『BEASTARS』が浮き彫りにした人間社会のグロテスクさ【オオカミとウサギ編】

2021.3.5

文=ヒラギノ游ゴ 編集=森田真規


『BEASTARS』が完結した。

アニメは2期が放送中、邦楽シーンを席巻中のYOASOBIが主題歌を担当していることからも、この作品が獲得してきた評価の高さが窺い知れる。

「動物版ヒューマンドラマ」のキャッチコピーで知られる本作は、人間同様に文明を築き、社会生活を送る動物たちを描いた物語。肉食獣と草食獣の相互理解を主たるテーマとして描かれるさまざまな物語は、人間社会に起こっていることを寓話的に示唆しているようにも受け取れる。その“ファンタジーでなさ”こそが今多くの人の心を掴んでいる最大の要因だろう。

本稿ではそうした、ファンタジーとして距離を取るにはあまりにも身に覚えのある劇中の描写の数々を、実社会に照らし合わせながら考えていく。

※この記事はマンガ『BEASTARS』の結末までの内容を踏まえて書かれたものです。未読の方、読書が途中の方はご注意ください。


獣社会の社会的属性・権威勾配

物語は主人公の高校生・レゴシの通う学園内に不穏な空気が漂い始めるところから始まる。レゴシと同じ演劇部の友人・テムが何者かによって食殺されたのだ。「食殺」というのは読んで字のごとく、獣が獣を食い殺すこと。肉食獣と草食獣が共存するこの世界において最もタブー視される重罪だ。

この世界では肉食獣であっても表立って肉を食べることはなく、唯一昆虫食が許されている以外には、動物を食べることは禁じられている。といっても肉食獣には食肉欲があり、加えて草食獣を簡単に傷つけてしまえる腕力や牙もある。それらを自制して草食獣を脅かさないように振る舞うのが肉食獣のマナーとされているものの、身体的アドバンテージは社会的地位と強固に結びつく。社会が肉食獣優位な構造を基に成り立っていることは周知の事実だ。

また、草食獣たちの脅かされる立場を象徴するのが「裏市」の存在だ。都会の一角にあるこの場所では、人目をはばからず草食獣の肉が取り引きされている。肉食獣の大人たちはここへごく日常的に通い、非常にカジュアルに肉を口にしていく。そしてこのことは公然の秘密として、触れてはいけない話題として黙認されている。どこかで聞いた覚えのある話だ。

こうした社会における権威の勾配がジェンダーや人種、貧富、移民とネイティブなど、さまざまな属性同士の関係性に置き換えて思考可能なため、この直立二足歩行し言語を解する動物たちによる学園ドラマを単なるファンタジーとして自分から切り離せない。身につまされっぱなしの読書体験になる。

主人公のレゴシが表紙を飾る『BEASTARS 第1巻』板垣巴留/秋田書店/2017年

レゴシに見る特権性・暴力性・加害性の自覚

レゴシは肉食獣の中でもポピュラーなイヌ科、その中でも大型で腕力に秀でたハイイロオオカミ、しかもオスだ。この社会における強者の属性を複数併せ持つ。ただ彼はその特権性を振りかざす性分ではなく、努めて地味に、無害な肉食獣として学園生活を送ろうと心がけている。

ところがある日、彼は突如肉食獣としての衝動に心身の主導権を奪われ、夜道で草食獣の生徒に襲いかかってしまう。食殺に至る前に理性を取り戻しはしたものの、この一件に対する罪悪感を通してレゴシは自分の加害性を自覚し、肉食獣としてのあり方、草食獣との向き合い方を模索するようになる。

レゴシの中に自分を見出すヒト科のオスは少なくないはずだ。

第二次性徴を迎えたころ、声変わりしたときに抱いた一種の喪失感。身長がぐんぐん伸びて、体のあちこちが角ばって毛深くなっていく。あるべき、祝福すべき成長なのだけれど、そう思える瞬間もあるけれど、自分が何か恐ろしい怪物に変わっていくような恐怖心も同時にある。

たとえば、廊下でぶつかった拍子に女子にケガをさせたといったような、自身の身体的なアドバンテージによって誰かを傷つけた体験は、のちの人生まで尾を引く記憶の腫瘍になる。思い出すたびぞっとする。

そして今、ジェンダーイクオリティが希求される時代にあって、この男性優位社会で自分の享受している特権性と納得いく向き合い方ができているのか、といった点でままならない思いを抱えている人も多いだろう。挙げ句そうして自戒することに酔っているのではないかという自分への疑念が常につきまとい、堂々巡りに陥ることもある。

そういったナラティブ(個々人のライフストーリー)に照らし合わせて感じ取れることをはじめとして、獣社会と相似の権威構造は、年上と年下、親と子、教師と教え子、上司と部下、クライアントと受注者、大家と住人など、日常のさまざまな関係性の中に見出すことができる。

ハルを通して考える自尊感情の不全


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