オリラジの吉本退社、小林賢太郎の引退から考える「テレビ芸能界」の終焉。“テレビからネットの時代”の行く末とは?

2021.1.10

「小さなカリスマ」の乱立

コメカ メディアに触れるとき、速度の快感というのがあるじゃないですか。とにかくスピードが速ければ速いほど気持ちいいし楽しいっていう。かつては週1回のバラエティ番組がその装置だったとして、それは今現在、たとえば毎日動画投稿しているようなYouTuberには当然負けるよね。これまではテレビが一番「使い捨て」のメディアだったけど、もはやそうではなくなってしまった。
ツイッター実況まで含めて、とにかくどこまで速くなれるかっていう志向がネットで展開されている一方で、たとえばオンラインサロンとかはさ、囲い込まれた閉鎖空間を作ることで、密教的に濃度を上げていく快楽があると思うんだよね(笑)。
キングコング西野亮廣がYouTubeの生配信で、自身の映画作品『えんとつ町のプペル』のエンディングで一斉に拍手してほしい、とファンに要望していたけど、こういうケースは速度でなくコミュニケーションの濃度で客をつなぎ止め囲い込んでいる。「囲い込み」のビジネスモデルというのはその環境構築がかつてはとても手間がかかるものだったわけだけど(新興宗教を立ち上げたりだとか)、今はそのためのインフラとしてのネット環境がかなり整っているからね。こういう「小さなカリスマ」は今後もどんどん乱立するだろうなと思う。

キンコン西野の顔パンパン早朝配信!

パンス 『えんとつ町のプペル』は市場規模も大きいし、もうここまでできるようになったんだねえ。コンテンツそのものの力もあるのかもしれないけど、ファンコミュニティで「作っていく」感覚を楽しむ流れになってきているんだな。
しかしまあ、小さなコミュニティ内での盛り上がりというのはそれまでの時代にもたくさんあったわけじゃないですか。テレビとか大きなメディアはそれらをピックアップして広げる効果があったわけだけど、テレビ自体の規模が小さくなると、そこかしこで盛り上がっているだけでお互いのことは見えづらくなってしまうのかもしれないね。SNSがその代わりになっているという側面もあるけど。

コメカ 閉鎖的な情報環境を構築するためのインフラが整っているというのが、かつての時代との大きな違い。でさ、2010年代まで、巨大ウェブサービスがあたかも社会の公共性を担っているかのような構図があったわけじゃない? 日本でも、ツイッターがまるで公共的な言説空間であるかのような扱われ方をしていた。
でもたとえば、アメリカである種のトランプ支持者たちがツイッターやフェイスブックの「検閲」を逃れて(彼らは自分たちの発信にこそ正当性があり、それに対するプラットフォームの措置は不当な「検閲」であると捉えている。それがどんなに無茶苦茶な発信だったとしても)Parlerに流れ込んでいるというけど、今後はこういうふうに言説空間自体が小さなセクトに分裂していくのかな、とちょっと思ったりしている。

コメカ 中田にしても西野にしても、これまでの「テレビ芸能界」で培った知名度や技術を、「囲い込み」的環境の構築にうまく利用しているところがあると思うんだけど、不特定多数を相手にする自由市場よりも「囲い込み」のほうがビジネスとして旨味があるのなら、今後もこういう動き方をする人間は増えるよね。巨大なゲームボード=たとえばツイッターやフェイスブックみたいな環境の上で相互衝突する状況でなくて、本当に情報環境自体が今後はタコツボ化してしまうのかも、みたいなことを最近は考えたりしていた。

閉鎖的なネット空間から「トランスローカル」へ


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