VTuber出雲霞の「卒業」を考察。「出雲霞」を愛した「出雲霞」は、引き伸ばすことを選ばなかった

2020.11.8


未来に向けて動き始める物語

「(私は)みんなと過ごせる時間を終わらせたくないなって、たぶん思うんですよ。だから蛇足になるってわかってても、いつかこうやってきれいに終わったはずの物語が破綻してしまうってわかってても、どうしてもお別れを先延ばしにしちゃったんだと思うんですよね」「出雲霞は出雲霞のまま、私が私のまま、一番私が胸を張って私だって言える今のまま、出雲霞の時間を止めたい」

「10月13日は出雲霞のお誕生日?【出雲霞/にじさんじ】」
10月13日は出雲霞のお誕生日?【出雲霞/にじさんじ】

何か別の言いわけを作って延命させることは、本編の持つ物語の理念を捻じ曲げることになってしまう。物語というのは「過去」を書き留めるものであり、成長は別物、物語を読む人にとっての妨げである、というジャッジをしたらしい。

また配信するのがAI出雲霞だとした場合、オリジナル出雲霞(成長して20歳になったほう)が疎かにされる。むしろ未来に向けて動き始めるオリジナル出雲霞のための物語だったのに、その足をAI側で引っ張るのは本来の物語を根幹から台無しにしてしまうことになる。

「出雲霞の物語はほかの誰でもない出雲霞のための物語なので、今まで本当に見守っててくれてありがとうございました」

「10月13日は出雲霞のお誕生日?【出雲霞/にじさんじ】」

VTuberというツールを使った創作活動

完結することで、彼女は視聴者側に与えられた「コンテンツ」になった。コンテンツ化したあとは、図書館に本を並べて貸し出すかのように、自由に物語を受け止めてよくなった。ゆえに、出雲霞のチャンネルやツイッターとコンテンツはほぼすべて、これから観る人のためにそのまま保存されることになった。

卒業前の数日間の配信で、物語以外の部分の風呂敷も畳み切った。まず「エンドロール」として登場した複数人の出雲霞全員を振り返り、ひとりずつ幕を退場した。次に「打ち上げ」で俳優だった全員が楽屋裏トーク的に公演を終えた感想を述べ、ここで完全に配信から退場した。次の日「追伸」として『p.s.出雲霞を愛する人たちへ』では「出雲霞の物語」を終えた「創作者・出雲霞」から、創作裏話と最大のネタバラシが入る。マンガや小説でいう「あとがき」パートだ。ラストは視聴者から募集した出雲霞の解釈を集めて「二次創作」を紹介、コンテンツ出雲霞をファンに譲渡した。

p.s.出雲霞を愛する人たちへ(ネタバレあり)

演劇や映画でも行われる、エンディング、アフタートーク、製作者あとがき、ファンの解釈・評論までの流れを配信エンタメで昇華。コンテンツ化のための儀式のようだった。

「お芝居が好きな理由とかも自分じゃない自分になれるからすごく好きなわけですよ。役者さんでもメイクでなんとかなるっちゃなるけど、極論おじいさんが幼女の役はできない、みたいな限界はあったけど、VTuberはそういうものが全くない。ほんとになりたい自分になれると思うんですよ」
「VTuberって存在を見つけたときにね。これは理想の自分が作れる場所なんだと思って。じゃあ実際その理想の自分になれるVTuberという手段を使って何をしようと考えた」

『p.s.出雲霞を愛する人たちへ』

プロデュースされるVTuber──のらきゃっとの場合

のらきゃっとという配信者がいる。メカニカルな猫耳が印象的なゴシック衣装の美少女アンドロイドだ。画面の中から配信で視聴者に語りかけてくるスタイルを、かなり長くつづけている。彼女はかわいらしいリアルタイムモーションで動きながら、機械音声で話す。

彼女を動かしているのは、ノラネコPという男性だ。しかし「ノラネコP=のらきゃっと」ではない。「ノラネコPが、理想像としてのらきゃっとを生み出している」というほうが正しい。ノラネコPが話した会話をいったんPCで音声認識させ、それをVOICEROIDで読み上げる、という特殊なシステムで語らせているのも、「ノラネコPの発言」ではなく「のらきゃっと」の発言であることを意識している証のひとつだ。

『未来のイヴ』のハダリーのごとく究極美少女を作り出すために、バーチャルという手法が選択されたのらきゃっと。これによって、のらきゃっとはさらに自由に存在の幅を広げていく。たとえば自身のアバターの量産機『量産型のらきゃっと』のアバターを販売している。これによって購入した人がVRChatなどバーチャル世界で「別ののらきゃっと」としてどんどん増殖していった。

『量産型のらきゃっと』3Dモデル頒布

また『AIのらきゃっと』という、のらきゃっとをベースにしながら他の参加者から言葉遣いや知識を学んでいくチャットボットも制作された。「のらきゃっと」の名前がついてくる派生した別個体だ。ネットでの現象としては、いろいろな人格を持って増殖しつづける初音ミクのあり方にかなり近い。

その他さまざまな仕かけをノラネコPは仕込んだ。かくしてのらきゃっとはVTuber・配信者という枠を越えて、どんどん自由に活動と創作の幅を広げている。ノラネコPが「のらきゃっと」と分離しているからこその創作性だ。

現在の文化だとVTuberは「アバター=自分」という認識の表現者が主流だ。しかし物語性が入ると「キャラクター」という観点が必要になってくる。自身がなりきるロールプレイや演技の場合もあれば、のらきゃっとのような根本的に自分と切り離したプロデュースの場合もあるだろう。

視聴者との共犯創作スタイル


この記事の画像(全3枚)


この記事が掲載されているカテゴリ

QJWebはほぼ毎日更新
新着・人気記事をお知らせします。