身体性が希薄な時代に、皮膚や四肢から「私」の境界線を考えるふたつの展示

2021.2.13

「境界」が提示する、世界の見え方の多様性

『第二のテクスチュア(感触)』がこびりつく“外側”への違和感から純然たる“内側”を追求するものだとすると、『アネケ・ヒーマン&クミ・ヒロイ、潮田 登久子、片山 真理、春木 麻衣子、細倉 真弓、そして、あなたの視点』は、“外側”すなわち世界の見え方の多様性を提示する展覧会だ。

アネケ・ヒーマン&クミ・ヒロイ「Remodeling Shiseido Gallery edition」(2020) (c)Anneke Hymmen & Kumi Hiroi

資生堂ギャラリーで開催中の同展では、写真表現を軸として活動する5組のアーティストによる「境界」をテーマにした作品が展示されている。

広告を下敷きにしながらまったく別の視点から問いを投げかけるアネケ・ヒーマン&クミ・ヒロイ、本の佇まいから本や持ち主の背景を浮かび上がらせる潮田登久子、身体の表象をベースに人種や国籍、人や植物、有機物と無機物といった“あって然るべき”境界を再編するコラージュを制作する細倉真弓……。

各作家の「境界」に挑む視点の違いはもちろん、鑑賞者自身の意識してきた/してこなかった、共感する/しないといった境界への視点が浮き彫りにさせられる。

中でも最も新鮮な視点を与えてくれたのは、片山真理の作品だった。

同展で発表されているのは、先天性の四肢疾患によって9歳のときに足を切断した片山が身体を起点に、自らの“手”を模した手縫いのオブジェを“脚”として履いたセルフポートレート。

片山 真理「shadow puppet #014」(2016) (c)Mari Katayama.

糸と針を用いて世界との境界線を縫い広げる片山の作品からは、「境界」という言葉から感じられるネガティブ性を帯びた「違い」や「受動性」ではなく、ポジティブなイメージや主体性が感じられた。自分の身体を自由自在に拡張しながら、世界との関わりを模索できるのだという境界の可変性が、私に新鮮な視点をもたらしてくれたのである。

この世に存在する以上、“皮膚”および世界から逃れることはできず、すなわち“食って食われる”ことから逃れることができない。そうであるならば、せめて世界とフェアに殴り合いたい。

“皮膚”が「私」を侵食する違和感と、「私」が身体を押し広げていく主体的な試み。

ふたつの展示から、そんなことを想った。

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