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PSYCHIC FEVER剣、中西椋雅、半田龍臣の今につながるバイト経験と親の教え「武器になるものがないとやっていけない」

PSYCHIC FEVER

文=ふくだりょうこ 撮影=番正しおり 編集=梅山織愛


お笑い芸人、アーティスト、俳優など、話題のタレントに「仕事遍歴」を聞くインタビュー連載「求人ボックスpresents Echoes of Career~人気者の仕事遍歴~」

当時なぜその仕事を選び、それがその後の活躍にどうつながっているのか?をテーマに、現在の職業に至るまでの経歴を聞きながら、そこで得たこと、逆境の乗り越え方を紐解く。

今回登場するのは7人組ダンス&ボーカルグループのPSYCHIC FEVERの剣、中西椋雅、半田龍臣。国内外で活躍する彼らに、これまでのアルバイト経験やアーティストを志したきっかけを聞くと、その経験はたしかに今につながっていた。

グループ、個人としての新たな挑戦について語った【後編】はこちら

仕事を学んだ初めてのアルバイト経験

人生で初めての「仕事」の経験を教えてください。

僕はアルバイトの経験がないので、PSYCHIC FEVERでの活動が初めてのお仕事です。ずっとやってきたダンスやラップがお仕事になったのは、とてもありがたいな、と思っています。好きなことをやっているので、特別「お仕事をしている」という感覚は今でもないんですけど、応援してくださる方ができたことが一番大きいことですね。応援していただけるって当たり前のことじゃないな、って思います。

高校1年生のときにお弁当の工場で働いたのが初めてです。当時はとにかく時給が高いところ、あとは黙々と作業がしたい、ということで選びました。ひたすらお弁当のおかずを詰める作業ではあったんですけど、今考えると、自分たちが普段食べているお弁当が作られる過程を知ることができたので、印象には残っているかもしれないですね。

僕も高校生のときが初めてですね。カフェで働いていました。しんどかった思い出のほうが多いです!

たとえば……?

仕込みや接客などマニュアルがある部分はいいんですけど、常連のお客さんに「いつもので」とか言われたり、人によって出すタイミングもあったり。仕事しながらコミュニケーション取るのが難しいな、と思いました。しかも僕たちが提供している料理に対しての話だったらまだわかるんですけど、その人の生活の話なども、覚えないとダメなことも多かったですね。しかも高校生だったので、経験がなさすぎてちゃんと答えられず……。大人の日常生活をそこで学びました。

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剣(つるぎ)1997年4月9日生まれ、兵庫県出身

中西さんと剣さんはほかにどんなバイトをしてきたんですか。

お弁当工場のあとは、カフェで働きつつ、夜は鍋屋さんで働いて。上京してからは、夜は焼鳥屋、お昼は違う店舗の仕込み作業をやっていました。

働き者……!

小さいころからダンスしかやってこなかったので、いろんな仕事をしたかったですし、アルバイトをしていればいろんな人に出会えたので、時間があればとにかくアルバイトをしていましたね。

僕はカフェで数年働いたあとは、運搬するお菓子の詰め込み作業をしていました。夜12時から朝7時まで、でき上がったお菓子を各都道府県に向かうトラックにパレットでガンガン詰め込んでいくんです。カフェとは違って一緒に働いている人としか会わなかったんですけど、60歳ぐらいまで働ける職場だったのでいろんな年齢の方がいらっしゃって。聞く話がどれも武勇伝すぎておもしろかったです。

カフェもですけど、そういう裏方の仕事って気になりますよね。あと、椋雅くんのバイトの話は聞いたことがあったんですけど、剣くんの話はあまり聞いたことがなかったので聞けてよかったです。

ちなみに半田さんはもし、アルバイトをするとしたらどんな経験をしたいですか。

焼肉が好きなので焼肉屋でアルバイトしてみたかったですね。みんなで声出し合いながらやっているのがチーム力高そうですし、あと賄いもおいしいって聞いたことがあるので(笑)。

武器になるものがないとやっていけない、という教え

現在はPSYCHIC FEVERとして活躍されているみなさんですが、アーティストを志すきっかけはどういったことだったんですか?

僕はEXPGに入ってずっとダンサーになることを目標にしていたんですけど、高校生のときに初めて三代目 J SOUL BROTHERSさんのサポートダンサーをやらせていただいたんです。東京ドームでの公演だったんですけど、そのときに三代目さんがパフォーマンスしている姿や、来てくださっているお客さんの顔を見て「僕もこういうアーティストになりたいな」と思ったのがきっかけでした。

父がEXILEさんを昔から大好きで、その影響で僕も4歳からダンスを始めました。当時は本当に習い事感覚というか、ただダンスをするのが好きなだけでやっていたんですけど、小学3年生のころに大阪にEXPGができることを知って通い始めました。そのなかでEXILEさんのライブを生で観る機会があって、そのときに「自分もいつかアーティストになりたい」と思ったんです。そこからは本格的にダンスでアーティストになるんだ、と思ってやっていましたね。

ベースにダンスが好きだということがあったんですね。

入口はそうですね。同時にサッカーもやっていたんですけど、中学生になる前にダンスだけでいこう、と決心して。とにかく小さいころから踊るのが好きだったんだろうなとは思っています。

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中西椋雅(なかにし・りょうが)1998年6月8日生まれ、兵庫県出身

僕は兄も空手をしていましたし、家にも道場があるぐらい、空手一家で4歳からずっと空手をしていたんです。でも結果が出なくなり、やめたい、となったときに「何もしていない子はいらん」という(笑)。「何か武器になるものがないと人生、やっていけないよ」というのが両親の教えだったんですよ。

厳しいですね……!

そこでダンスを始めました。道具にお金がかからないので始めやすかったんです。父にも「EXILEさんかっこいいでしょ」って説得して。レベルがすごく高くて、芸能界へのチャンスがあるところのほうがいいということでEXPGに入ったのが始まりですね。いろんな人と巡り合って、ダンスの本当の楽しさを知って、ハマっていきました。

世界で活躍する3人の仕事のルール

今、お仕事をする上で、自分の中で決めているルールはありますか。

楽しくやること、ですね。好きなことを仕事にできていることが当たり前のことじゃないな、って年を重ねるたびに感じています。

つらいな、と思ったときに気持ちをプラスに持っていくコツがあるんですか?

それが……僕の場合はつらくなることがなくて。

素晴らしいね。

それがいいのか悪いのかわかんないんですけど、こういうタイプなので、つらくなったときが自分にとって成長するときなんだろうな、と感じています。それまではとりあえず楽しんで、チームの中で少しでも貢献できることを探していけたら、と思っています。

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半田龍臣(はんだ・りゅうしん)2001年12月1日生まれ、神奈川県出身

とにかく準備をすること。アルバイトをしていたころもそうですけど、働こうと思ったら面接があるわけで、それに対して準備をしないといけないとか、カフェでもオープンするとなれば仕込みがあったり、掃除をしたり、何もかも準備があるなと思っていて。

すべてに通ずることですね。

今もライブをするとなったらリハーサルやレコーディングがある。ひたすら準備をしてやっと本番を迎えるという喜びがあるからこそ、がんばれるわけで。何もせずにお仕事に取り組むことはあまりよくないなと思っていますね。まわりの方に迷惑をかけるときもあるでしょうし。

「ゲストになるな、ホストになれ」という言葉が好きなんです。ライブをするときは僕らは常にホストで、来てくださる方がゲストだと思うんですけど、アーティストとして生きているので、たとえば自分が食事に招かれたゲストだとしても、来ている方みんなを楽しませて幸せになって帰ってもらうということを常に考えています。

そういった意識はどこで培われたんでしょう?

EXILEのAKIRAさんとよく食事に行かせてもらうんですけど、すごくホストなんですよね。ふたりで行っても大声で笑えるようなことをしてくる姿を見て、「アーティストってこういうことだな」と思います。そういう人って立っているだけでもカッコイイんですよね。

がむしゃらにがんばるな

そんなみなさんから、お仕事にまつわる悩みを抱えている人たちにアドバイスをお願いします。

母によく言われたのが、「あんたよりもっとつらい人がいる」とか「元気に生きていることが当たり前じゃない」ということ。元気でいること自体がありがたいですし、やりたくないことも、やりたいこともできている事実自体が人によっては当たり前じゃないこともあると思うんです。いろいろ悩みがあると思うんですけど、自分よりももっと大変な人はいる、というモチベーションでやっていけば、一歩踏み出せる気もするんですよね。楽しいことのほうが少ないと思うんですけど、あきらめずに続ければ、絶対に悪くはないと思うので。友達や家族に連絡してみたりしながら、続けられればいいのかな、と思います。

やらないといけないことがあるけど、なかなか手がつけられない、やりたくないときに、遊んで楽しいことを取るよりも、やりがいを感じることを選んだほうが、自分のためにはなるんじゃないかなとは思います。自分も勉強とかめちゃくちゃできるタイプでもなく、ダンスばっかりしてきて、今があります。
でも、ダンスもただ楽しかっただけではなくて、しんどいこともたくさんありました。LDHに入るためにも、オーディションを受けたり、いろんなステージに出してもらったけど、なかなか夢がつかめなくて……。人生の中で、ある程度の挫折は味わったほうがよかったなと改めて思うので、みなさんに挫折を味わえ、という言い方はあれなんですけど(笑)、でもちょっとした悔しさや大変さを味わうからこそ、乗り越えたときの達成感や楽しみとか、楽しい以上に絶対感じるものがあります。そこを少し意識してもらうだけでも、もしかすると人生は変わるのかな、と思います。

今の職業に就いて思うのは、「がむしゃらにがんばるな、考えてがんばる」ですね。考えて努力したほうがいいなと思います。がむしゃらに120%で努力したとしても、それは努力にならないかもしれない、と自分が経験したので、「考えてがむしゃらに」がいいかもしれません。

PSYCHIC FEVER
グループ、個人としての新たな挑戦について語った【後編】はこちら

『PSYCHIC FILE III』
2025年6月18日(水)発売
収録曲※全形態共通収録:Reflection、Gelato、EVOLVE、PROMISE
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PSYCHIC FEVER

<「求人ボックスpresents Echoes of Career~人気者の仕事遍歴~」>
お笑い芸人、アーティスト、俳優など、話題のタレントに「仕事遍歴」を聞くインタビュー連載。
当時なぜその仕事を選び、それがその後の活躍にどうつながっているのか?をテーマに、現在の職業に至るまでの経歴を聞きながら、そこで得たこと、逆境の乗り越え方を紐解く。

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ふくだりょうこ

ライター。大阪府出身。大学卒業後、フリーランスとして活動。お酒と小説が好き。

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