獣社会の多様性とインターセクショナリティ
本作には、これまでに挙げた以外にも多種多様な属性を持ったキャラクターが存在し、それぞれの立場から見た獣社会の景色を切り取る。位相の違う属性同士のかけ合わせ(肉食×大型×メスなど)があり、肉食か草食かの二元論では語り尽くせない。
たとえばレゴシと対をなす存在であるシカのルイは、草食獣(のオス)側から見た、レゴシには見えない角度の社会の様相を伝え、相互に補完し合う。
演劇部の花形役者として脚光を浴び、財閥の御曹司として将来が約束された彼は、裏市での食肉という公然の秘密を抱える肉食獣が覇権を握る社会に不完全さを感じている。そして、彼らとは違いクリーンな草食獣がリーダーシップを発揮する社会の実現を目指す野心家だ。しかし実は“実家が裏市”であり、幼少期は肉食獣の客に提供される“生き餌”として飼育されていた過去を持つ。その二面性ゆえ、彼はこの社会の草食獣の光と闇を1匹で背負うような生き様を見せていく。
たとえばトラのビルは、レゴシと違って大型肉食獣としての特権を享受することに抵抗を覚えない、肉食獣らしい肉食獣だ。定期的に裏市に足を運んで食肉をしているものの、部活仲間の草食獣の身に危険が及べば率先して盾になるなど、ダブルスタンダードとも取れるバランス感覚を持つが、仲間からの信頼は厚く、ある意味で誰より学生生活を謳歌している。
たとえばジュノは、レゴシと同族のハイイロオオカミであり、レゴシと違ってメスだ。肉食獣としての華やかさを武器に、演劇部内で愛される存在となるが、肉食獣としての強さが恋愛においてディスアドバンテージになることもまた感じている。
たとえばキューは、ハルと同じウサギのメスでありながら、戦闘技術を身につけ、裏市の闘技場で稼いだファイトマネーで生計を立てている。ある意味で、ハルとは別のかたちで肉食獣と対等に渡り合う術を獲得しようともがくキャラクターといえる。もとはルイと同じく“生き餌”として生まれた彼女は、貧困に苛まれながら生きてきたがゆえの閉塞感を抱え、ハルやセブンとはまた別のかたちで自尊感情が損なわれている。
たとえばヒツジのピナは、これまでに挙げた草食獣とは違って草食獣であることにほとんど悲愴感を抱いておらず、むしろ生来的に“美しい”として草食獣であることに自尊感情を持っており、社会構造への関心・不満は非常に希薄だ。
そのほかにも数え切れないほどにそれぞれのキャラクターがそれぞれの視点でこの獣社会を切り取り、物語を重層的にし、読者に次々とオルタナティブな視点を体感させてくれる。
『BEASTARS』におけるキャラクターメイキングは非常に立体的だといえる。
たとえば「体が大きい」キャラクターがいるとして、「体が大きい」ことが単に外見の特徴として処理されるのではなく、「体が大きい」という属性によって得られる利得や苦難といった社会構造の部分まで掘り下げて設定されているからだ。
だからこそ、多くのキャラクターが語り部になることの意義は非常に大きい。本作には、これまでに挙げたような主要キャラクターのみならず、物語の本筋に絡んでこないサブキャラクターたちの視点から語られるエピソードも多数存在する。
そうしたサブキャラクターたちも主要キャラクターと同等に社会構造とリンクした設定の掘り下げがなされているため、それ相応の厚みを持ってこの獣社会の語り部を務めることができる。雌鶏に生まれた誇りを懸けてアルバイトに励むレゴムや、草食獣の同級生たちから“ファッションとして”仲よく振る舞われることに苛立つヒョウのシイラの視点から語られるエピソードは特に多くの人が共感できるものだろう。