星野源論──サウンドとしての芝居。星野源的バックグラウンド表現を考える。


映画『罪の声』での佇まい

彼の映画での近年の代表作は、『罪の声』だ。少年時代の自分の声が、かつて世間を大きく騒がせたある事件に加担していたことを知ったテーラーたる主人公(星野源)は、もうひとりの主人公である新聞記者(小栗旬)と共に、関係者たちに取材することで、事の次第と全貌を解明しようとする。

小栗旬(左)と星野源。映画『罪の声』より

ここでの星野源の佇まいが、言葉を失うほど素晴らしい。亡き父の家業を継いで英国スタイルの紳士服の仕立て屋に取り組んでいる男の、誇り高きストイックさ。職人の自負と矜持が共にある、心身の微笑み。

それらをベースに、静かに、揺らぐことなく、怯むことなく、淡々とリズムをキープしながら、物語全体の加速を見護る。その、頼もしいほどの、抱擁力。

呆気ないほど優然とした告白。好奇心と苦悩が、同時に存在する、複雑な人間性。
これは、変拍子だ。しかも、ほのかにツンデレのチャームがある。
愛らしいハードボイルドさは、小栗旬とのふたり芝居のとき、明瞭に立ち現れる。

映画『罪の声』の主人公、新聞記者・阿久津英士を演じる小栗旬

小栗は基本的に【押す】芝居の演じ手だが、だからこそ、時にかわし、時にバランスボールのごとき柔軟性で【弾む】、星野源的表現のバックグラウンド性に魅せられる。

星野源ならではの【背景】としての演技は、小栗が関係者にインタビューしているとき、見つめるまなざしにおいて、その本領を発揮する。

新聞記者は、取材が生業だ。だから、ポジティブに攻める。テーラーは、関係者とはいえ素人なので、ただ、そこにいるだけ。だが、この【ただ、そこにいるだけ】の、なんという豊饒な存在感!

沈黙の凄み。小栗旬を後方支援するガードとしての相棒感。関係者と己と家族の過去を見据える遠くから(少年時代から)の視線。悲劇の色彩にもたれかからず現在の過酷さを受け止める覚悟。さらりとしたダンディズム。

シンプルでありながら多彩な【サウンド】が、そこにある。

映画『罪の声』で、もうひとりの主人公・曽根俊也を演じる星野源

星野源は、演技を【完成させない】

星野源の演技には、これ見よがしな【演出】が皆無だ。髪型や衣装(意匠)はチェンジするが、本質な芝居そのものは、日常に隣接した発語によって支えられている。

だから、ビジュアルが存在しないアニメーションでの仕事からは、このパーフォーマーの核の部分が見え隠れする。

決定的なのは、『未来のミライ』だ。

ここでは、主人公の父親を演じている。料理をしながら、鼻歌を歌う場面があるのだが、ここでの【凡庸さ】に、私は彼の真の演技を見た。

言うまでもなく、星野源は高名なシンガーソングライターだ。しかし、そのことを微塵も感じさせないほど、適度にいい加減で、適当に調子のズレた鼻歌がそこにあった。しかも、その鼻歌が、この父親のパーソナリティで、アイデンティティで、キャリアで、人生で、生活で、途上であること、すべてを体感させてくれた。

鼻歌は完成しない。完成させたら鼻歌ではなくなってしまう。
だから、星野源は、演技を【完成させない】。
未熟さを【演出】するのではなく、【完成させない】という抑止を施す。
キャラクターは完成しなくていいのだ、という達観が、星野源にはある。たぶん。

「未来のミライ」予告3

星野源は、バックグラウンドで鳴り響く音楽だ。

ボーカルレスな活動を経て、マイクを手にした男は、演技の領域でも、読み聞かせという、透明で思いやりのあるアプローチで、映画を、人物を、日常を、私たち観客を、【背景】から支え、見護り、見据えている。

星野源 – 不思議 [Behind The Scenes]

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