で埋めるけれど、自助グループでは他者との関わりの中で埋め方を学んでいくんです。

福岡 “負の強化”の話も“温もり”の話も、斉藤さんのお話にはハズレがありません。竹内先生もそうですが、こうして出会えたことに奇跡を感じています。これも「つながり」だなと。

たとえ“医者”という肩書があっても、芯を食っていない人の話って、僕の前ではすぐにメッキが剥がれます。ここまで苦しいとわかるんですよ。病院によっては待合室の雰囲気から「ダメだ」と察知することもあります。それくらい敏感に生きてますから。

僕がお酒をやめ続けることで一番意識しているのは、自分を大切にすることです。それまでは自分に目を向けたことがありませんでした。ほとんどの人間は大きな病気をすると、必然的に自分の心と体に向き合うことになると思います。これは「底つき」とも関係しているかもしれませんよね。僕の場合は周囲の人々の支えもあり、どうにか戻ってこられました。

「つながり」とは他者と持つ前に、まず自分自身と持つことが重要なのではないかと思います。「AA」のハンドブックには「自分なりに理解した神」というものが出てくるのですが、これを僕は自分なりの視座から見つけることができた。それは結局、自分の内側にあったものなので、やっぱり第一は自分自身なんです。

そいつとコネクトすることが「つながり」の始まりであり、すべて。これができれば、友人や家族、職場の人々とつながっていくことも、そんなに難しいものではないのではないか。

竹内先生は「回復は不平等」だと言っていました。僕はたまたまこうして、斉藤さんのお話を理解することができる。でも、依存症患者の全員がそうではありません。どれだけ柔らかく噛み砕いてお話ししてもらっても、伝わらない人には伝わらない。ここに依存症の複雑な問題があると思います。医療者側のお話は斉藤さんや竹内先生に任せて、僕は僕なりの言語で、少しでも病識を広めるような「つながり」を作っていければと考えています。

現在のふたりの「居場所」とは?

私たちが生きていくためには、「依存」することなく気持ちよくいられる「居場所」が必要だ。ふたりの発言の中にもたびたび登場する「AA」などの「自助グループ」が、まさにそうなのだろう。

『つながりを、取り戻す。』はアルコールに限らず依存症に苦しむ人々に広く読まれるものであり、潜在的な依存症の方にも気づきを与えるものだと思う。そして、本書が誰かの「居場所」にもなり得るのではないか。

福岡 依存症の治療では話すことが大切なのですが、「本」って語りの究極系なのかもしれませんよね。それが僕にもできた。関係者のみなさんには本当に感謝しています。

ただ、自分のすべてをさらけ出して、形にしました。全国の書店に並んでいろんな方が手に取ってくださるものなので、これから感じるストレスもあるはずです。依存症から回復した人間が本を出したら、何が起きて、どんな生き方になっていくのか。これまで以上に大きなフィールドでの実験のようになっています。

すでに完治という言葉を使っていますが、実際はまだ回復の途中。たどり着く先がどこなのかわからない。だから本を出せたからといっても居場所を見つけられたわけではなく、まだ探していますね。この社会に生きている「福岡雅樹」こそが居場所なのかも。

斉藤 「居場所」に関して、ひとつエピソードがあります。これは依存症ではなく、窃盗の累犯で繰り返し刑務所に入っているおじいさんの話です。

この方は人生のほとんどを刑務所で過ごしていますが、あるとき面会に行った際、「人が生きていく上で必要なものが3つある」という話をされました。ひとつは「居場所」です。でも、この社会にはもう彼の居場所はない。ふたつ目は「裏切っちゃいけない大切な人の存在」です。再犯を繰り返していくと、そういった存在はいなくなります。あともうひとつは「希望」だと言っていました。彼はもう高齢で、「シャバに希望はない」と口にしていました。

この3つが、人が生きていく上で必要だと。でもこの3つって、依存症の人に限らず、私たち誰もが本当に持っているでしょうか。

私の「居場所」の定義は、「家族にもできないような話を正直にできる場所」です。世界にひとつでもこういう場所がないと、生きることがしんどくなっていく。むしろこれさえあれば、なんとか生きていける。それが自助グループでもあるわけです。私も行き詰まったら「AA」に行きますからね。

福岡 僕は依存症で大変なことになるまで、自分軸で生きていませんでした。なので「居場所」を探すこと自体、よくわかっていなかった。どこに行けば心地いいのか。まったくわからなかった。

お酒をやめて、初めて自分と出会えた瞬間、「あ、ここでいいじゃん。いや、ここがいいじゃん」と思いました。「福岡雅樹が居場所」と言ったのは、そういうわけです。今、心地よくて仕方ないんです。

『つながりを、取り戻す。』

『つながりを、取り戻す。』

著者:福岡雅樹、斉藤章佳、竹内達夫
発売:2023年12月5日
定価:1,760円(税込)
ページ数:224ページ
判型:四六判
発行:ブックマン社

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折田侑駿

(おりた・ゆうしゅん)文筆家。1990年生まれ。主な守備範囲は、映画、演劇、俳優、文学、服飾、酒場など。映画の劇場パンフレットなどに多数寄稿。映画トーク番組『活弁シネマ倶楽部』ではMCを務めている。

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