日本語の中の「ソーシャル・ディスタンシング」――ヒキコモリから憲法改正まで(粉川哲夫)

2020.5.14
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文=粉川哲夫 編集=森田真規


『メディアの牢獄』(1982年)や『もしインターネットが世界を変えるとしたら』(1996年)などの著書を持つメディア論の先駆者として知られ、ラジオアートパフォーマーとして今も精力的に活動をつづけるメディア批評家の粉川哲夫。

今回、彼が取り上げるテーマは「日本」。コロナ以前から日本文化が内包していた「ソーシャル・ディスタンシング」、日本語という言語が孕む強制力、それによって生み出されているさまざまな現象、さらにCovid-19(新型コロナウイルス感染症)について、縦横無尽に論じた。

コロナ以前から輸出されていた日本の「衛生文化」

コロナ対策として「ソーシャル・ディスタンシング」が「世界の常識」になったが、日本では、それは、昔から普通のことだった。 日本にはお辞儀、箸、オシボリといった、ある種「ソーシャル・ディスタンシング」的な距離の文化が定着している。マスクだって、サブカルとしてはだいぶ昔から存在した。それは、「プチヒキコモリ」の便利な道具なのよと言った人がいたが、ヒキコモリも、日本には歴史があり、いまでは“hikikomori”が英語の辞書に載っている。

「Anime America」チャンネルで解説されている日本の“hikikomori”

しかし、しばらく海外で時を過ごして日本に帰って来ると、個々人のフィジカルな関係が冷め過ぎるような感じがしてならなかった。海外では握手、ハグ、キスといった「濃厚接触」が日々の行動の中にあり、見知らぬ人とすれ違っても笑顔や会釈があり、感情の表現にメリハリがあるからだ。ただし、最近は事情がだいぶ違ってきた。コロナ以前でも、「ハラスメント」の適用範囲が過剰に拡大され、さらに「#MeToo」が広まってからは、とりわけアメリカの都市部では、ジェンダーに関係なく「親愛の情」を込めた握手はもとより、ハグなどはうかうかすることができなくなった。

今、世界では、マスク着用が必須になりつつあり、表情や発音のフィジカルな要素が露出しにくくなる。シシリーでなくても、イタリア人の身ぶりや言語表現はダイナミックだが、今、イタリアの都市部ではマスクを無料で配って普及にはげんでいる。フランスでも、マスク着用が広まり、公立学校でヒジャブ(イスラムのスカーフ)の着用を禁止してきたバチが当たったのではないかという皮肉な冗談もあるくらいである。

コロナ以前から日本の「衛生文化」は輸出されていた。70年代後半ぐらいからだったか、日本のオシボリは次第に世界の機内サービスに採り入れられるようになったが、私のようなアマノジャクは、海外に行っていきなり日本体験をさせられるのはまっぴらだとばかり、もらっても使わなかったりした。海外では、そんなものはなかったし、ジメジメしてかえって嫌だと思ったからだ。そういえば、当時、東京には、「うちは本場の料理を出しているから」と称して、オシボリを一切出さないレストランがあった。そういう店で客たちは、心の内では多少の困惑を感じながら、「本場もん」に合わせようと、無理して(気になる人はトイレで手を洗ってきて)ナイフ・フォークを握ったのである。

90年代になっても、「うちはイタリア料理の店ですからオシボリは出しません」と胸を張るオーナーがいた。パリのパン屋でバゲットを買った客が、それをむき出しのまま持って公園に行き、ベンチに置くなんてことも珍しいことではなかった。だから、日本のように、トングでパンを袋に入れるなどというのを見ると、狂っているんじゃないかなんて思った。ちなみに、コロナ後の日本では、セルフサービスのパン屋の各コーナーに置いてあったトングも、誰が触るかわからないからというので、客には使わせないらしい。

中国でも、直箸(じかばし)はアウトになり始めたそうだ。なるほど、日本には、「食い箸を突っ込む」のは野蛮だと見なす風習がある。家族の食卓でも取り箸が用意されたりする。日本には、もともと「細菌恐怖症(germophobia)」 の文化が根づいていると言えないこともない。

日本語という言語にあらかじめ備わっていたソーシャル・ディスタンシング

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