SM「ごっこ」が幸せを作る。『SPUNK』新井英樹・鏡ゆみこ・マヒト“奇跡の鼎談”【前編】

2023.6.17

文=石田月美 編集=高橋千里


人間讃歌、『SPUNK -スパンク!-』。新井英樹の最新作は、SMサロンを舞台にしたシスターフッド!? 日常と非日常を横断しながらすべての人間にエールを送りつづける本作の1・2巻が、6月12日にKADOKAWAから同時発売された。

『SPUNK』
『SPUNK -スパンク!-』1巻/新井英樹/KADOKAWA

『8月の光』でデビューを飾り、『宮本から君へ』『ザ・ワールド・イズ・マイン』『キーチ!!』と次々に衝撃作を発表してきた漫画家・新井英樹。だが、引きこもって作品を生みつづけた新井は、「このままじゃ人間が嫌いになる」と街に繰り出す。

そんななか出会った鏡ゆみこは、女性上位の世界を体現したSMサロン「ユリイカ」のオーナーだった。彼女は『SPUNK』に「参謀」という肩書で参加することになる。

そして、街を浮遊しつづけた新井は、音楽家のマヒトゥ・ザ・ピーポーに出会う。マヒトの作品に惚れ込んだ新井はマヒトをゆみこに引き合わせ、3人は飲み仲間に。そんな表舞台には決して出ることのなかった豪華な交流が『SPUNK』で浮かび上がり、奇跡の鼎談が実現……!

『SPUNK』新井英樹・鏡ゆみこ・マヒトゥ・ザ・ピーポー
左から、マヒトゥ・ザ・ピーポー、新井英樹、鏡ゆみこ

ゆみこが『SPUNK』の参謀になった経緯、マヒトゥ・ザ・ピーポーが新井作品に惹きつけられる理由、新井が絶望しないですむようになった背景とは──。同じ考えを持たなくとも尊重し合える。そんな3人の語りを、ぜひ。

引きこもってマンガを描いてたら「人間が嫌いになった」

マヒトゥ・ザ・ピーポー(以下:マヒト) 新井さんのマンガって、主人公とか出てくるキャラクターに“挑戦”させてますよね。あらかじめある結論に向かっていくのではなく、その主人公に自分の片足というか、心とか脳みそとかの片側を預けて、挑戦させて、そのまわりがどうリアクションするか、社会がどう動くか。そういう挑戦していく過程をずっとスケッチしているような印象。だから一緒に共犯関係で進んでいく感じは、やっぱスリルがありますよね。

新井英樹(以下:新井) 今回『SPUNK』を描いてて、自分が折れそうだったんだって気づいたの。今までは端から端まで全部自分でコントロールしたい、原作つきなんてあり得ないって思ってた。ところが、ひとりで家にこもって描いてたらどんどん人間が嫌いになって。

『SPUNK』新井英樹・鏡ゆみこ・マヒトゥ・ザ・ピーポー

そこで、自分が外に出て人と会うのと同時に、人間を勉強し直そうって思った。そのときにゆみこさんと飲み屋で出会って、スゲーこの人!って。「友達になってください!」って俺から言ったの。そこからゆみこさんのお店を知って、ここを舞台にしてマンガを描きたいと思って、ゆみこさんには「参謀」をやってもらってる。

前からアシスタントにお願いすることはあったけど、それは作業を指定してこういうのをやってくれって、一応自分がコントロールしてるから。でも今回は、人のアイデアをこんなかたちで作品にすることを“アリ”にした。

だからゆみこさんの「参謀」っていう肩書も、監修とは違う。ストーリーや細かくセリフとか服装案も出してもらってて。ものすごいケンカにもなるんだけど、でも俺がこんだけ人の意見を取り入れて描くマンガって初めて。だからまたおもろい。

「SMサロンをマンガにしたい」と言われて、すごく悩んだ

鏡ゆみこ(以下:ゆみこ) 私、新井さんに「ゆみこさんのお店がおもしろい、感動したのでマンガにしたい」って言われたときに、すごく悩んだんですね。SMを外から見て、表面だけを眺めてわかったように描かれたらたまったもんじゃないって。それに「おもしろい」というのも、「変わった話になるからおもしろい」って意味だったら嫌だなって思ったの。

『SPUNK』新井英樹・鏡ゆみこ・マヒトゥ・ザ・ピーポー

SMって、様式美があって我が強い人たちしかいないんですけど、みんなそれを追求すればするほどすごい人間臭くなっちゃうんですよ。そういうところが私は好きなんだけど、様式美みたいなところだけクローズアップされたら……とか悩んで。

新井さんは一生懸命で、全然悪趣味な人ではないので、いろいろアイデアを出してくれたんだけど、やっぱりなかなかそれでいきましょうとはならなくて。でも、私も新井さんの作品をいくつも読んでいるので、どこまでいっても「人間」を描くだろうと。結局、新井さんの粘り勝ち。

『SPUNK』新井英樹・鏡ゆみこ・マヒトゥ・ザ・ピーポー

新井 俺はフェティッシュから一番遠い人間だしね。「描かせてもらえるなら、やりたいんだけどどう?」って。でも、俺なりにやれるっていうのはすごい感じたし、執念みたいなものがあった。絶望的な状況が来たときに「まだいける!」という気持ちになれる、元気な作品をずっと描きたくて。だからタイトルも『SPUNK』って元気とか勇気って意味。

人間同士の意見が全然違っても、不安にならずに、できる限り“楽しい”とか“好き”とかを選んで、同じ方向を向いていれば流せるんじゃないのっていうのを、ゆみこさんのお店で女王様とM男さんの関係を見て感じたんだよね。“演じてる”意識があってもけっこう幸せなんだなって思ったから。

実際、生きていて演じてる部分はすごく多いし。真剣勝負の総合格闘技と比べてプロレスは八百長っていわれるけど、どっちが人生により近いかだったら間違いなくプロレスだと思ってて。

“四の五の言っていられない状態”の人が好き

マヒト さっき新井さんが言った、自分で全部コントロールするものが自分の作品かっていうのとちょっと通ずるのは、自分は前に「わたしとは何かという問いから 解放され 後ろをついてきた影が市民権を得た」という歌詞を書いたのね。

『SPUNK』新井英樹・鏡ゆみこ・マヒトゥ・ザ・ピーポー

社会にはずっと「私は私自身にならなきゃいけない」っていう強迫観念が病みたいにあると思う。それは金になるから、自分にコンプレックスがあるから、そういう問いみたいなものが資本主義を加速させる。

だけど、自分で物を手放して、自分じゃない表情や自分が普段抱かないような感情が露呈すると、初めて自分に出会える。そう思ってさっきの歌詞を書いたんですけど、そこが『SPUNK』と共通してるし、すごいおもしろいテーマだなと思ってます。

それは、「わたし」がどうでもいいっていうことでもなくて。辿り着くまでに、その強迫観念をどうやって壊すのか、たくさんのプロセスがないといけない。マンガを読むとか、素晴らしい音楽を聴くとか、SMもそう。

ゆみこ 『SPUNK』の連載開始、表紙に載った一文が「“好き”をナメるな。」だったんです。

『SPUNK』新井英樹・鏡ゆみこ・マヒトゥ・ザ・ピーポー

私は、なんかもう四の五の言っていられない、取り繕っていられない状態の人を見たときに、「こんな顔するんだ、この人」って気がつくと興奮してる。それって別にSMじゃなくても、音楽でも映画でも本でも、急にたまらなくなって泣いちゃうとか。そういう取り繕ってないときの人が好きだから、それは私がSMを好きな理由のひとつでもあるかな。

新井 俺は、実際に実験するっていうか、描いてみないとわかんないところがある。でもSMサロンのどこに惹かれたかを言語化しちゃうと、その言語を追っかけることになるのが嫌で、試しにこれをやってみたら、これを放り込んでみたら……とかを今やってるの。

「『ごっこ』こそ人生」ということを描きたい

マヒト 自分は、人間の様式美みたいなところと純文学みたいなところって、どっちにも振り切れてないと思ってて。むしろそれはすごく点滅して、出し入れがある。それが描かれてるのが、このマンガのおもしろいところ。

『SPUNK』の中にはSMもあるけど、普通に恋愛したり、スーツ着て仕事に行ったり、グラデーションの中で取り繕った自分の輪郭みたいなものが溶けて、湧き上がっちゃう。そういう抜き差しみたいなことは、けっこう普段みんながやってることで。

そしてそれは、どっちも自分。取り繕ってる自分も自分だし。だから自分自身って、前とうしろっていうよりも、立体的で混在していると思う。

『SPUNK』新井英樹・鏡ゆみこ・マヒトゥ・ザ・ピーポー

『SPUNK』はいろんな感情が立体的に浮遊している物語だよね。主人公の(栗田)夏菜みたいに感情がものすごい前に出る素質の人もいるし。でもそれって本当にスピード感が違うってだけ。

もうひとりの主人公、冬実も「自分の才能に気づけない」みたいなことを序盤で言われるシーンがあったけど、本当にそのとおりで、みんな感情の出方とか全然違う。直結して自分の欲望を前に出せる人が美しいのはもちろんそうだし、出せない者が気づいていくリズムも美しい。

だから平面的にうしろ・真ん中・前みたいなことじゃなくて、それが立体的に入れ替わりつづけて、浮遊しているもののどこを、どの瞬間を捕まえるかっていう物語に見えるかな。

『SPUNK』
『SPUNK -スパンク!-』2巻/新井英樹/KADOKAWA

現実の人間関係も、あれ、このタイミングでこんなふうに化学反応を起こしちゃうんだっていう瞬間が心地いいんだよね。現実もマンガも「まさかこうなるとは」っていう瞬間を捕まえられたら、やってた価値と意味ができる。

だから、もっと根源的に欲望みたいなものと向き合って、自分自身がようやく一人称になる。本当は自分が一人称で、自分の体の操縦士ではあるんだけど、ひとりでやるってすごく疲れるから、なんとなくいろんなものに委託したり預けたりしている。そういうのが当たり前のなかで、自分自身の一人称を取り戻していくマンガなんだなと思った。

新井 『SPUNK』は普通の人生を送ってきた女の子が、たまたま流れで女王様もやることになる話。そこから自分の日常とつながって、非日常的な、下手すりゃただの変態でしょっていわれる世界に入り込むんだけど、どこに壁がありますかって問いたい。

『SPUNK』新井英樹・鏡ゆみこ・マヒトゥ・ザ・ピーポー

親密な関係って別の話として捉えがちだけど、それは世界と対峙することと同じ。拡張すると滑稽だけど、それが切実でもあって、俺の中では切実と滑稽ってほぼ同義なんです。

そして、演じる……つまり「ごっこ」で幸せになる人たちがいる。むしろ、「『ごっこ』こそ人生」だということを、マンガで描きたいんです。

『SPUNK』鼎談・後編は後日公開予定!

この記事の画像(全20枚)



  • 新井英樹『SPUNK』×忍足みかん『気がつけば生保レディで地獄みた。』発売記念トーク&サイン会

    日時:2023年7月2日(日)13:00(開場12:45)
    場所:芳林堂書店高田馬場店 8F イベントスペース
    ゲスト:新井英樹、忍足みかん

    新井英樹『SPUNK』×忍足みかん『気がつけば生保レディで地獄みた。』発売記念トーク&サイン会を開催。

    2023年6月12日発売『SPUNK』1・2巻、2023年4月28日発売『気がつけば生保レディで地獄みた。』のうち、1点以上をお買い上げの方に参加券を配布。

    関連リンク

  • 『SPUNK』

    『SPUNK -スパンク!-』1・2巻/新井英樹/KADOKAWA

    「好き」をナメるな。鬼才渾身の人間讃歌、1・2巻同時発売!

    「あたしは、あたしが好き!」
    「つまんねえ」は嫌い! 「楽しい」は譲らない!!
    「好き」を奔放に希求するパワフルガール・夏菜(かな)。

    「だって……」「でも……」「私ごときが……」
    男も女も、外界も世界も、そして自省も「ブロック」。
    「私という人間はまだどこにもいない」文学少女・冬実(ふゆみ)。

    対照的なふたりの女の子が出会った、未知なる世界は……SM!?
    新人女王様「カンナ」と「冬子(トウコ)」となったふたりはSMを! 笑いを! 人生を! 人間を! 全身全霊で疾走する!

    関連リンク


この記事が掲載されているカテゴリ

石田月美

Written by

石田月美

(いしだ・つきみ)物書き。1983年生まれ。東京育ち。幼少のころから周囲となじめず、浮き上がった自分を抱えながら過ごす。生き延びるための物語&How toを綴った『ウツ婚‼︎ ―死にたい私が生き延びるための婚活』を晶文社より出版(講談社にて漫画化)。さまざまな精神疾患を抱えたまま、婚活し、結婚し、不..

QJWebはほぼ毎日更新
新着・人気記事をお知らせします。