2021年11月3日、『Gifted.』でデビューした7人組ボーイズグループ「BE:FIRST(ビーファースト)」。8月31日には待望の1stアルバム『BE:1』をリリースし、9月23日からは17都市29公演を回る初の全国ツアー『BE:FIRST 1st One Man Tour “BE:1” 2022-2023』をスタートさせた。
『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』(DU BOOKS)の著者であるつやちゃんは、BE:FIRSTについて「イケメンが飽和した先の、ポスト・イケメンの行方」を投影し、観察してしまうという。
「“ポスト・イケメン”としてのBE:FIRST」とは──。
イケメンがインフレ化した2010年代末
かつて、<イケメン>という形容が一世を風靡した時代があった。
もちろん2022年の今でもごく自然に使われているその言葉は、しかし無数の意味性の交錯と飽和に遭遇したのちに、鮮度を失い、周回を経て、元来のニュートラルで純真無垢な<イケメン>の意へと回帰しているように思われる。事実、この20年くらいのインターネットにおける「イケメン」の検索数をGoogle Trendsでサーチしてみると、2011年をピークとしながら、特に2018年以降はほぼ下降線を辿っていることがわかる。
そもそも<かっこいい>や<美男>、関西圏での<男前>と近いニュアンスを持ちながらもその軽薄さに最大の特徴と美点を持っていた<イケメン>だが、イケメン俳優のみならずイケメンシェフやイケメンアスリート、ついには雰囲気イケメンといったかたちで多用されることでインフレ化し、ほとんど意味内容における差異を表すことができなくなってしまったのが2010年代末であった。
SNSやマッチングアプリの普及による顔写真のデータベース化に加え、ヘアスタイルやファッションハウツーのマニュアル化が進行したことも関係しているだろう。イケメンは<無数のイケメン′>として容易にこしらえ、操作できるようになった。
ただ、「イケメンは作れる」という軽薄さそれ自体が民主性を育んでいたという点で、私は2010年代のイケメンブームを評価している。フェミニズム的視点や文化・風俗の多種性として、かつてなかったほどに男性自身が眼差されることに対する当事者意識を高め、外見の繕いに対する多様なアイデアを生むことになったからだ。
けれどもそれ以上に、小手先のテクニックも含め、創意工夫で外見を塗り固めることによって先天性を超えていくという<イケメン>の怪しい構築性と空っぽの胡散臭さに私は魅力を感じていた。端的にいうと、イケメンという言葉が持つ、わけのわからなさがよかったのだ。
音楽という中身それ自体が最大の強み
BE:FIRSTはこれまでのボーイズグループに対するカウンターとしてのポジションを明確に意識し、結成されたスターである。SKY-HIの存在、オーディションや音楽制作のアプローチ、楽曲それ自体の傾向、そしてプロモーション手法に至るまで、すべてがジャニーズをはじめとした従来のグループとは異なっている。いわば初めからオルタナティブな実験性を内包しつつセールス的成功も義務づけられてきた集団であり、その点で私はイケメンが飽和した先の、ポスト・イケメンの行方をついついこのグループに投影し、観察してしまう。
すでに多くの評者に指摘されているとおり、BE:FIRSTの楽曲は非常にクオリティが高い。オーディションを実施し企画主導で進められてきた国内アーティストとしては前例がないほどの締まったビートとスキルフルな歌唱で作られている。そのパフォーマンスは現在のK-POPとの類似性が頻繁に指摘されるが、ミクロな視点で捉えてみると、いささか安易な分析のように感じなくもない。
New Jeansなどの例外を除けば、いわゆる第四世代と呼ばれる現行のK-POPは多くが華美でマキシマムなサウンドを前提としている。たとえば同じ国内ボーイズグループとしてチャート成績で競っているJO1などは極めてK-POPの楽曲構造に近似しているといえるが、BE:FIRSTは全体的にもう少しUS/K/Jが絶妙なバランスで配合されているだろう。
BE:FIRSTに近い立ち位置として私はガールズグループのXGを挙げたいが、両者に共通しているのは、J-POPの大きな傾向のひとつである“音数の過密さ”の誘いを禁欲的なまでに退けている点である。特にヒップホップ~ラップミュージック系の楽曲でその傾向が強い。
既存のグループとの比較において彼らの新しい点はいくつも挙げられるが、やはり最大の差別化になり得ているのはほかでもない楽曲そのものだと感じる。次々に投下されるプロモーションが派手に映るが、実は音楽という中身それ自体がまずもって彼らの最大の強みに違いないのだ。
ポスト・イケメン──逆説的に獲得し始めている神秘性
さて、ポスト・イケメンとしてのBE:FIRSTという観点で彼らを観察していると、興味深い事実に気づく。たとえば、YouTubeで公開されている「Scream」のMVのコメント欄で多くのリアクションを呼んでいるひとつを紹介したい。
「人格者揃い。謙虚なのに誇り高い。仲が良すぎてゼロ距離。ファン想い。スキルが高いのに見せ付けない余裕感。みんな素直で優しくて変わり者で天才」
「人格者」「謙虚」「誇り高い」「ファン想い」「見せ付けない余裕」「素直」「優し」い──。彼らの表現に群がる反応を見ていると、内面に対する言及が非常に多いことに気づく。そもそもファンダムは対象のキャラクター性=内面について消費していく性質があるが、ほかのグループと比較しても、BE:FIRSTはその傾向が強い。
そう、派手なサクセスストーリーを作りながらも、最大の差別化であり魅力として楽曲という<内側>へ私たちの視点を誘導する彼らは、そのヴィジュアル面においても同様に<内側>へと視線を引きつけていくのだ。内へ、内へ──。
絶え間ない求心力ともいうべきBE:FIRSTのパワーを、仮にポスト・イケメンとしての新たな定義とするのは早計かもしれない。だが、男性がイケメンとして“眼差される役割”を引き受けつつ、そのイケメン性が飽和した先に到来する次なるイケメンの差異のゲームを、大胆に内側へと切り返すアクロバティックさには見惚れてしまわないだろうか。
すでに述べたとおり、私は2010年代の<イケメン>が漂わせていた怪しい構築性と空っぽの胡散臭さそれ自体も肯定していたし、なんだか愛おしかった。しかし、ポスト・イケメンになり得るかもしれないBE:FIRSTの、ある種のまじめな、内なるイケメン性に対しても徐々に惹かれつつある。
なぜなら、イケメンの魅力とはその怪しさと胡散臭さが生成する謎めいた神秘性にこそ宿っているのであり、彼らの表現は、実直さや誠実さという極めて現実主義的な要素を膨大に積み重ねていった結果、逆説的に神秘性を獲得し始めているからにほかならない。
ポスト・イケメンの行方を占うかのごとく、BE:FIRSTはそのスキルフルなパフォーマンスで言語を定義するのだ──内への鋭い切り返しによって。
参考文献:『ユリイカ』2014年9月臨時増刊号「イケメン・スタディーズ」(青土社)
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