映画『ホムンクルス』に見る俳優・綾野剛──弱者を護ることができるのは弱者だけだ。

2021.4.2

(c)2021 山本英夫・小学館/エイベックス・ピクチャーズ
文=相田冬二 編集=森田真規


2021年4月2日に公開された映画『ホムンクルス』。主演を務めた綾野剛が扮するのは、第六感が芽生えるという禁断の手術を受け、人間の深層心理が視覚化されて見えてしまうようになった男。

本作での綾野剛の演技について、ライターの相田冬二は「【弱者】が【弱者】を護る、これからの時代を体現している」と評する。俳優・綾野剛が2021年に辿り着いた境地に迫る。

これからの時代を体現した俳優

いつから、この俳優は、混迷の現代に、こんなふうに優しくフィットする存在になったのだろう。

最新主演作『ホムンクルス』を観て、ため息が漏れた。

映画「ホムンクルス」2021年4月2日(金)全国公開 / 予告60秒ver.

格差社会が叫ばれてから久しい。経済的なことだけではなく、アイデンティティや精神をめぐる諸問題は、激変する時代環境のもと、それでも頑として多様性を排除しようとする旧世代からの抑圧が招き起こしているようにしか感じられない。

刻一刻とあらゆることが変わりつつあるにもかかわらず、決然と無視し、一人ひとりの尊厳を踏みにじる巨悪。コロナ以後、世界が迷子に突入し、よりいっそう格差の嵐は吹き荒れるばかりだ。

まだ始まったばかりの2020年代は、【弱者】の時代と呼んでいいと思う。あなたも【弱者】。私も【弱者】。陰謀論が跋扈しているのは、私たちの不安につけ入る時代だからだ。途方に暮れるしかない時代でもある。

【弱者】の時代を救うのは、完全無欠のヒーローではない。英雄らしい英雄など誰も求めていないし、ヒーローが私たちを救うことを信じられるほど呑気な時代ではもはやない。

【弱者】を見つめ、寄り添い、護ることができるのもまた【弱者】であるということ。

綾野剛の近年の出演作を観るたびに、そのことを痛感する。

強者が弱者を救えた時代は、まだ平和だった。そして、そんな悠長な時代は完全に過ぎ去った。

綾野剛は、【弱者】が【弱者】を護る、これからの時代を体現している。

『ホムンクルス』より

『怒り』から5年。綾野剛が見せた驚くべき熟成

社会的マイノリティを明確に演じた最初は『怒り』(2016年)だったか。ここでは正体不明の同性愛者に扮したが、物語のミステリー要素を背負う謎の部分よりも、【精神の孤児状態】が鮮烈だった。しかし、彼が演じた【弱者】は、単に被害者的なムードをまとう存在ではない。彼を保護する妻夫木聡扮する男はカミングアウトをかわして生きているが、そんな彼の心性に変化をもたらした。

つまり、保護しているつもりの妻夫木が、実は綾野に保護されているという状態。演技の入れ子構造。成り切り型の妻夫木のアプローチとは対照的な、淡々と繊細に、スライスしたファクターを積み重ねていく綾野の手法は映画に陰影をもたらし、【弱者】が【弱者】を護るという最新の普遍を顕在化させた。

妻夫木が綾野剛にまたがり強引キス…映画『怒り』予告編第2弾

ある場面では、綾野剛の表現が、妻夫木聡の表現を抱擁している瞬間があり、二重三重に万華鏡化した演技的ラビリンスに眩暈を覚えるほどだった。

『怒り』から5年。『ホムンクルス』において綾野は、【弱者】が【弱者】を護るという構造を、驚くべき熟成へと導いた。

頭蓋骨に穴を空けると、他人の深層心理が視覚化されたものが「見える」ようになる。そんな奇抜な設定の物語だが、記憶を失ったまま車上生活を送る主人公は、金には困っていないが、寄るべなき日常をホームレスたちと過ごすしかないという孤立を生きており、綾野が演じることで俄然、映画が内面世界へと突入することになる。

綾野剛が演じる主人公・名越進は、記憶喪失のため車で生活せざるを得なくなっていた

そう、『怒り』同様、またしてもストーリー上のスリリングな真相などはどうでもよくなる。それよりも、人間はなぜ生きるのか、生きなければいけないのか、という根源的な問いに観る者を直面させる。その要因は、綾野剛の演技にある。

記憶喪失者という【弱者】が、特殊能力を得て【強者】に変貌する、というわけではない。主人公は【弱者】のまま、さまざまな混迷を抱えて生きる個性もバラバラな【弱者】たちを、男女問わず、受け止めていく。受容し、諭す、静かにして懸命なありようは、聖職者を思わせるほどだ。

『ホムンクルス』の綾野剛は、転生したイエス・キリストをイメージさせる。キリストは強者ではなかった。【弱者】だった。【弱者】が【弱者】を救済していた。綾野を見ていると、そのことに気づかされもする。

十字架に磔(はりつけ)になり、荊の冠を被さられ、それでもなお祈るキリストの精神は確かにタフかもしれない。だが、状況的には【弱者】にほかならなかった。

『ホムンクルス』の主人公もまさにそうだ。自分探しをしながら、幼少期などの忌まわしい記憶を封印して生きる者たちの深層に、傷だらけになりながら血だらけになりながらタッチする。

たとえば、ヤクザに扮した内野聖陽に、綾野剛がどのように声をかけていたか。あの優しさ、弱々しさ、カジュアルさ、率直さがない混ぜになった音響によるメッセージは、感触それ自体が現代の救世主のようである。

内野聖陽が扮するヤクザの組長のトラウマと向き合うことになる名越

若きマッドサイエンティストならぬクレイジードクターである成田凌が綾野剛をスカウトするところからすべてはスタートするのだが、綾野と成田の関係性もまた【弱者】が【弱者】を護る構造にほかならない。この支配、被支配が反転していく成り行きは、『怒り』を彷彿させもする。

成田凌が演じる研修医・伊藤学が、名越の頭蓋骨に穴を空ける手術を施すことから物語はスタートする

『怒り』と『ホムンクルス』は、新宿という地場で結びついていることも忘れてはいけないだろう。

多様な役を経て到達した『ホムンクルス』


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