性差別・性暴力は「男性には関係ない」? バスカフェ妨害を“なかったもの”と処理することの愚かさ(小川たまか)

2023.7.7

文=小川たまか 編集=高橋千里


性差別や性暴力は、自分とは関係のない、特殊な被害に巻き込まれた人だけが向き合うべきトピックだと思ってはいないだろうか──。ライターの小川たまかは、朝日新聞の炎上事件でその問題が浮き彫りになったと語る。

河合市議の「選挙活動」だけを取り上げた朝日新聞

昔、ある雑誌を定期購読していたとき、私は自分の好きだったタレントの連載の上の枠でサッカーの連載が行われていることを1年近く気づかなかった。

毎号そのページを見ていたのに、目に入っていなかったのである。無意識のうちに、自分とは関係のない情報だと脳が処理していたのではないかと思う。

朝日新聞の政治部記者にとって、女性差別は自分とは関係のない情報であり、だから脳が勝手に「なかった」と処理してしまうのではないか。そんなふうに思う出来事があった。

書く人
※画像はイメージです

同紙が連載「ルポ インディーズ候補の戦い」の中で、草加市市議会議員である河合悠祐氏を取り上げたのは5月30日夕方のことだ。「京大卒ジョーカー、挫折の先の自己実現 ウケ狙いから当選への分析」というタイトルだった。

この記事のネット配信後からすぐに、ツイッター上では朝日新聞への批判が噴出した。

河合市議は3月にネット上で炎上騒ぎを起こし謝罪、そしてそのあとに謝罪を撤回していた。その記憶が一部のユーザーにとっては鮮明だったからだ。

Colabo「バスカフェ」妨害行為に加わっていた河合市議

昨年から、新宿区役所前で「バスカフェ(Tsubomi Cafe)」と呼ばれる若年女性者向けのアウトリーチ活動を行っていた一般社団法人Colaboに対するデマがネット上で飛び交い、特に今年に入ってからは直接的な妨害行為も行われていた。

妨害を行っていたひとり、煉獄コロアキを名乗る40代男性(その後、武蔵野市議選に出馬して落選)に対して、Colabo側は接近禁止命令の仮処分を申し立て、3月にはこれが認められた。

河合市議は、この男性らと一緒になってバスカフェ周辺に現れ、Colaboの支援者たちに暴言を浴びせたことがあった。

私も実際に現場で彼らを見たが、煉獄や河合市議が大声を上げて騒ぎ立てる役で、それを撮影する役割の男女3人が一緒だった。撮影役はわざとらしく歩行者の誘導をし、Colabo支援者が通行のジャマになっていると見せたいようだった。

怒鳴る男性
※画像はイメージです

ツイッター上ではColaboに対する誹謗中傷は激しかったが、このバスカフェでの行為が動画配信されると、さすがに河合市議への批判が噴出した。

顔を白塗りにして鼻を赤く塗り、相手を指差しながら唾を飛ばす勢いで「フェミニストが!」「お前らが!」などとまくし立てる姿は、奇異に思う人がいて当然だろう。ましてやそれが議員なのだから。

河合氏の過去のツイッター上の発信での中には、外国人差別に当たるものもあった。ツイッターを少し遡れば、彼がどのような言動をしていたかは把握できたはずである。

しかし朝日新聞の記事では、彼が3月にバスカフェの妨害に加わったことや外国人差別ツイートには触れられず、その選挙活動を取り上げるのみだった。

朝日新聞のコメントプラス欄では、宗教学者の塚田穂高氏が問題を指摘した。妨害行為や差別発言のほかにも、河合氏がNHK党(現・政治家女子48党)から出馬した過去に触れずに「インディーズ候補」「既存政党からの支援を得ず」などと紹介した点に疑問を示していた。

なぜ「バスカフェ」妨害行為を知らなかったのか

その後、朝日新聞は指摘を受けて、記事の公開を終了することを発表した。

ツイッター上では、本当に河合氏のこれまでの言動を知らなかったのかという声が上がった。知らないのであれば、記者(やそれを通したデスク)の取材不足だし、知った上で記事に書く必要がないと思ったのであれば見識を疑う。

さらに、この記事を朝日新聞政治部などの複数の男性記者がツイッター上で無批判に、好意的にシェアしていたことも、残念さの際立つ事態だった。記事のシェアに協力していた5〜6人全員が、本当にColaboの件を知らなかったのか。

私は、そういう可能性もあると思う。ツイッター上で何か騒ぎが起こっているようだけれど、それは「女たちの話」であり、自分とは関係ない。無意識のうちに彼らはそう判断してしまってはいなかっただろうか。

スマホを操作する人2
※画像はイメージです

彼らのもとには、記事を批判するリプライが複数寄せられていた。けれどColaboに対するデマや誹謗中傷の数は、その比ではない。

新宿で活動をつづけてきたバスカフェのまわりには、あの時期、迷惑系YouTuber以外にも、悪意を持って隠し撮りする男、つきまとって威嚇する男、ここが現場ですというように記念撮影して拡散する女、大手新聞の記者を名乗るのに名刺を出さずに逃げた謎の女……などが入れ替わり現れた。ツイッター上で浴びるほど目にした幼稚な悪が、路上に姿を現していた。

近くの大久保公園では、足にあざのある女の子が座り込んでいて、半円状に彼女を取り囲んだ男たちが順番に買春交渉していた。女の子に声をかけるColabo代表の仁藤夢乃さんを男たちがにらんでいたけれど、彼女は結局バスカフェに向かった。

朝日新聞の政治部記者が河合議員の記事を書く前に見るべきだったのは、ああいった光景ではないのだろうか。

悩む女性 孤独
※画像はイメージです

女性団体への嫌がらせは、女性差別は、行く場所のない女性が性売買に取り込まれていく現状は、政治とつながっている。企画ありきの記事を書くのではなく、路上の延長に政治があることを経験から知っている人たちの声をまず重視してほしい。

ネット上でもリアルでも、嫌がらせや妨害は誰にでも平等に行われるわけではない。

ネット上に悪意があふれていても、そんなものは清濁併せ飲むべきで、そのうちに自浄作用によっていい方向へ収斂していく。そんな楽観的意見を、マスコミの男性が口にするのを聞いたことがある。

彼は、もうすでにネット上から排除された人がいることを知らないのだろうか。同じ言語を使っているのに話の通じない相手から囲まれ、反応すればするほどおもちゃにされる。

そのような幼稚な悪と無関係なポジションにいるのは、そこにある差別に関心を寄せていないからではないのか。

性暴力や性差別を「レアケース」だと捉えている男性記者

ジャニー喜多川氏による性加害の件で、朝日新聞では「新聞に欠けていたものは」と振り返って反省する記事が出ていた。単なる芸能人ゴシップだと捉えたり、人権問題だという認識が薄かったのだと、女性記者が書いていた。

反省点はごもっともだけど、このような反省こそ男性記者が書くべきではないのだろうか。

性暴力の取材を1年でもすれば、それがいかにありふれていて、多くの女性あるいは少なくない数の男性が被害に遭っているかがわかる。そして多くの人が、何事もなかったかのような顔をして過ごさざるを得ないことも。

性暴力について、男性記者の中にはまだそれが「レアケース」であり、特殊な被害に巻き込まれた人たちだけが向き合わざるを得ない問題であると思っている人がいる。

言葉を選ばずに言えば、彼らは性暴力や性差別の問題は、政治や経済や外交よりも一段劣る、「女が扱う」トピックだと思っている。

気づいてもらえないだろうか。あなたたちの乗っている土俵に上がろうとすれば、うしろから引きずり下ろされる人たちが、どんな目に遭っているのかを。

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小川たまか

(おがわ・たまか)1980年、東京都品川区生まれ。文系大学院卒業後→フリーライター(2年)→編集プロダクション取締役(10年)→再びフリーライター(←イマココ)。2015年ごろから性暴力、被害者支援の取材に注力。著書に『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』(タバブックス)、『告発..

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