豊川悦司論──卑小な人間を形にしてこそ役者。豊川悦司は平然と、すべてを肯定する。

2021.6.18

(c)2021『いとみち』製作委員会
文=相田冬二 編集=森田真規


1995年のドラマ『愛していると言ってくれ』(TBS)で大ブレイクを果たし、それ以降も映画やテレビドラマで活躍しつづけている豊川悦司。

そんな彼が、青森を舞台にした映画『いとみち』(6月18日から青森先行上映。6月25日から全国公開)に、メイドカフェで働くことになった女子高校生の娘を持つ大学教授役で出演している。

ライターの相田冬二は、「沈黙の中の饒舌も、保護と共にある破壊も、すべてを肯定するためにある」と豊川悦司を評する。俳優の奥底にある魅力に迫る連載「告白的男優論」の第4回、豊川悦司論をお届けする。

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テレビに降り立った異国の王子様

未だに、連続ドラマでの鮮烈な印象が心に焼きついている人も少なくないだろう。

しかし、もし、あなたが、テレビ画面で、彼の姿形に目を奪われたのだとすれば、それはとにもかくにも、【映画的身体】がそこにあったから、なのだ。

つまり、テレビには本来そぐわない【映画的身体】が、当時、けっして大きくはなかったブラウン管サイズ(ハイビジョンサイズではなかった)の画面の中に存在していることの【魅惑的違和感】によって、惹きつけられた。

もちろん、見目麗しい。しかも、うっとりするような長身ではある。しかし、そのような造形美だけで時代の寵児が生まれるはずはない。

【映画的身体】は、横長のスクリーンにこそふさわしい。かつてのテレビは正方形に近いものだった。にもかかわらず、そこに【映画的身体】があった。だから、私たちは驚き、慄(おのの)いた。異国の王子様が降臨したかのように湧き立ったのは、けっして美貌だけによるものではなかった。

豊川悦司に【ファンタジー】を見出している人は多い。だが、その【ファンタジー】は、映画でこそ香り立つことを忘れてはいけない。ワインには、それにふさわしいグラスがあるように、【映画的身体】は、やはり、映画というサイズの中にあって、初めて効力を発揮する。

豊川悦司は、異形の、凶暴な【ファンタジー】なのである。

豊川悦司の【映画的身体】

だから、演劇から出発しながら、間もなく映像を志し、ドラマでブレイクしたにもかかわらず、映画の世界に帰属していくようになった彼のキャリアは、必然なのだ。豊川悦司は映画に【回帰】した。【故郷】に【帰還】したとも言える。テレビの世界には、たまたま【滞在】していたに過ぎない。

現代テレビ界を代表するディレクターのひとりであり、21世紀における最重要映画監督のひとりでもある土井裕泰が、豊川悦司の『愛していると言ってくれ』(この作品で土井はセカンドディレクターだったが、土井演出回のクオリティは抜きん出ていた)と『青い鳥』(こちらは満を持してのメインディレクターであった)を手がけていたのは、今思えば、必然だった。

土井は、映画的演出を心得た演出家なので、豊川との相性は抜群。『愛していると言ってくれ』では、耳の不自由な美貌の画家に恋したヒロイン(常盤貴子)に観る者を安易に感情移入させるのではなく、画家が沈黙することによって豊川悦司の【映画的身体】が際立つようなディレクションがそこではなされていた。

そもそも【映画的身体】とは何か。黙っていても、画面が持つかどうか。すべては、この一点に尽きる。聴覚に障害があることも、美しい芸術家であることも、あるいは、ヒロインとのコミュケーションツールである、あの慎ましい手話でさえ、すべては設定に過ぎない。設定には本質はない。設定は【映画的身体】を際立たせているだけだ。

つまり、豊川悦司は、見つめるに足る身体の持ち主であるからこそ、多くの視聴者の視線を釘づけにした。豊川の身体は寡黙ではない。雄弁であり、饒舌でさえある。たとえ無言でも、その【映画的身体】は常に、私たちに【語りかけている】。

岩井俊二流【ファンタジー】に説得力を与える

フィルモグラフィの黎明期は、やはり時代の寵児であった岩井俊二監督とのコラボレーションが際立つ。テレビ時代からの盟友であり、岩井の劇場用初監督作品にも、長編第1作にも、豊川が登板していることは、岩井にとって幸運だった。

岩井は、もっともらしくメッセージするような監督ではない。映像で【語りかける】詩人である。沈黙の中の饒舌を体現できる豊川悦司という【映画的身体】を得て、岩井は映画でも生き生きと呼吸するに至った。

岩井は、彼独自の【ファンタジー】を奏でる作家だ。だが、その【ファンタジー】は、よく言われるような叙情に閉塞したものではない。もっと、現実と非現実の境界線をヒリヒリと疾走する強靭な物語がそこにはある。

豊川悦司は、荘厳にも存在できるし、軽妙にも存在できる演じ手だが、岩井俊二流の【ファンタジー】を(前者の資質で中編『undo』を、後者の資質で長編『Love Letter』を)支えた事実を見過ごすべきではない。

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豊川の【映画的身体】は、硬軟自在だが、いずれにせよ、一筋縄ではいかない【ファンタジー】に説得力を与える。あるときは、ヘビーに、ファニーに、現実と非現実の狭間に、楔を打つ。

豊川悦司は、ひとつの【気つけ薬】なのだ。ハッと我に返させる力がある。むしろ、そのことによって、【ファンタジー】をより強化する。

岩井俊二が近作『ラストレター』で、まるでラスボスのように豊川悦司を召喚したことは、この理由による。福山雅治が抱える宙ぶらりんの時間を、確実に打ちのめす豊川の、あの破格の説得力! それまでの映画の雰囲気さえぶち壊しかねない迫真のありようによって、【ファンタジー】はより精悍にたくましくなった。

あれが、豊川悦司という演技身体の本質である。

人間の卑小さを形にする


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