今年デビュー25周年を迎えた鈴木亜美。90年代のJ-POPシーンを席巻した彼女も3児の母となった。現在は料理本の出版や、“激辛好き”としてバラエティ出演など多方面で活躍している。
とはいえ、彼女の25年にわたる芸能活動のコアには、常に歌と音楽があった。15年前、活動スタイルに悩んだ鈴木が取り組んだプロジェクトは、中田ヤスタカとの出会いをもたらし、大きな転機にもなった。鈴木はずっと歌いつづけている。
今でも「自分の歌声が嫌い」だと語る鈴木。なぜそれでも彼女は歌うのか。鈴木亜美の知られざる一面に迫った。
鈴木亜美(すずき・あみ)
1982年生まれ、神奈川県出身。1998年、オーディションバラエティ番組『ASAYAN』(テレビ東京)への出演をきっかけに、小室哲哉のプロデュースで歌手デビュー。2004年にはエイベックスへ移籍し、2009年からDJ活動を本格始動させた。歌手活動もイベントやフェス出演で継続していたが、2022年、40歳という節目を記念して11年ぶりに単独ライブ『Ami Suzuki Birthday Live“超激辛40倍”』を行った。デビュー25周年の今年も、ソロライブ『Ami Suzuki 25th Anniversary Live〜Let’s Party〜』の開催や、TeddyLoidプロデュースの新曲「I just feel good(Prod.TeddyLoid)」をリリースするなど、精力的に活動している
目次
スタイル維持と“激辛女王”の原点にあるもの
──2016年に結婚し、今では3児の母となりましたね。それでもトレーニングを欠かさず、体型を維持していてストイックな印象を受けます。
ストイックっていうより、トレーニングしないと気持ち悪いんです。産後も2カ月で仕事に復帰すると決めて、それをモチベーションにして鍛えました。大変ですけど、「鍛えておけばよかった」とあとから後悔するのが一番イヤなんですよ。
──鍛えるようになったのは歌手になってからですか?
学生時代からですね。当時人気だった安室(奈美恵)ちゃんやSPEEDが、やっぱりすごいスタイルがよかったんです。ウエストが細くてヘソ出ししてて。筋肉質に痩せてるのがかっこいいと思ってたので、鍛え始めたんです。
高校時代、陸上部に入ったのもダイエット目的でした。健康的に痩せるなら、泳ぐか走るかだと思ったんですけど、水泳だと肩幅がしっかりする印象があったので、陸上にして。
──球技には興味がなかった?
グループ行動が苦手で、個人競技が性格的に合ってたんです。でも、大会は大嫌いでした(笑)。自分のペースで好きなように走りたいだけなのに、なんで競争させられなきゃならないの?って(笑)。
──40代になり、子育てと仕事を両立させながら体のメンテナンスをするのは大変ですよね。
大変ですよ、ゆっくりしたいなぁって思うこともあります。でも、サボるとあとあとしんどくなる。それは陸上部時代に学んだことです。一回休んじゃうよりも、ずっとつづけてたほうがラク。性格的にはアーティストっていうよりアスリートタイプなんでしょうね(笑)。
──料理本を出版したり、YouTubeチャンネル『鈴木亜美のあみーゴTV』でも料理動画を配信していて、料理上手なイメージもあります。
食事に興味持ったのもダイエットが理由です。いろいろ調べるうちに、自然と料理もするようになりました。だからなによりもまず自分の体のためだったんですよね。
──その一方で、最近は“激辛女王”としても活躍されています。
激辛に目覚めたのは10歳のころなんですよ。自分が異常なんだって気づいたのはわりと最近です(笑)。
──10歳で激辛はだいぶ早いですね。
子供のころ、毎週土曜日のお昼ごはんがインスタントの具なしラーメンだったんですけど、味変で豆板醤を入れたのがキッカケなんです。当時、お金に余裕のない家庭だったのでラーメンはスープと麺だけ。それだと飽きちゃうから、親に内緒で豆板醤を入れたらハマっちゃって(笑)。ほかにもお酢を入れたり、ショウガやニンニクも入れてましたね。
──激辛の原点には素ラーメンがあったんですね。
そうですね。陸上部に入った理由のひとつも、お金がかからないからだったんです。ユニフォームとスパイクさえあればいくらでも走れるじゃないですか。当時は大変だったけど、全部今の糧になっていますね。
転機となった「中田ヤスタカとの出会い」
──鈴木さんの25年を振り返ると、『CONNETTA』というアルバムは避けて通れないと思っていて。カジヒデキ、Buffalo Daughter、キリンジ、大塚愛、つじあやのなど、さまざまなアーティストが楽曲提供されている興味深い作品でした。
あのアルバムはさまざまなミュージシャンの楽曲に“参加する”というコンセプトの「“join”プロジェクト」から生まれました。
あのころは自分の音楽活動を模索していた時期で。エイベックスに移籍したのが2005年。最初の2年は定期的にシングルを出して、アルバムをリリースし、ツアーをする流れでした。
でも、そのJ-POP的なサイクルに疑問を持つようになったんです。これをつづけても、この先に何があるんだろうって。
──デビュー時から駆け抜けてきて、立ち止まりたくなった?
立ち止まるというより、違うやり方を探りたかったんです。自分が本気でやりたい音楽もよくわからなくなっていたので、自分探しじゃないですけど、本当に自分の好きな音楽を見つけたくて。それでjoinプロジェクトを通して、アーティストやプロデューサーの方々と交流を持ちました。
──その結果、従来の「鈴木亜美」像に捉われないアルバム『CONNETTA』ができたんですね。
そうですね。今まで触れてこなかったようなジャンルにも挑戦できたし、いろんな刺激を受けて、音楽を作ることはやっぱり楽しいなって思えた時期でした。
『CONNETTA』のあともjoinはつづいて、そこで出会ったのが中田ヤスタカさんだったんです。彼の音楽を聴いてすぐ「これはヤバい!」と思って(笑)。
──ちょうど中田さんがプロデュースしているPerfumeがブレイクした2008年ごろですね。
今まで私がやってきたダンスミュージックやトランスとも違う、エレクトロっていうジャンルと中田くんの楽曲が、私の趣味にハマったんです。
レコーディングの感じもすごくよくって。自宅兼スタジオで録ったんですけど、その距離感が近いおかげで気楽に歌えたんです。それまではお堅いレコーディングスタジオでかしこまっていたので、とても新鮮でしたね。
──当時の中田さんのスタジオって、とても小さいブースで歌を録ってましたよね。
そうそう、電話ボックスみたいなところにポツンと入って録るんですよ。なんだか友達感覚で曲作りができて、それが性に合ってました。その流れで2008年に中田くんが全曲プロデュースした『Supreme Show』を作って。そこで自分の求めていた音楽はこれだって確信できました。
楽しめることが大切。そうじゃなくなったとき、新しいことを探す
──そのあと数年間、DJとして活動しますね。
それも中田くんの影響ですね。彼がDJをしているところに、私がサプライズで出て「FREE FREE」を披露したとき、DJプレイを見て、私もこれやりたいなって。フロアを沸かせながら、自分の曲も流せたらいいなと思い、練習してDJ一本で活動することにしました。
──DJとして海外進出もされました。
そうですね。「DJはもうやらないの?」って聞かれることもあるんですけど、私はフロアの雰囲気を掴みながらレコードを回すのが好きだったんですよ。今はパソコンでやるのが主流なので、もう潮時かなと思って辞めました。
──joinプロジェクトを始めたきっかけもそうですし、DJ活動を辞めるときも、自分が納得いかなくなったら、すっぱり辞める。それが鈴木さんなんですね。
自分が楽しめないと思ったら、わりとあっさり辞めちゃうタイプですね。常に新鮮で楽しいことを求めていて、「私は今これがやりたいんだ」っていうのを見つけたら、即実行する人生です。
TeddyLoidにすべて委ねて完成した、新しい「鈴木亜美」
──昨年40歳になり、ソロライブを11年ぶりに再開しました。今年はデビュー25周年で、2年連続でソロライブを成功させ、TeddyLoidさん制作の楽曲もリリースしました。この楽曲では今までの活動を踏まえながら、新境地にチャレンジしています。
はい。Teddyくんの気合いがすごくて、うれしかったです。彼は、小室(哲哉)さんはもちろん、中田くんにも憧れていて、「ふたりに負けないかっこいい曲を作りたい。今までの鈴木亜美作品を超えたい」って言ってくれました。
──TeddyLoidさんからすれば、鈴木さんは憧れの方々と仕事をしてきたレジェンドでもありますもんね。そもそも、なぜ節目の楽曲をTeddyLoidさんに依頼したんですか。
Teddyくんの音楽って、私だけじゃなくて、子供たちも大好きなんですよ。世代を超えてかっこいいって思われる曲を作るって、すごい才能だなとずっと思ってて。ダメもとでお願いしたら、快く引き受けてくれました。
──TeddyLoidさんのスタジオはどんな雰囲気でしたか。
レコーディングスタイルも中田くんに似てて、懐かしかったです。中田くん以上にオープンだったかも。
レコーディングブースすらなくて、作業場にマイクも置いてあって「レコーディング中はしゃべらないでくださいね」って感じで。そもそも同席したのも私のスタッフひとりだけでしたけど(笑)。
最初から全体が見える感じで、その場でどんどんミックス作業もして、みるみるうちにでき上がるのが気持ちよかったです。
──候補の楽曲がいくつか提示されましたか?
いや、この一曲だけです。私としても任せたいっていうのがあったし、Teddyくんが納得いく楽曲に委ねたいなって思ってたので。
──joinプロジェクトのときと同じように、“鈴木亜美という素材”を使って曲を作ってほしかった?
まさにそうですね。私はひとつの素材なので、いかに料理してもらうかが大事。私が変なこだわりを持つと、相手のいいところを押し潰しちゃうんですよ。
せっかく作ってくださるのに口出ししちゃったら、相手も「もういいや」ってなるじゃないですか。「好きに料理しちゃってください」っていうスタンスのほうが気持ちよくお仕事してもらえるなって。
だから“join”なんです。参加させていただく。あのプロジェクトはコラボでもフューチャリングでもなかったんですよ。
自分の歌声は一生好きになれない
──最後になりますが、鈴木さんの歌声は、90年代を代表する歌声のひとつだと思います。ご自身としては、なぜ“鈴木亜美”が多くの人々に届いたのだと思いますか。
私は自分の歌声も話し声も、すっごい嫌いなんです。自分の歌声がどうしても好きになれなくて。
だから、自分の歌声が届いたというより、楽曲が届いたという感覚があります。今でもこの声はどうにかしたいと思ってるし、楽曲を作ってくださる方にも「どうにかしてください!」って気持ちでお願いしてます。
──中田さんやTeddyLoidさんは声もひとつの音として扱うスタイルだから、鈴木さんに合っているのでしょうか。
それはありますね。私はたぶん一生、自分の歌声に納得いかないです。話し声も、もっと高かったら女の子らしく振る舞えたのにって思うし。
この声のせいで「ドーン!」と構えてなきゃいけない気がするというか。自分の性格や言動すら、この声にコントロールされている気がします。
──それでも、ここまで歌ってこられたのはなぜですか。
小室さんが初めて私の声を聴いたとき「シャキシャキしてて、すごくいい声だね」って言ってくれて、すごくうれしかったんですよ。あの言葉で視界がパーって晴れた。小室さんのあのひと言がなかったら、25年後の今まで歌えなかったです。
小室さんが褒めてくれたから「この声でも歌っていいんだ」って思えた。ファンの方々にも「歌声が好きです」って言ってもらえるし、聴いてくれる人がいるから、歌えてるんですよね。
連載「&Life」
今気になる芸能人たちの生き方を辿る連載「&Life(and Life)」。インタビューを通して見えた、彼女たちの“これまで”と“これから”。
第1回:重川茉弥
第2回:後藤真希
第3回:若月佑美
第4回:宇垣美里
第5回:工藤遥
第6回:本田仁美
第7回:横澤夏子
第8回:大久保桜子
第9回:milet
第10回:前田敦子
第11回:峯岸みなみ
第12回:辻希美
第13回:中川翔子
第14回:西野未姫
第15回:松本まりか
第16回:鈴木亜美
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音楽劇『ジャッキーと不思議なオルゴール』
人気絵本シリーズ『くまのがっこう』を原作とした音楽劇『ジャッキーと不思議なオルゴール』に、鈴木亜美がメロディー姫役として出演。
子供から大人まで楽しめる音楽劇となっていますので、
ぜひお越しください!日程:8月24日〜27日
場所:池袋シアターミクサにて全7公演関連リンク
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