『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』佐藤健論──雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう

(c)和月伸宏/集英社 (c)2020 映画「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning」製作委員会
文=相田冬二 編集=森田真規


映画『るろうに剣心』がついに完結する。『るろうに剣心 最終章』2部作の第1弾『The Final』が2021年4月23日に、“十字傷の謎”に迫る『The Beginning』が6月4日に封切られる予定だ。

ライターの相田冬二は、「剣心活劇の最もエモーショナルな点は、その『静止』のありようにこそある」という。そして、2012年に始まったこのシリーズを主演として牽引してきたのが、佐藤健である。

相田冬二が俳優の奥底にある魅力に迫る連載「告白的男優論」の第1回、佐藤健論をお届けする。


『るろうに剣心 最終章』は雪の映画だ

無風のとき、雪は秒速50センチメートルで降ってくるのだそうだ。そして、桜もまた秒速50センチメートルで散っている。
そのことを思い出した。

2020年に起きた世界的厄災によって公開延期を余儀なくされた『るろうに剣心 最終章』。長い長い「冬」を終え、今まさに「春」を迎えようとしている。
だからなのかもしれない。

『最終章』は2部作。『The Final』は雪の映画である。『The Biginning』はさらに雪の映画。雪が降っている。ずっと雪が降っている。

いずれの作品も、緋村剣心の頬に刻まれた十字傷の因縁をめぐる物語。『The Final』は『The Biginning』を内包している。そして、『The Biginning』はシリーズ全体のエピローグであり、プロローグであり、循環するエンドレスループの象徴でもある。

けれども、物語の読み解きよりも、今は。
剣心=佐藤健の肉体が派生させるイマジネーションに想いを馳せていたい。

シリーズの集大成!映画『るろうに剣心最終章 The Final/The Beginning』10周年記念特別映像 2021年4月23日(金)/6月4日(金)2部作連続公開

剣心=佐藤健の「静止」

とりわけ第2作『京都大火編』に顕著だが、剣心活劇の最もエモーショナルな点は、その「静止」のありようにこそある。

あたかも歌舞伎で見得を切るように、剣心が「静止」し、この物語世界と映画そのもののエネルギーを溜め込み、あるとき一気に放出する。「静止」とは放出の予感にほかならない。だから人は「静止」を目の当たりにしたとき、その予感にときめき、慄(おのの)き、打ち震えるのだ。

映画『るろうに剣心 京都大火編』特別予告 2021年4月9日(金)期間限定公開

これは理屈ではない。ほとんど生理的、本能的な反応だ。佐藤健は、このテコの原理を最大限に活用し、己の「静止」に観客の眼差しを惹きつけ、劇場空間のスクリーンを「一時停止」させる。やおら「ポーズ」が解除され、怒涛のアクションが開始される。恐るべき緩急。だが、肝要なのは、一瞬の寸止め、永遠の寸止めが銀幕に刻印されている点だ。

緋村剣心=佐藤健は、肉体の「静止」が、映画を輝かせることを知っている。知り抜いている。凄まじい活劇の躍動は、痛快なエピローグに過ぎない。ピークは「静止」にこそある。

だから、「静止」は身体的な具体であると同時に、抽象的かつ深遠な、精神の陰影をかたちづくることにもなる。

映画『るろうに剣心 最終章 The Final』より

緋村剣心は、人を殺めることをやめている。つまり、斬ることを「静止」している。だから、「静止」は、精神の表れであり、殺戮の過去に対する懺悔であり、多くの散った命への祈りなのだ。

つまり、剣心=佐藤健の「静止」が、私たちの心を震わせることには、確かな理由がある。

この世には、溶けない雪がある。


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