「深く考えず子供を作った」20代で親になった文化系男子の成功要因【#04前編/ぼくたち、親になる】

文=稲田豊史 イラスト=ヤギワタル 編集=高橋千里


子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を、匿名で赤裸々に独白してもらうルポルタージュ連載「ぼくたち、親になる」。聞き手は、離婚男性の匿名インタビュー集『ぼくたちの離婚』(角川新書)の著者であり、自身にも一昨年子供が誕生したという稲田豊史氏。

第4回は、ふたりの子供を育てる40代の男性。若いころから生粋の“文化系男子”で、仕事も私生活もエンタメ漬けだったが、20代のときに第一子を授かった。それから、彼自身の価値観に変化が訪れたという。

都内在住の三留淳二さん(仮名/42歳)は、この世代にしてはやや早い25歳のときに、3歳年上の友里恵さん(仮名)と結婚した。現在、16歳と13歳の娘がいる。

三留さんは若いころから清く正しい“文化系男子”だった。出身は東北地方の某県。

10代のころから筋金入りの映画少年にして、音楽好き。地元のレンタルショップでは古い映画を「旧作1本100円」で観まくり、CDをレンタルしてはMDに録音してコレクションした。

東京の私大に進学後は、都内のミニシアターを毎週のように巡り、カルチャー誌を読みあさり、たくさんのライブに足を運んだ。好きな海外アーティストが来日すると聞けば、バイトのシフトを増やした。

三留さんが第一子を授かったのは、映画宣伝会社勤務で多忙を極めていた26歳のとき。文化系男子としては、まだまだコンテンツにまみれたい年齢のはずだが、子供ができて「趣味に使える時間が減る」ことに、危惧や後悔はなかったのだろうか?

※以下、三留さんの語り

妻も僕も若いころから子供が欲しかった

若いころからすごく子供が欲しかったんです。妻の友里恵も同じ。大家族で育ったこともあって、赤ちゃんが大好きな女性でした。

友里恵と僕は“趣味友達”スタートで交際に発展しました。僕は映画宣伝会社のパブリシスト。友里恵も同じ業界で宣伝販促物などを手がけるデザイナー。

映画やライブで週末を埋める典型的な文化系カップルでしたが、結婚してすぐ子供を作ることにはなんの躊躇も迷いもなかったです。

僕らが結婚した2005年当時、ふたりが身を置いていた職場やその取引先でそんなに早く結婚する人はあまりいなかったので、「結婚、早いね」とはよく言われました。30になっても40になってもライブに行って、クラブに行って、朝まで飲むみたいなおじさんやおばさんばかりでしたから(笑)。

第一子が誕生してからは、とにかく忙しかったです。

0歳児保育でしたが、自宅マンションから徒歩・自転車圏内の保育園が全部ダメだったので、出勤前に電車とバスを乗り継いだ先の保育園まで預けに行っていました。送りは僕、迎えは出産を機に時短勤務にしてもらった友里恵の担当です。

僕はどんなに早くても夜10時以前には帰れない仕事だったので、子供の食事・風呂・寝かしつけはすべて友里恵。彼女は寝かしつけを終えた夜9時くらいから、深夜まで仕事です。

10時台とか11時台に帰宅した僕は、洗濯などの家事を片づける。本当はすぐ風呂に入って眠りたいところですが、そうはいかないので毎日ヘトヘトでした。

家事分担は7:3か8:2で友里恵のほうがずっと多かったです。娘は保育園ではミルクでしたが、家では哺乳瓶の煮沸の手間を省くため母乳だったので、夜中の授乳は彼女にしかできませんし、オムツ替えの頻度も圧倒的に友里恵のほうが多い。本当によくがんばってくれました。

仕事と育児が多忙でも、若かったから乗り切れた

仕事と育児の忙しさが凄まじくて、毎日が戦場でした。

友里恵とお互いに息を合わせて協力しないととても回せない。一瞬たりとも気を抜けない。ケンカしてる暇もない。第二子誕生後はそれに輪をかけて大変でした。

でも、乗り切れました。ひとえに僕も友里恵も若かったから。それに尽きます。

若くて体力があったので、少しくらい睡眠時間が少なくてもなんとかなりました。40代の今、それをやれと言われたら、絶対に無理です。

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僕の体感ですが、「やることがめちゃくちゃ多い」みたいな困難に直面するときって、若いほうが受けるストレスが少ないと思うんです。

「健全な精神は健全な肉体に宿る」じゃないけど、体力があるほうが精神的に踏ん張れる。心が折れない。経営者がやたら筋トレする理由も、そこらへんにあるんじゃないでしょうか。

なにより、人は体力が不足していると機嫌が悪くなります。機嫌が悪くなると夫婦間の衝突が増える。すると、極限状態で息を合わせられない。家事・育児を回せなくなります。

「子供が欲しいか、欲しくないか」が議論される際、「経済的に養えるかどうか」がよく論点になるじゃないですか。でも僕の持論は、経済力よりも体力です。

そういう意味では、右も左もわかんない若いころに結婚して当たり前のようにばんばん子供を作っていた昔の人って、ある意味で正しかったと思いますよ。予想外の困難が襲ってきても、若さゆえのあり余る体力でなんとかねじ伏せられるから。

「他人の家庭が見えないこと」が幸運だった

「右も左もわかんない若いころに子供を作る」って、わりと重要だと思ってるんです。僕自身そうでしたが、変にいろいろ先回りして考えないで、誤解を恐れずいうなら「深く考えないで子供を作ったこと」が、結果としてはよかったので。

父親になった26歳のころ、子供のいる同世代の友人は皆無でした。だから、共働き家庭の育児がどれほど過酷かを誰かに脅かされることなく、育児がスタートしたんです。もし親しい友人から生の体験談を聞いていたら、もう少し躊躇したかもしれません。

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それに、第一子誕生当時は、スマホはもちろんTwitterもなかったから、ここ数年のX(旧Twitter)でよく見かける「都内で親援助なしの共働き子育ては無理ゲー」「育児にコミットしない旦那死ね」的な心が荒むような投稿を目にすることもありませんでした。不安を事前に煽られなくて済んだんです。

育児の方法や子供の成長度に関しても、他人と比較して「うちの子は大丈夫かな?」とならなかった。今だったら、ついスマホで育児系のSNS投稿を大量に読んでしまうでしょう。

他人の家庭が見えないこと、心をかき乱されずに済んだことが、僕たち夫婦にとっては幸運でした。しかも若かったから、一心不乱にがむしゃらにやれたんです。

文化系夫婦、嵐にハマる

若くして子供を作ったことで、映画や音楽といった趣味に使う時間が減って困らなかったのか、とたまに聞かれます。文化系のアイデンティティは崩壊しなかったのか、と(笑)。

たしかに、何年間かは映画館にもライブにも一切行けませんでしたし、家で観る映画の本数も激減しました。

というか、2時間の映画を通しで観る余裕はまったくなかったです。夫婦でどうしても観たい映画があったら、1時間ずつ分割して2日に分けて観たりしていました。

ただ、それが残念かといわれれば、まったく残念ではありません。子供が生まれてから、今までの人生で一切興味のなかった、一切触れることのなかったコンテンツに触れるようになったので。

リモコン
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たとえば、NHK Eテレの幼児向け教育番組の楽曲完成度ってすごく高いんですよ。この曲、むちゃくちゃいいよね!なんて、よく友里恵と意気投合していました。

番組によっては、僕ら世代がよく知ってるアーティストが楽曲を提供してることもあります。パパママ世代のJ-POP好きのツボを突いてたりするんですよ。

娘が大きくなると、今度は『プリキュア』を一緒に観始めるんですけど、これがまた、お話も曲もよくできてる。たまに映画版で歴代プリキュアが全員集まったりしますが、マーベルの『アベンジャーズ』を彷彿とさせて実に燃えます(笑)。

中でも大きかったのは、子供のおかげで僕も友里恵も嵐が大好きになったことです。

結婚前の週末の過ごし方といったら、土曜も日曜も決まって昼過ぎまで寝て、午後にのそっと起き出して映画に行って、夜は友達と飲む、みたいな感じ。

だけど、子供ができると早寝早起きの生活にがらっと変わります。結果、うちは土日の真っ昼間にリビングでテレビをつけてバラエティ番組を見る習慣が根づきました。

そこで出会ったのが嵐です。

当時の彼らはすごいのぼり調子でめちゃくちゃ輝いてたし、番組の作りもよかったので、夫婦ですぐハマりました。

友里恵なんて、もともとゴリゴリの洋楽派で、ジャニーズなんて一切聴いたこともないロック少女だったのに(笑)。やがて、各局の嵐の番組をチェックするようになりました。

子供のおかげで“新しいエンタメ”を発見した

幼児番組なり『プリキュア』なり嵐なりに触れていると、無意識のうちに口ずさむ曲もそうなっていくし、自分の嗜好そのものも変わってくる。人間、触れている時間が長いものに染まるんです。

だから、自分のもともとの趣味を無理して封印して、嫌々見ていたわけではありません。子供ができたことで、新しいエンタメを発見したんです。新鮮でしたし、大きな喜びでした。子供ができなければ、きっと一生触れずにいたものばかりですから。

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今は娘たちがK-POPにどっぷりなので、僕ら夫婦も付き合ってよく聴くようになりました。聴いてみると、これがおもしろい。現代のK-POPは昔のブリティッシュロックや日本のシティポップのテイストを取り入れてたりしていて、日々アップデートを続けてるんです。

昔からそれなりに音楽を聴き込んでいた身からすると、「え、この要素を入れつつ、そういうふうにまとめるんだ!」なんて驚きがある。新しいものを聴かせてくれる感動がある。この間も、韓国の某男性グループのコンサートに家族4人で行ってきました。

今の子たちはTikTokで昔の曲を使ったりしますけど、世代的にそういうのは全部わかるわけですよ。だからTikTokを見てる娘たちに「パパとママ、このへんのCDいっぱい持ってるんだけど」って自慢したり。ぜんぜん食いついてくれませんけど(笑)。

逆に、子供が僕の趣味に興味を示してくれることもあります。こないだは、早稲田松竹でアッバス・キアロスタミの『友だちのうちはどこ?』(1987)がやっていて、昔レンタルで観たので懐かしいなと思っていたら、上の娘が「行きたい」って言うんで一緒に観てきました。

娘は爆睡してましたけど、うれしかったです。和田誠の展覧会にも家族で行きましたよ。

今、取り戻している“文化的な活動”

とはいえ映画も音楽も、今では20代のころみたいにしらみつぶしに追いかけることがなくなりました。

それなりに興味のある映画や音楽はチェックしているけど、網羅はできていません。かつての僕を知っている人は、「現役から引退した」と皮肉交じりに言うかもしれないし、自分の感性が衰えているのは認めざるを得ない。

だけど、僕自身「文化系のアイデンティティを捨てた」とは思っていないんです。家族みんなで楽しめるエンタメカルチャーを、家族みんなで追求していますから。「育児に時間を取られて、自分の趣味の時間が減った」なんて思ったこともないですよ。

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それに、子供ができてから数年間おざなりになっていた“文化的な活動”は、まさに今、取り戻してるところです。娘たちもだいぶ手がかからなくなりましたから、週末に大人だけで映画を観に行ったりもできる。僕はまだ42歳、友里恵も45歳ですし。

早いうちに子供を作ったことがよかったと思います。もし40歳のときに第一子だったら、僕はいま56歳で友里恵は59歳。もう少しフットワークは重くなっているだろうし、カルチャー全般への興味・関心は今より薄れていると思います。

ただ、僕は長らく映像業界に身を置いていましたが、今はすっぱり足を洗って、映像業界とは一切関係のない仕事に就いています。

理由は、家庭円満のためです。

記事後編は11月20日(月)更新予定

【連載「ぼくたち、親になる」】
子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を匿名で赤裸々に語ってもらう、独白形式のルポルタージュ。どんな語りも遮らず、価値判断を排し、傾聴に徹し、男親たちの言葉にとことん向き合うことでそのメンタリティを掘り下げ、分断の本質を探る。ここで明かされる「ものすごい本音」の数々は、けっして特別で極端な声ではない(かもしれない)。
▼本連載を通して描きたいこと:この匿名取材の果てには、何が待っているのか?

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稲田豊史

(いなだ・とよし)1974年愛知県生まれ。ライター・コラムニスト・編集者。映画配給会社、出版社を経て、2013年に独立。著書に『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ──コンテンツ消費の現在形』(光文社新書)、『ぼくたちの離婚』(角川新書)、『ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の..

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