身体性が希薄な時代に、皮膚や四肢から「私」の境界線を考えるふたつの展示

2021.2.13

文=佐々木ののか 編集=碇 雪恵


他人との接触を控えざるを得ない日々がつづく。コミュニケーションの手段はおおかたオンラインで代替できるが、良くも悪くもそこに身体性はない。またネットでのコミュニケーションツールの代表といえるSNSは、自他の境界を曖昧にし、異なる意見への不寛容を加速させている。

そんななか文筆家の佐々木ののかが、山内祥太『第二のテクスチュア(感触)』(TOH/2021年1月10日~30日/企画:FL田SH 吉田山)と『アネケ・ヒーマン&クミ・ヒロイ、潮田 登久子、片山 真理、春木 麻衣子、細倉 真弓、そして、あなたの視点』(資生堂ギャラリー/2021年1月16日〜4月18日)のふたつの展示から、「私」の境界線について考える。

自我から解放された先にあるのは、快楽か虚無か

私は昔からコミュニティというものがとても苦手だ。

単に人間が苦手だということもあるけれど、1対1のコミュニケーション以上に嫌な感じがある。面と向かって感じる違和感には真っ向から対応する余地があるのだが、自分には見えないところで醸成される“空気”を知らぬ間に吸ってしまっているような、それをもって自分が侵されているような、そんな感覚に陥るのである。

だから、好んで何かに属すことはない。そういうものを、避けられるだけ避けて生きてきた。

しかし、そうして私を脅かすのは、コミュニティばかりではない。社会が、SNSが、衣服が、私の触れるすべてが私を覆っていく。自分と、その外側の境目を曖昧にする。

──どこまでが私の意志や思考で、どこまでが外界によってもたらされたものなのか。

アーティスト・山内祥太の個展『第二のテクスチュア(感触)』は、そうした幾重にもなる“皮膚”への違和感と抵抗を表した展示ではないかと受け取った。

photo by Koichi Takemura

同展は、「顔」をテーマにした短編小説を中心としたインスタレーション。顔がない主人公が自分探しの旅に出る、漫画家・諸星大二郎の「カオカオ様が通る」に影響を受けた山内が、同作の世界観を下敷きにしながら新たな物語を充填したかたちだ。

初日はタトゥーアーティストを招き、山内の背中に顏のイラストのタトゥーを彫るパフォーマンスを実施。タトゥーの絵柄にはメインビジュアルにもなっている作品「カオ2」でも転写されている顏を採用したほか、短編小説や映像内で登場する「顏(仮面)を被る」という概念などが織り込まれる。台座の上で施術を受けることで、自らの身体を各作品のエッセンスを凝縮した彫刻作品として完結させていると感じた。

photo by Koichi Takemura

インスタレーションでは、“カオ”が取り替え可能になった奇妙な世界が描かれる短編小説をベースにしつつも、球体関節人形の胴体(トルソ)を胸部と胴部で切り離して向かい合わせた彫刻、作家本人のカオの素体に粘性のある他人の顔のテクスチュアが重なっていく映像作品など、各作品が影響し合って互いの輪郭を変容させていく。

展示空間全体が、覆い被さってくる外側と「私」を俯瞰した環境でありながら、そこに佇む鑑賞者である私もまた輪郭を脅かされるような不思議な感覚に陥った。

また、どの作品も不気味な「視覚作品」でありながら、フェティッシュな快楽を皮膚感覚に訴えてくる。

短編小説『第二のテクスチュア(感触)』を分節化した映像 photo by Koichi Takemura

たとえば、展示の中核をなす短編小説には、ユニクロでカオが買えること、カップルは同じカオにするのが流行っていること、“ヒフカ”で“ステロイド風呂”に浸かると目や鼻や口といったカオのパーツが溶け出してしまうことといった気味の悪い設定が淡々と描かれるが、当の登場人物たちは気持ちよさそうだ。

ステロイド風呂に浸かり、カオのパーツが身体まで流れ出てしまった主人公の「姉」は、作品内でこう語る。

「カオの痛みはとれていくわ。それと同じようになんか今まで考えてた凝り固まった価値観とか全部、ボロボロ落ちていくようなそんな気分なの。でも察するにあなたたちの価値観からすると私はお化けよね」

自我が溶け出した見た目の不気味さに対する報酬としての快楽。それにはどこか憧れにも似た感情を感じる。一方で、表層に折り重なっていく思想や情報を根こそぎ落としたいという欲望、純然たる「私」を見出さんとする執念を突き詰めた先には肉の塊しかないのかと思うと虚しい気持ちにもなる。

フィクションだからと突き放してしまいたいが、物語内に山内自身が主人公として登場することで、虚構が拡張して現実を浸食してくる。

視覚情報しかないにもかかわらず、実際に触られているような「感触」が不気味で、しかし心地よい。接触が忌避されるこの時代において求められる“安全な”第二の感触とは、触覚に訴える視覚情報なのではないだろうか。

付着して自我となる“外側”と決別することはできるのか、自我から解放された先に何があるのかはわからない。私たちは自分のカオを求めて死ぬまで旅をつづけるのだろう。

それはそうと、“ヒフカ”で施される“ステロイド風呂”。差し出されたら最後、私はその誘惑に負けそうだ。

「境界」が提示する、世界の見え方の多様性


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