Jアノン、アリエル・ピンク、陰謀論…2020年代の“カルト”を考える

2021.2.11

島薗進『新宗教を問う』と愛知県知事リコール署名問題

パンス 今読んでる、島薗進『新宗教を問う』(ちくま新書)という本がとてもおもしろくて。新宗教の全盛期を日本だと江戸時代後期(19世紀中盤)から1970年代までとしていて、そのあとはオウムとか新しいタイプの宗教が出てくるんだけど、地下鉄サリン事件以後は目立った教団は出てきていないと指摘している。「いかにも宗教っぽい」団体ってことですね。ただ、何かの思想にすがりたくなる感覚というのは廃れるはずもなく、今はそれがネットに拡散しているんだろうと思う。

パンス 新宗教や現在のネットの妄想に共通するのは、複雑な問題をうまく単純化してくれて、信じれば安心できるという点だよね。要するに、まず政治や社会があまりにも複雑だという現実があって、一方で人々の生きづらさもある。生きづらさは社会のせいかもしれないけど複雑なのでよくわからない。そこに答えを出してくれる。
さらに、信じてる自分も積極的に行動することで、「やりがいを感じて」幸せになっていく仕組みがある。それが政治的行動に結びつく現象が今起きている。愛知県知事リコール署名の8割が無効になるなんて出来事は、まさにその表れだといえる。

コメカ 前回「オリラジの吉本退社、小林賢太郎の引退から考える『テレビ芸能界』の終焉。“テレビからネットの時代”の行く末とは?」で話した「小さなカリスマの乱立」みたいな話も、まさにそういう問題としてあるわけだよなあ。そして高須克弥が仕かけたリコール署名も同じ問題系の中にあると思うんだけど、彼はぬけぬけと「少ない署名にケチをつけて、リコールをしないための陰謀だと感じています」(『メ〜テレ(名古屋テレビ)』、2021年2月1日掲載「高須院長「私が不正するわけがない、陰謀だと感じる」 知事リコール8割無効、単独インタビュー」)なんて語っているし、署名を支援してきた名古屋市長・河村たかしも「僕は被害者であり、怒りに震えます」(『東京新聞 TOKYO Web』、2021年2月2日掲載「河村たかし市長「僕は被害者、怒りに震える」 愛知県知事リコールで署名の8割不正の疑い」)などど、自分を「被害者」として規定している。
彼らは自分たちを「陰謀」の「被害者」として自己規定しているわけだね。別件では画家・映画監督の増山麗奈がこの記事(『ハーバー・ビジネス・オンライン』、2021年2月3日掲載「アメリカ大統領選の「陰謀論」にハマってしまった私~やらかした当事者が振り返る~」)で、自分は大統領選を取り巻く陰謀論から脱却したと言いながらも、「その事実の断片の集積が、陰謀論までもが事実なのだと私に思い込ませるようになっていった」「そんな妬み・嫉みに、Qアノンは狡猾につけ入ったのだ」と、結局どこか「被害者」的な語り方をしていることも気になった。
自分の「主体」の在り方について根本的に捉え返してみる努力をしない限りは、たとえ自らの誤謬には気づけたとしても、それを自分が「参加した」結果ではなく「参加させられた」結果としてしか、つまり自己を「被害者」として規定することでしか、自分の過ちを確認できなくなってしまうのではないかと思う(高須や河村はその誤謬すら認めないわけだけど……)。参加を促す「カルト」がさまざまなかたちで立ち上がっている現在、行動する自分自身の「主体」の責任をどう取るのか/取り得るのかを、各自もう一度考える必要があると思うね。


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