口コミで評判が広がり続け、6月の公開から2カ月足らずで観客動員数100万人を突破した劇場アニメ『ルックバック』。全国10館ほどでスタートし、連日満席となり述べ40館を超える広がりを見せている黒沢清監督作『Chime』。
このふたつの大ヒット映画の共通点は、いずれも上映時間が1時間未満ということだ。120分が目安となっている映画の興行で、今、起こっていることとは。
コロナ以後に迎えつつある、「アフター映画」の時代に迫る──。
大ヒットしている対照的なふたつの映画
『ルックバック』と『Chime』。対照的なふたつの映画が大ヒットしている。
『ルックバック』は、テレビアニメーション化もされた『チェンソーマン』の藤本タツキ原作によるアニメーション。監督・脚本・キャラクターデザインを『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』や『風立ちぬ』などを主要スタッフとして支えてきた押山清高が手がけるとあって、前評判もかなり高かった。いうなれば、コアなマンガファン×コアなアニメファンの幸福な融合。入場者特典も9月13日からは第4弾に突入する。いかに愛されている作品なのかがわかるというものだ。
『Chime』は、フランスを中心に海外でも人気の黒沢清監督による一編。彼の得意ジャンル、ホラーを突き詰めた内容だが、製作形態が変わっている。「DVT(デジタル・ビデオ・トレーディング)」といって、「誰もが所有できる資産としての映像作品」なのだ。DVDのようなフィジカルではなく、オンライン上に存在するものだが、購入すれば、レンタルとして貸し出したり、リセールしたり、プレゼントしたり、さらに自主上映もできる。映画ファンにとっては夢のようなアイテムだ。
かくいう私も、一刻も早く黒沢清の新作を目にしたいという想いから、購入こそ叶わなかったが、個人の方からネット上でレンタルして堪能した。東京・菊川の意欲的なミニシアター「Stranger」は本作で初配給を手がけたが、8月2日の初日から2週間、同館での上映は全回満席となり、当初、全国10館ほどだった『Chime』は述べ40を超える劇場で上映されている。Strangerのみならず、どの映画館も熱気に包まれている。
今後の劇場映画のニュースタンダードになる可能性
昨今のアニメ人気を鑑みれば『ルックバック』はヒットするべくしてヒットした作品ともいえるだろう。私は新宿の劇場で観たが、リピーターと思われる方々がかなり多く、夏休みにふさわしい多幸感が観客総体から立ち上がっていた。
一方、『Chime』は異例の成功。黒沢清は著名な監督だが、ホラーのイメージが強く、シネフィルからの熱狂的な支持はあっても、一般の観客が駆けつけるタイプのクリエイターではなかった。かつて流行語だった「Jホラー」はすでに死語。日本産にしろ海外産にしろホラーというジャンルには、アニメーションのような汎用性はない。
そもそも黒沢清という監督の新作に、これだけ多くの人々が押し寄せたことはかつてなかったはず。しかも、若い観客が多い。もし、これが黒沢清映画初体験だとすれば、なかなかリーズナブルな「予告編」ともいえる。
作品性は対照的ながら、『ルックバック』と『Chime』には奇妙な一致点がある。
いずれも上映時間が1時間未満なのだ。『ルックバック』は58分。『Chime』はさらに短く45分。長編でも短編でもなく、強いていえば中編ということになるが、このあまりなじみのない上映時間は新潮流というより、今後の劇場映画のニュースタンダードになる可能性を秘めている。
まず、1時間未満の映画の劇場公開は「特別興行」扱いになるので、シネコンなどでおなじみの通常の料金形態ではない。『ルックバック』は1700円均一。『Chime』は1500円均一。『ルックバック』は学生にとってはやや割高になるが、大人にとっては安価でお得感がある。また、『Chime』の45分で1500円というのはしっくりくるラインではないだろうか。
映画は鑑賞料金が大きな値上がりをしてこなかったメディアだが、ついにシネコンでは大人2000円の大台に乗ってしまった。だが「中編だから少しディスカウント」が功を奏して大ヒット、というわけではないだろう。無関係とは言いきれないが、映画は飲食店のように価格からコストパフォーマンスが測れる娯楽ではない。長尺の作品はやや高めにはなるが、そもそも基本的に日本映画も外国映画も同一料金で興行を続けてきた歴史がある。
そんな映画にもし「コスパ」の概念が付与されたとしたら、それは上映時間と内容=内実の相関関係からもたらされるサムシングではないか。
58分だからこそ可能になった特濃テイスト
『ルックバック』は、女子小学生ふたりの物語だ。マンガを描くことに自信のある女の子が学級新聞に掲載された、同じ学校の引きこもり女子のマンガの画力に衝撃を受け、猛特訓を開始。ところが描いても描いてもその子の画力には追いつけない。マンガに没頭しすぎて周囲から取り残されつつあった彼女は、ついに卒業式の日を迎え、教師に頼まれ、引きこもり少女に卒業証書を届けることになり、両者は初対面することになる……。
憧れと羨望と嫉妬。クリエイションをめぐる、境目なしに渾然一体となった感情は時に「片想い」にも似た様相を呈し、そこから自意識の変遷と変貌が繰り広げられていく。スピードと濃密さ。展開の速さと登場人物の少なさがよき相乗効果をもたらす。エモーショナルな結末と、そこから枝分かれするエモーショナルな演出も相まって、どっぷりハマり込む構成。
これは58分だからこそ可能になった特濃テイストである。これ以上長く(たとえば通常の長編のように80分くらい)なったら、息が詰まっていただろうし、あるいはブレが生じていたかもしれない。この尺だからこそ、このふたりだけを(ほかのキャラクターやエピソードを介在させずに)丁寧に描くことができたし、いい意味で脇目も振らずに観客を集中させることができた。
前述したように、かなり怒濤のスリーリーテリング。しかし「マンガを描く」という密室劇のため状況移行が最小限で、引力が強い。物語は加速するが、場は変容しないから、観る者の凝視も持続する。
原作へのリスペクトもさることながら、これは脚本にしても作画にしても、1時間以内で「何をどこまでできるか」を徹底追求し、それがオーディエンスにとっていかなる快感と充実感を与えるか、緻密に計算・実践した結果だからではないか。練りに練られている。繰り返しになるが、58分に抑えたからこそ創意工夫もより豊かに際立った印象がある。「コスパ」でいえば、かなりリッチな満足感があるのだ。
実験と娯楽を奇跡的に両立させた45分
『Chime』に関して黒沢清は次のようなコメントを寄せている。
「一度でいいから、思いつくままに恐ろしいシーンが続けざまに並んでいる映画を作りたかった」
「映画の中の三大怖いもの」を詰め込んだ作品。監督自身がそう明言する本作は言ってみれば「全部のせ特製ラーメン」だ。異能のベテランだからこそ可能になった、映画文法を超えた恐怖シークエンスの数珠つなぎ&波状攻撃もまた、これ以上長くなったら(たとえば『ルックバック』のように58分だとしても)もう一気に窒息するか、さもなくば難解な前衛に堕す危険性があった。45分という尺の快適さが、実験と娯楽を奇跡的に両立させたともいえる。
料理講師の男性が、ある生徒の奇怪な言動に端を発し、想像を超えた領域にまで、心身を侵食していくことになる。『ルックバック』のような速度ではなく、断線した線と線とが絡み合い、いつの間にか接続されているような趣がある。主人公の地獄巡りが断章形式で紡がれ、あれよあれよという間に、斬新な終幕へとたどり着く。
バラバラに見えて、どこか接続面はあり、謎のスムーズ感がある。その違和感のなさこそが最大の違和感ともいうべき次元にまで到達している。ありきたりのコケオドシでもなければ、高尚なアートでもない。「45分の新しい映画」としか呼びようがない「食い応え」なのだ。
食事でも、ディナーコースよりランチのショートコースのほうが、心が潤うという経験はないだろうか。皿数が多ければうれしいというものでもない。適度な濃密さというものが真の満足感をもたらす。
映画はそろそろ変わるべきだ
映画はかつて90分、現代はだいたい120分がひとつの目安となっているが、この「定番」に確変が起きつつあるのではないか。コロナによって、映画館が封鎖に近い状況があったことを私たちは忘れていない。そのことは劇場での映画体験への渇望も高めたが、各種配信メディアを通して自宅で映画を気軽に楽しむ(その状況はレンタルビデオ/DVD時代の煩わしさが一切ない、極めてストレスフリーなものだ)術も授けた。そうしてアフターコロナの世界は、あらゆる時間感覚を確実に変容させた。暗闇に没入することが前提となっている映画メディアも無縁ではない。
『ルックバック』と『Chime』を観て感じるのは、映画はもはや大風呂敷を広げるのではなく、ある程度見通しの立つ人数と場所を選び、そこでなるべく丁寧に描写していく方向を目指すべきなのでは、ということだ。映画はもっと短くていい。メディアのスケールとして、スモールサイズでいい。この2作品が示唆するモデルプランは、コロナ以後の「アフター映画」と形容してもいいかもしれない。
もし、1時間以内のほうがいい、というベクトルが観客にも作り手にも選択肢としてあり得るようになったら、企画の煮詰め方も、作劇も、製作体制も、予算も、劇場環境も徐々にモデルチェンジしていくだろう。いや、むしろ、映画はそろそろ変わるべきだ。
個人的な予測だが、今後、もし映画館という場が存続していくとしたら、ものすごく長尺な作品(本でいえば、ハードカバー上下巻並みのボリューム)か、ほどよく短い「アフター映画」(コミック1冊分のカジュアル感覚)かのいずれかとなるのではないだろうか。
つまり、オペラやバレエ、クラシックのコンサートのように楽しむ重量級の映画がある一方、「アフター映画」のように気楽に味わえる=ワインをボトルでオーダーするのではなく、グラスで数杯飲むような軽やかな作品(しかし満足感はある)の二者択一。
劇場での映画体験はかけがえのないものだ。だからこそ、「以後」の世界にふさわしい、映画の変革が今、求められている。
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『ルックバック』
公開日:2024年6月28日(金)全国公開
原作:藤本タツキ(集英社ジャンプコミックス刊)
監督・脚本・キャラクターデザイン:押山清高
美術監督:さめしまきよし
美術監督補佐:針﨑義士・大森崇
色彩設計:楠本麻耶
撮影監督:出水田和人
編集:廣瀬清志
音響監督:木村絵理子
音楽:haruka nakamura
アニメーション制作:スタジオドリアン
配給:エイベックス・ピクチャーズ
■出演
藤野:河合優実
京本:吉田美月喜
■主題歌
「Light song」
by haruka nakamura うた : urara
(C)藤本タツキ/集英社(C)2024「ルックバック」製作委員会関連リンク
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『Chime』
公開日:2024年8月2日(金)Stranger ほか全国劇場上映
監督・脚本:黒沢清
出演:吉岡睦雄、小日向星一、天野はな、安井順平、関幸治、ぎぃ子、川添野愛、石毛宏樹、田畑智子、渡辺いっけい
音楽:渡邊琢磨
製作:Roadstead
企画:Sunborn
制作プロダクション:C&I エンタテインメント
配給:Stranger
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