星野源論──サウンドとしての芝居。星野源的バックグラウンド表現を考える。

2021.6.30

(c)2020 映画「罪の声」製作委員会 (c)塩田武士/講談社
文=相田冬二 編集=森田真規


音楽家、俳優、そして文筆家。そのどのジャンルでも稀有な存在感を放っている星野源。

ライターの相田冬二による連載「告白的男優論」の第6回では、2021年4月に配信リリースされた楽曲「不思議」、昨年公開された映画『罪の声』、2018年に公開されたアニメーション『未来のミライ』などを取り上げつつ、俳優・星野源の奥底にある魅力に迫る。

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星野源が演奏家であったことは、彼の演技に影響を与えている

2003年の舞台『ニンゲン御破産』で彼を初めて知った私にとって、星野源はずっと俳優だった。

この表現者のキャリアを考えるとき、重要なのは、音楽活動においては、インストゥルメンタルバンドからスタートしていることではないだろうか。SAKEROCKの結成は2000年。星野源がひとりの歌い手としてデビューしたのは、それから10年後のことだった。

つまり、公式にひとりで歌い出すより先に、他者を演じていた。
おそらく、彼が演技者であることは、音楽家である彼に影響を与えている。
そして、彼が演奏家であったことは、彼の演技に影響を与えている。
そして、それらは、今、相互作用として、それぞれを補完し合っている。きっと。

公私を乳化する読み聞かせ

今年、デジタルののちにCDリリースされた楽曲「不思議」は、映画俳優、星野源をどう捉えるかについての大いなる気づきを与えてくれた。

星野源 – 不思議 (Official Video)

星野は、これまでもそうだったが、シャウトを避けている。アップテンポの曲でも、英語の曲でも、そうだ。叫ばない。歌い上げない。無論、コブシなどまわさない。

声質や声量によってそうなっているのではなく、これは明確に、そのように選択されている。意志と意思の発露だ。だが、囁くように、と表現するなら、ただのムードに堕す。星野源は、ムードを選んでいるわけではない。

それは、読み聞かせに近い。絵本や童話を、子供(たち)のために朗読する行為を、読み聞かせと云う。それは、プライベートな振る舞いであると同時に、極めてオフィシャルな(対外的、社会的な)行動だ。たとえ、自分の娘や息子に対して、あくまでも家庭内で行っていたとしても、そこでは、私的なものと公的なものが交錯しているし、混ざり合っている。

読み聞かせをしたことがある人なら、わかっているはずだ。あなたは、母親を演じている。あなたは、父親を演じている。あなたは、読み聞かせする大人を演じている。

彼は、公私を乳化する読み聞かせを、音楽と演技の双方で行っているのだ。

そして、このことは、彼が空前絶後の人気者であることの背景に、歴然と横たわっている。私たちは、彼の声を前に、読み聞かせされる子供(たち)と化しているのだ。

「不思議」は、この読み聞かせ唱法が極まっている。コロナ禍のリアルな(抽象濃度もかなり高めの)ラブソングとして、おそらく音楽史に記録される名曲だが、驚かされるのは、その発語。【地獄】という、めったなことでは口にできない語句が、いささか唐突に、しかし、平然とした面持ちで姿を現すが、これが言葉の意味だけでは捉えきれない優しさ、柔らかさで、無限の多様性がある。遠近感が歪み、そのあとに消失する。【地獄】の禍々しさが脱臼し、治癒してしまったかのような錯覚。

「不思議」は、別な意味でも衝撃だった。私は、この曲を何度も何度も聴くことで、映画俳優、星野源が放つ、底知れぬポテンシャルをようやく理解するに至った。

星野源は、演技を【完成させない】


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