「怖い」はどこから生まれるのか?怖過ぎて4万ファボされた神戸のお面から考える
このツイートがきっかけで話題になったアート作品がある。今年で11回目となる、六甲山で開催中の『六甲ミーツ・アート 芸術散歩2020』で六甲高山植物園に展示されている『木霊(こだま)』と題された作品。
「怖っ」「字体も文章も怖すぎ」「目の中にもなんかいる」といったコメントと共に1.5万リツイートされ、4.4万ファボがついた。さらにはその噂を聞きつけ、テレビ取材までもがやって来た。
制作したのは美術作家の谷澤紗和子さんと、小説家の藤野可織さんのユニット。ところがおふたりともそもそも怖がらせようという意図はなく、「怖っ」とひと言ですまされることにモヤモヤしたのだとか。
そこで、さまざまな昔話に登場する女の子を現代の目線から読み解いた『日本のヤバい女の子』(柏書房/2018年)のはらだ有彩さんを迎え、2020年11月8日、六甲高山植物園で「怖いってなんだろう」ということについてあれこれ話しながら考えた。その模様をお届けします。
どうして「怖い」と感じるのか
――そもそもおふたりは怖がらせようと思って作ったんでしょうか。
谷澤 『木霊』は木の精霊なんですけど、「人ならざるものの語り」をテーマした作品で、怖がらせようと思って作ったつもりはありませんでした。
藤野 私も怖いものを書くつもりはなくて、人が危機に直面したときに、立ち向かうか逃げるかという選択肢があって、どちらの選択肢もその人にとっては正しいもので責められるものではない、ということを真剣に考えた結果こういう文章を書きました。
――はらださんはこの作品を観て、どんな感想を持ちましたか。
はらだ 「怖い」っていう意見もわからなくもないし、でも私自身は「怖くない」って気持ちが勝っています。「怖い」という人がどうしてそう感じるのかを考えてみると、笑っている理由がわからなくて、感情を読み取ることができない。それから、文字が見慣れたあしらいではない。
しかも、文章の意味がわかりそうでわからない。そして、顔の正体がわからないという4つの理由があるんじゃないでしょうか。わからないから、危険なものではないと証明ができない。でも、「怖いと感じること」と、「怖いと感じた対象が悪いものであること」は必ずしも一致しないんですよね。
谷澤 文字について言えば、(松の木)の作品は日本語を書いたことがないような人が日本語を見て書いたような字にしようとオリジナルの文字を作って、はねやはらいなどは日本語のフォントにあるようなものとは違うものにしました。
はらだ 人ならざるものが文字風のものを見様見真似で書いて、自分ではうまく書けたと思っているけど、人のほうからすると変じゃない?と思っている感じですね。
谷澤 (榎の木)は染色工芸家の芹沢銈介が作った文字絵のデザインを取り入れています。型染めは型を使って色をつけるのですが、「こだま」には音が反響するエコーという意味もあるので、そのイメージに重ねて「複製」を制作手法に取り入れたんです。
ちなみに複製で言うと、ひとつのお面がもうひとつのお面の型になっていて、ステンシルのように黒いスプレーを吹きつけて写し取りました。また、目の中にも顔があって、この本体がどこにあるかわからない感じも怖いのかもしれませんね。
はらだ 文章の意味がわかりそうでわからないということも関連しますよね。「おーい」と書いてあるから話しかけられている気がするけど、そこから先の文章には違和感がある。コミュニケーションしているようで噛み合っていない感覚に怖さを感じるのかもしれません。
藤野 そうですね。もともと、木がしゃべったとしても、木は人間のことは興味がないだろうから人間についての話はしないだろうなあと思っていました。きっと人間には理解できないことを話している。でも点が3つあれば顔に見えるように、話す声を聞いたら人は、あれは自分が理解できる、自分に何か関係のある話なんだと思うんじゃないかと思います。