見えない何かが始まる予感がする、熊倉献の『ブランクスペース』(足立守正)
ピンクレディーのヒット曲「透明人間」は、作詞の阿久悠が幼少時に観た映画『透明人間現わる』のタイトルの矛盾点を突くことが主題の奇妙な歌で、これを流行させた昭和歌謡界のすごさと、透明人間という題材の人気に驚く。
原典であるH・G・ウェルズの小説が書かれたのは、エジソンが初期映写機の販売をはじめたころだというが、その映像化はここ半世紀、年に一度くらいのペースじゃないか。
しかし、透明人間は可視化できないので、ほかの物質が可視化を手伝うトリックを際立たせるために、透明人間自身が動き回ってこその魅力だ。ところが、熊倉献の『ブランクスペース』ときたら、動かない透明を描こうとする。
※この記事は『クイック・ジャパン』vol.154に掲載のコラムを転載したものです。。
なんて完成度の高い「第1巻」なんだよ。
なにかが落ちて音を立てるが、それは目に見えない、というなにも起きていないのと同然な出来事から始まる。
古いタイプのラブコメの主人公みたいな女子高生・ショーコは、下校中に予期せぬ雨に降られ、立ち入り禁止の林を突っ切って近道しようとする。
そこで鉢合せたのは、地味だが聡明な同級生のスイ。スイは目に見えない雨傘のようなものを差している。ショーコは持ち前の単純さでその現象(実体のある「空白」とスイの関係)を理解し、難なくその下へ入り込む。
そういえば、熊倉献が以前に発表した『春と盆暗』(2017)は、広義のラブストーリーながら、心地よい距離感のカタログみたいな連作集だった(ひと癖ある女性たちに対し、男性は常に敬語なのだ)。
その心地よさは本作にもあるが、今回はひと癖ある女の子同士。真逆の人種のようなのに、互いの想像力と創造力に敬意を示す。
失恋直後のショーコは、課題用に切り抜いた紙の形に、バカっぽい学校の破壊を妄想する。クラスの理不尽な悪意に苦しむスイも、三島由紀夫の小説にインスパイアされて、学校を破壊する邪念を抱く。と、時折現れる両者の相似が気になる。
スイと出会った日のショーコが、ショーコに背中を押された日のスイが、同じ言葉を思い浮かべたことも含め、ふたりの距離感が今後どう扱われていくのか。その言葉とは「何か始まりそう」だ。ショーコがスイの背中を押した先にあるのは、自らも憧れる「恋」だった。
というわけで、目に見えない「彼氏」の創造が計画され、どこかで透明な心臓が形成されたらしきところで、第1巻が終わる。ページの最後の鼓動が、読者の期待につながる、なんて完成度の高い「第1巻」だよ。うれしいことに、何かが始まるのはこれからなんだよ。