予備知識ゼロの『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』レビュー。日本人の本能が『鬼滅』を求めていた

2021.1.11

(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
文=相田冬二 編集=森田真規


コロナ禍に揺れた2020年、日本社会を席巻したのが『鬼滅の刃』の空前の大ブームだ。『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は、日本における映画の興行収入歴代1位に輝いた。

本稿では、アニメでもマンガでも『鬼滅の刃』に触れたことがなかった映画批評家の相田冬二が、予備知識ゼロで『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』を鑑賞し、レビューする。

「そして、はっきり想う。今、大切なのは、自虐ではなく、反省なのだと」と評するに至った経緯とは──。

※この記事は『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』のネタバレを含んでいますのでご注意ください。

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自虐より反省。罵倒より対話。『鬼滅の刃』の社会的メッセージが、突き刺さる。

マンガは1ページも読んでいない。テレビのアニメも1秒も観ていない。予備知識ゼロで、劇場版だけを観に行った。日本で一番ヒットした映画になる直前のことだった。

多くの人々に支持される作品に対して、映画好きはとかく批判的になりやすい。上から目線で「それほどでもないぜ」と呟き、「あの名作に比べたら」などと、最もやってはいけない破廉恥な行為をしがちだ。そんな程度のことでマニアを気取る。自分の立ち位置が保証されると信じる。愚かなことだ。

だが、本作へのアンチテーゼはほとんど見当たらない。幼稚園児に見せるには残酷な描写がある、そのくらいではないか。作品世界はまったくと言っていいほど、否定されていない。

おそらくそれは、この映画に「愚かなことを抑止する」作用があるからではないのか。

何かと何かを比べて、どっちがすごいとか断定することの、脱力するほどの無意味さ。ちょっとした綻びや、重箱の隅をつついて、自分はこんなにモノをよく見て、いろんなことを知っているんだぞ、と誇示することの、途方もないくだらなさ。

ネットに跋扈する、この手の振る舞いがいかに馬鹿馬鹿しいか、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は気づかせる。いや、そうした、人間の愚かな本能を、ころっと忘れさせる、まっさらで洗いざらしのエネルギーがみなぎっている。

劇場版「鬼滅の刃」無限列車編 本予告

日本人には、然るべきタイミングで身を清め、前に進もうとするDNAのようなものがある。今年はそういうわけにいかなかった人も多いとは思うが、だから年始には神社仏閣を詣でる。この「詣でる」感覚が、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』に引き寄せられたのではないか。女性も男性も。老いも若きも。

これが、予備知識ゼロの人間が想う『鬼滅の刃』の魔力だ。

あくまでも結果論ではあるが、緊急事態宣言と緊急事態宣言の狭間の秋口の公開だったことも大きい。心身共にひどいコロナ疲れに苛まれていた私たちは、年越しを待たずに「身を清める」必要があった。本能が『鬼滅』を求めていたのである。

映画史に輝く興行収益記録は、必然であった。

私たちは「接近」を望んでいた


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