「怖い」はどこから生まれるのか?怖過ぎて4万ファボされた神戸のお面から考える

2020.11.21

人ならざるものだから怖いのか

はらだ この目元が笑っているのは、楽しいのか怖がらせるのかどちらなんでしょうね。世間一般的には未だに、女の子は「にこにこしていなさい」と言われがちですが、時には強要されるものでもある「笑い」が一周回って怖く見えるというのは、弱者が一転して力を持ったようでもあります。この表情に「ほら、笑えって言うたのお前やろ」って笑いながら怖がらせるみたいなイメージも感じました。

撮影:来田猛

藤野 笑っている顔が怖いということで思い出しました。ホラー映画やちょっとしたドラマなんかでも、たまに笑っている女性の幽霊が登場しますね。

はらだ 顔の側はどう思っているんでしょうね。「怖い」っていうのは見る側の感想ですが、見られている作品自体はどうなんでしょうか。

谷澤 わたしはそもそもお面という想定で作っていて、顔だと思ってないんです。

藤野 お面っていうもの自体が不気味ですよね。すでに怖いっていうものを含んでいる。

谷澤 中の表情が見えないから。

はらだ 中が見えないのに表層は感情を表しているから怖い。

谷澤 ちょうど制作していたときは緊急事態宣言で美術館も図書館も閉まっていたので資料を探すのもなかなかで、国立民族学博物館のデータベースで世界中のお面をいろいろ見た結果、ちょっと目がついているだけでもお面になるし、どんな形でも成り立つんやなとわかって、それが作るときのヒントになりました。
お面らしいものを作ろうとしたけど、どういう形でやってもお面になるので、『セーラームーン』のちびうさというキャラクターが持っているルナPボールから着想を得ました。

美術作家の谷澤紗和子氏「お面という想定で作っていて、顔だと思ってない」(写真提供:六甲ミーツ・アート 芸術散歩2020)

はらだ ルナPボール! 私は鑑賞者として、これはお面じゃなくて顔だと思っていました。だから対話することができたらいいな、と。ちなみに谷澤さんは、これは意思の疎通ができるものかできないものかどう捉えているんですか。

谷澤 できないかな。木霊の言うがまま。見ている人がなんぼ語りかけても同じことしか言わない。自分で答えを見つけないといけないような存在。

藤野 どちらの道を選んだ人にとっても後押しになるようにっていうのを、それだけを考えていたので、造形面については完全に谷澤さんにお任せしました。結果、人間の反応によって傷ついたり怒ったり悲しんだりすることのない、私たちとは違う次元にいる強力なものができ上がっていると感じています。

小説家の藤野可織氏「木霊は無敵。強そうに見えて好きです」(写真提供:六甲ミーツ・アート 芸術散歩2020)

はらだ この作品を作ったおふたりが、「この木霊は、人間の行動には影響を受けない」って言ってくれるのは、少し突き放しているように見えて、木霊そのものを守るようでもあると思いました。相手の心情を想像したり寄り添ったり、気遣ったりする行為って、ある意味では見ている側の勝手な解釈で、エゴイスティックにもなり得ることだけど、お面が鑑賞者の影響を受けないと言われると、力強いし心強い。
ふと、能の『山姥』という演目のことを思い出しました。山姥の歌を歌って評判になった、百万(ひゃくま)という名の芸能者が、京都から信濃に行く道中で、自分が元ネタにしている本物の山姥と出会ってしまう。山姥は超怒っていて、「私をネタにした歌を、私にも聞かせてみろ」と言う。怯えながらも百万が歌を披露すると、山姥は舞い踊りながら心を慰められ、いつしか穏やかになって山へ帰っていく。山姥自身も山の中で自分の存在を忘れそうになっていたんだけど、第三者である百万が自分を語ったことで、自分の輪郭を取り戻した……という話だと私は解釈しています。「怖い」ものが必ずしも「強い」わけではない。だから、木霊が何からも影響を受けないと聞くとほっとします。

“テキストレーター”のはらだ有彩氏「怖いと感じることと怖いと感じるものが悪いものであるかどうかは別」(写真提供:六甲ミーツ・アート 芸術散歩2020)

藤野 そのお話大好きです。山姥を愛しく感じます。

はらだ この作品が「刺さる」人は、その揺らがなさに安寧を見出すのかもしれません。

トークイベントでは司会を担当した、本稿の筆者である太田明日香(写真提供:六甲ミーツ・アート 芸術散歩2020)

女性の側から「怖い」を捉えてみると

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