多様な役を経て到達した『ホムンクルス』
綾野剛は、もともと【震え】を感じさせる俳優だ。初期の『孤独な惑星』(2011年)などは、濡れた仔犬か仔猫のようだった。そこでは、男女の性差さえ曖昧で、ただ、【震える生きもの】としての残像が豊かである。
綾野の見逃せない特性に、ハイブリッド感が挙げられる。どこか【あいのこ】のようでもあるのだ。仔犬と仔猫の混血。男性と女性の混血。爬虫類と両生類の混血。中性的ではない。どちらでもないし、どちらでもある。だから、存在のテクスチャがとりとめなく、そして、かけがえがない。
たとえば『シャニダールの花』(2012年)なんて、植物と人間の【あいのこ】のようだったではないか。
だから、『怒り』の綾野剛は【精神の孤児状態】を可視化し得たのだと思う。どこにも属していないからこそ【弱者】。自分以外の別の【弱者】を見つめ、寄り添い、護ることができる【弱者】なのではないか。
独りぼっちだからこそ、誰かを護ることができる。そのような最新の普遍にも辿り着かせるような表現を、2021年の綾野剛は見せている。
誰かを護るのは、もはや母性でもなければ、父性でもない。最も近くて、最も遠い【隣人】こそが、現代に優しい。
凶暴な役、快活な役、ドリーミンな役、颯爽とした役もこなしてきた。しかし、『怒り』以降は、『楽園』(2019年)、『閉鎖病棟 ─それぞれの朝─』(2019年)、『影裏』(2020年)と、それぞれ違ったキャラクターで【追い詰められるマイノリティ】の危機的魂を体現(私は密かに「【弱者】3部作」と呼んでいる)、その先の『ホムンクルス』に到達した。
今年公開されたもうひとつの主演作『ヤクザと家族 The Family』(2021年)が、ヤクザを【弱者】と捉えていることは偶然ではないだろう。
綾野剛フィルモグラフィの中では『日本で一番悪い奴ら』(2016年)の系譜に思わせて、似ても似つかぬ領域に、それはあった。最終盤における綾野剛、渾身の表情は、究極の貴腐ワインを想起させるほど、熟成し切っていた。あれは【弱者】を極めた顔だった。
【弱者】は、【弱者】を救わない。ただ、見つめ、寄り添い、護るだけだ。【弱者】は【弱者】として生きるしかない。
だが、【弱者】を護る【弱者】は、なんて優しいんだろう!
2021年現在、銀幕の綾野剛は、アフターコロナの現代を、どこまでもどこまでもいたわっている。
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映画『ホムンクルス』
2021年4月2日(金)より期間限定公開
監督:清水崇
原作:山本英夫『ホムンクルス』(小学館『ビッグスピリッツコミックス』刊)
脚本:内藤瑛亮、松下育紀、清水崇
音楽:ermhoi、江﨑文武
メインテーマ:「Trepanation」millennium parade(ソニー・ミュージックレーベルズ)
出演:綾野剛、成田凌、岸井ゆきの、石井杏奈、内野聖陽
配給:エイベックス・ピクチャーズ
(c)2021 山本英夫・小学館/エイベックス・ピクチャーズ関連リンク
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