私たちは、四十路を迎えた碇シンジである──『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』レビュー

2021.1.11

個的なシンパシーから、公的なシンパシーへ

まず、「非常事態宣言」というワードが目を引く。明滅する文字の連なりは、昨年から今年にかけて二度にわたって発令されることになった「緊急事態宣言」と間違いなくクロスする。だが、襲来する使徒を、コロナになぞらえても意味はない。前述したとおり、エヴァは勧善懲悪のヒーローものではないからだ。

私たちが生きているコロナ以後の世界は、使徒が襲来するエヴァ世界に似ているのではなく、主人公、碇シンジの心象に接近している。ファザコンで、マザコンで、逃げてばかりいるからこそ、「逃げちゃだめだ」というフレーズを呪文のように唱えるシンジ。

誰も、守ってくれない。ぼくはひとりぼっちだ。同い年の異性のパイロットは、愛されている。ぼくは、ちっとも愛されていないのに。どうして。どうして、ぼくばっかり。どうして、あいつばっかり。どうせ、ぼくはだめなんだ。ぼくは、ぼくだから、だめなんだ。

そんな堂々巡りの心の叫びは、今の私たちにそっくりだ。

国は、守ってくれない。こんなに大変なのに、何もしてくれない。不安で不安でしょうがない。あの業種は優遇されている。自分の業種は冷たくされている。どうして。どうして、何もしてくれないんだ。どうして、救ってくれないんだ。この仕事はあってもなくてもいいものなのか。自分は結局、その程度の存在なのか。要らないんだ。自分なんて要らないんだ。

孤独。孤立。恐怖。疎外。嫉妬。怒り。哀願。否定。自虐。自滅。

負の連鎖。かつて、シンジへの共感は、観客それぞれの人生に照らし合わされた個人的なものだった。つまり、プライベートなシンパシーだった。

(c)カラー

だが、2021年に『:序』を目撃するということは、パブリックなシンパシーを抱え持つことに等しい。

私たちは、碇シンジだ。

出口も先行きも見えない、どこまでつづくかわからない、長い長いトンネルで、寝ては覚め、寝ては覚めを繰り返している。『:序』で描かれているように、いい夢を見ることはできない。もちろん、いい夢も待ってはいない。

それでもシンジがエヴァに乗るように、私たちもまた、この世界でどうにかサバイブしていくしかない。

2020年は、世界中のあらゆることが危機に瀕したが、芸術も例外ではなかった。映画も、アニメーションも、圧迫された。どうにかこうにか、かろうじて生き延びているに過ぎない。

今、この瞬間の芸術に必要なのは、崇高さでも、美しさでもなく、耐久性だと思う。踏まれても、蹴飛ばされても、放置されても、生きつづける耐久力、生命力、しぶとい力。

エヴァにも、『:序』にも、それがある。個的なシンパシーから、公的なシンパシーへ。

エヴァという生命体は、まさに覚醒しつつあるのではないか。


四十路を迎えた碇シンジの行方を、次なる『:破』で、さらに考えてみたい。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 EVANGELION:2.22 Promotion Reel


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  • 映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』

    原作・脚本・総監督:庵野秀明
    監督:摩砂雪、鶴巻和哉
    キャスト:緒方恵美(碇シンジ)、林原めぐみ(綾波レイ)、三石琴乃(葛城ミサト)、山口由里子(赤木リツコ)、立木文彦(碇ゲンドウ)、清川元夢(冬月コウゾウ)
    製作:カラー
    制作:スタジオカラー
    (c)カラー
    ※『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』はAmazon Prime Videoにて見放題独占配信中


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