ポストコロナ映画批評――映画『ファナティック』に見る“ハリウッドという牢獄”(粉川哲夫)
『メディアの牢獄』(1982年)や『もしインターネットが世界を変えるとしたら』(1996年)などの著書を持つメディア論の先駆者として知られ、ラジオアートパフォーマーとして今も精力的に活動をつづけるメディア批評家の粉川哲夫。
今回、編集部から彼に依頼したお題が、映画『ファナティック ハリウッドの狂愛者』から考察する“ハリウッド”というものだったのだが、届いた原稿は「K」と「T」というふたりの対話形式による「ポストコロナ時代の映画批評」だった――。
※この記事は映画『ファナティック ハリウッドの狂愛者』のネタバレを含んでいますのでご注意ください。
目次
ネット配信を前提としたポストコロナ映画批評のはじまりはじまり
K 『ファナティック ハリウッドの狂愛者』について書くそうだけど、映画評は久しぶりじゃないの?
T そうでもないけど、「トランプ劇場」に入れ込んでるから。でも、どうせやるのなら新しいやり方でいきたいね。
K 新しいやり方?
T 要するにネット配信を前提としたポストコロナ批評です。
K ああ、「映画を解体して空中に漂うウイルスのエアロゾルみたいにしてしまう」とか言っていたよね? 具体的にどういうこと? 全然わかんねぇ。
T 今に始まったわけじゃないけど、映画を早送りしたり戻したり、ポーズしたり、画面キャプチャーしたりする見方とか、最初から観るのではなくて、ランダムにアクセスして観るとか、これはまだ無理かもしれないけど、画面である部分をクリックするとその映像に関する情報や関連映像・クリップがポップアップするとか、知りたいことを検索しながら観るとか、部分的にはすでに僕らがやっていることを前提とした映画批評だね。
K そうすると、『ファナティック』の場合はどういう感じになるの? その前に、この作品のストーリーを簡単に紹介してくれないかな?
T それそれ、それが古いんですよ。映画をストーリーで語るというやつ。そんなの、ネット時代では、どこにでも出ているじゃない。それを映画評でいちいち紹介する必要はないんだ。と言っちゃうとつれないから、ちょっと配給さんのプレスから引用しておきましょうか。
大通りで警官のコスプレをしながら観光客を相手に日銭を稼ぐ男ムースは、大の映画オタク。熱狂的ファンである人気俳優ハンター・ダンバーのサインをもらうことを夢見てさえない毎日を送っていた。彼さえいれば、同業者に蔑まれようとも、決してくじけない。そのはずだった……。ムースの心は、念願のサイン会でダンバーに拒絶されたことから、少しずつ壊れていく。憧れの人が、こんな冷たい人であるはずがない。ダンバーの豪邸を突き止め、何度となく接触を試みるも、ダンバーは気味悪がり、ますますムースを遠ざけようとする。“このストーカーめ!”――それは、もっともムースが言われたくない言葉だった。“ストーカーじゃない、映画が好きなだけだ!”――完全に壊れてしまった彼の心は、ダンバーを自分だけのものにしようという狂気へと発展する。しかし、その先には誰も想像していなかった凄惨な悲劇が待ち受けていた――。
『ファナティック ハリウッドの狂愛者』プレスシートより
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