電気グルーヴ、コンセプトの源になった言葉を明かす「陳腐なことを重ねていくとスーパー陳腐なものができ上がる」【Roots of 電気グルーヴ#5:Palais Schaumburg】
電気グルーヴの石野卓球とピエール瀧が、彼らの音楽的なルーツとなったアーティストについて語るトーク番組『Roots of 電気グルーヴ ~俺っちの音故郷~(仮)』。株式会社ビーアットによる「BE AT TOKYO」がサポート、同社が運営するコミュニティスペース「BE AT STUDIO HARAJUKU」で収録されている。
第1回のニュー・オーダー、第2回のDAF、第3回のダニエル・ミラーとミュート・レコード、第4回のデペッシュ・モードと、好評を博している同番組の最新回で取り上げるのはパレ・シャンブルグだ。
そして、石野卓球はこのバンドの初期主要メンバーだったホルガー・ヒラーから「(電気グルーヴの)キーとなるコンセプトを知った」という──。
このQJWebのテキスト版では、トーク中に登場する固有名詞の数々に注釈を付している。すでに動画を楽しんだ方でも発見があるはずなので、ぜひご一読を!
【関連】【『Roots of 電気グルーヴ ~俺っちの音故郷~(仮)』#4:Depeche Mode】観るなら絶対ベルリンがいい
主要メンバーの変遷
ピエール瀧 今日のテーマはなんでしょう?
石野卓球 はい。今回のテーマは、パレ・シャンブルグ(※1)です。パレ・シャンブルグは、彼らもね、ドイツのデュッセルドルフのバンドなんですよ。実はね、彼らは活動期間がすごい短くて。アルバムもね、オリジナルアルバムって3枚しか出てないんですよ。3枚あって、3枚とも主要メンバーが違うんだよね。
瀧 ちょっと変わってるよね。
石野 変わってる。でね、3枚のアルバムがあって、どれもね、味が違うのよ。だから、ひと口に「パレ・シャンブルグが好き」って言っても、「どの時代の?」っていう。なんだけど、一般的にパレ・シャンブルグっていえば、このファーストアルバム(『Palais Schaumburg』)なんですよ。日本庭園のやつ。これ、有名なやつなんですけど。
石野 これは最初のラインナップで、このアルバムで出る前に出たシングル(「Rote Lichter / Macht Mich Glücklich Wie Nie」、「Telephon / Kinder Der Tod」)とかもそうなんだけど。ツィックツァック(※2)っていうさ、ドイツの名門インディレーベルからで。
瀧 (「Rote Lichter / Macht Mich Glücklich Wie Nie」の)7インチ、初めて見る。
石野 ファーストアルバムの頃のパレ・シャンブルグはホルガー・ヒラー(※3)って──これ(「Holger Hiller」1980年)もツィックツァックから出てるんだけど。ホルガー・ヒラーっていう人は、この(『Palais Schaumburg』のジャケットの)サスペンダーの人なんだけど。この人ね。
瀧 ボーカルですよね。
石野 そう。この人がリーダーというか、音楽的な主導権を握ってた。
瀧 顔となる人ですよね。
石野 うん。ホルガー・ヒラーはこのアルバムで辞めちゃうんだけど、このアルバムにいく前に──ほかのメンバーがFMアインハイト(※4)ってアインシュテュルツェンデ・ノイバウテン(※5)のメンバーの人がいたりだとか。あと、トーマス・フェルマン(※6)。(『Palais Schaumburg』のジャケットの)眼鏡の人がトーマス・フェルマンなんですけど。サン・エレクトリック(※7)とかさ──。
瀧 のちに色々やってますよね。
石野 のちのジ・オーブ(※8)のメンバーですよ。あと、このときはいないんだけど、モーリッツ・フォン・オズワルド(※9)ってのちに入るメンバーは、そのあとベーシック・チャンネル(※10)とかモーリツィオっていうグループをやる人で。これは81年のアルバムなんだけど、のちのドイツのテクノシーンの中心人物となる人たちがすごい参加してるんだよね。
で、また彼らがデュッセルドルフでしょ。クラフトワークもデュッセルドルフだし、前に話したDAFもデュッセルドルフだもんね。デュッセルドルフはほかにもアタタック(※11)とかがあってさ、ベルリンとは違ったジャーマン・ニューウェーブの独特の町っていうか。
瀧 モダンですよね、なんかね。
石野 クルップス(※12)とかもそう。「デュッセルドルフ」ってカタカナで(キーボードで)打つときに、すげー出しづらいんだよね。「デュッセ」って、もともと日本語の表現にないよね。「ッ」と「ュ」のちっちゃいのってさ。バヤリーズの昔みたいなのでさ。
瀧 「バャリーズ」ね(笑)。
石野 ちなみに、ホルガー・ヒラーは俺と同じ誕生日なの。
瀧 あっ、そうなの!?
石野 12月26日。あと、12月26日生まれは、グレート義太夫と、エスパー伊藤と、徳川家康と、毛沢東。
瀧 なるほど。なかなかのもんすね(笑)。
石野 ビッグスモールンって感じでしょ。
瀧 なかなかのラインナップじゃん。
石野 あと、小栗旬。だから、俺、小栗旬の生まれ変わり。
瀧 なんでだよ(笑)。
石野 「なんでやろな~」。これ、何かっていうと、瀧さん。
瀧 「なんでやろな~」。
石野 これ、赤井英和のモノマネ(笑)。「赤井英和さん、どうしてそんなにおっきくなっちゃったんですか?」っつって──。
瀧 「なんでやろな~」。
石野 (笑)。
瀧 これ、別バージョンもあるんだよな。
石野 ちょっと怒って言うやつ。
瀧 「なんでやろな~!」。
石野 (アントニオ猪木の)「元気ですかー?」のトーンで言うやつもあったじゃん。
瀧 「なんでやろなー!!!!!!」。自主錬バージョンもあるよな。
石野 自主錬バージョンって何?
瀧 「赤井英和が『なんでやろな~』を自主練してたら」ってお前、録音してたじゃん。
石野 あ~! ひとりラジオドラマでしょ? 最初、赤井さんのところにアリさんマークの引越センターからCMの出演依頼がくるところから、っていう。
瀧 「アリさんマークの? なんでわいなんや?」っていう(笑)。
石野 それを15分ぐらい、瀧がひとりでやる即興の──。
瀧 ひとりコントみたいなやつね(笑)。
石野 コントなの(笑)?
瀧 妄想だよね(笑)。それは、またいずれ発表します。
石野 なんの話だっけ(笑)?
瀧 パレ・シャンブルグの話な。
石野 あっ、誕生日だ。君、4月8日生まれじゃん。4月8日もけっこう──。だって、お釈迦様でしょ。
瀧 古いほうから言うと、千昌夫、桃井かおり、松本明子。
石野 みんな、お騒がせ系っていうか(笑)。
瀧 そうなんだよ。そっからお騒がせするやつがつづくんだけど、ピエール瀧、沢尻エリカ、あと、ボビー・オロゴン。
石野 (笑)。
瀧 あと、(カラテカ)入江(慎也)。後半4人全員、新聞に載ってるやつっていう(笑)。
石野 それで、ホルガー・ヒラーね。
瀧 おお。ちゃんと戻ることもあるんだな(笑)。
石野 ホルガー・ヒラーがいたころのパレ・シャンブルグのファーストアルバム。これね、すげえ変わってんだよね。フライング・リザーズ(※13)ってイギリスのユニットがあって、そのデヴィッド・カニンガム(※14)がプロデュースしてるんだけど。
瀧 バンド演奏ですけど、なんか引っかかりがあるよね。
石野 今聴くと、この人たちはファンクをやろうとしてたんだよね。だけど、手癖がすごくて、すごい奇っ怪なものになったっていう。レゲエなんかもさ、ジャマイカ人がロックンロールをやろうとしてたんだけど、手癖がすごくてああなったとか、そういうのって色々あるじゃん。訛りっていうかさ。
瀧 車で言うと、こっちが六角形の車輪で、こっちが五角形の車輪で走るみたいな感じ。
石野 なんか歪(いびつ)な感じなんだけど、その違和感がすごく気持ちいいんだよね。やっぱりそれは、なんとなく偶然できたものじゃなくて、計算されたものだったりするんだけど。ちなみに、「Palais Schaumburg」って「泡の城」っていう名前なんだよね。あとね、こんなシングル(「Wir Bauen Eine Neue Stadt」1982年)も出てるんですけど。これ(『Das Single Kabinett』1982年)はシングルを集めたやつ。
瀧 当時のさ、ドイツ国内およびヨーロッパでの評価ってどんなだったの?
石野 イギリスとかはわかんないけど、ドイツで聞く限りは、やっぱりジャーマン・ニューウェーブっていうのがムーブメントとして流行ってたから、その中の話題のグループだった。
瀧 ふーん。じゃあ、キャリア古い人に「パレ・シャンブルグ、好きなんだよね」って言うと、「お~」ってなる?
石野 普通のヒットチャートに入るようなグループじゃないけど、トーマス・フェルマンだったり、モーリッツ・フォン・オズワルドが在籍したグループっていうことで、いわゆるクラブのほうのテクノシーンとかでは、みんな知ってるよね。
瀧 なるほどね。
※1 パレ・シャンブルグ(Palais Schaumburg):1980年にドイツ・ハンブルクで結成されたジャーマン・ニューウェーブバンド。バンド名(フランス語)の由来は、首相府だったボンにあるシャウムブルク宮殿から。ティモ・ブルンク、ホルガー・ヒラー、トーマス・フェルマン、FMアインハイトで活動していたが、アインハイトがアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンに参加するために脱退、ラルフ・ヘルトヴィグが加入。1981年、デヴィッド・カニンガムがプロデュースしたファーストアルバム『Palais Schaumburg』をリリース。その後、ヒラーが脱退し、モーリッツ・フォン・オズワルドとヴァルター・ティエルシュが加入。1982年にセカンドアルバム『Lupa』をリリース。1984年にインガ・フンペが参加したサードアルバム『Parlez-Vous Schaumburg?』をリリースしたのちに解散。
※2 ツィックツァック(Zickzack):1980年にドイツ・ハンブルクで設立されたインディペンデントレーベル。アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンやディー・クルップス、ディー・テートリッヒェ・ドーリスらの作品をリリースし、アンダーグラウンドにおけるノイエ・ドイチェ・ヴェレ(ジャーマン・ニューウェーブ)の重要なレーベルになった。
※3 ホルガー・ヒラー(Holger Hiller):1956年、ドイツ・ハンブルク生まれのミュージシャン。1980~1981年にパレ・シャンブルグのオリジナルメンバーとして活動し、脱退後はソロアーティストとして活動。1984年にロンドンへ移住、ミュートから多数の作品を発表した。現在はベルリン在住。
※4 FMアインハイト(F.M. Einheit):1958年、ドイツ・ドルトムント生まれのミュージシャン。1981~1995年にアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのメンバーとして活動。ソロアルバム、コラボレーションアルバム多数。映画音楽の仕事でも知られており、最近ではファティ・アキン監督『屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ』(2019年)の音楽を手がけた。
※5 アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン(Einstürzende Neubauten):1980年にドイツの西ベルリンで結成された実験音楽グループ。廃材などを使った自作の楽器、ドリルやチェーンソーといった建築機材を使ったノイズ、インダストリアルサウンドで知られる。ちなみに、石野卓球は彼らのシンボルである一つ目人間のタトゥーを入れている。
※6 トーマス・フェルマン(Thomas Fehlmann):1957年生まれ、スイス・チューリッヒ出身のミュージシャン。パレ・シャンブルグのオリジナルメンバーで、バンドの解散後はソロやサン・エレクトリック、ジ・オーブのメンバーとして活動。ケルンの名門エレクトロニックミュージックレーベル「コンパクト(Kompakt)」から多数の作品を発表。
※7 サン・エレクトリック(Sun Electric):1990年代に活躍したドイツ・ベルリンのエレクトロニックミュージックグループ。トム・スィエルとマックス・ローダーバウアーが主要なメンバーで、トーマス・フェルマンはエクゼクティブプロデューサーとして参加。
※8 ジ・オーブ(The Orb):1988年、アレックス・パターソンとThe KLFのジミー・コーティが結成したロンドンのエレクトロニックミュージックグループ。アンビエントハウスの先駆けで、現在に至るまで精力的に活動。トーマス・フェルマンも一時参加していた。
※9 モーリッツ・フォン・オズワルド(Moritz von Oswald):1962年、ドイツ・ハンブルク生まれのミュージシャン。ベーシック・チャンネルのメンバー。トーマス・フェルマンとの3MBや、近年はモーリッツ・フォン・オズワルド・トリオとしても活動。
※10 ベーシック・チャンネル(Basic Channel):1993年、ドイツ・ベルリンで結成された、モーリッツ・フォン・オズワルドとマーク・エルネストゥスのデュオおよびレーベル。ミニマル・テクノ、ダブ・テクノのパイオニアとして知られている。リズム&サウンド、モーリツィオ名義でも活動。
※11 アタタック(Ata Tak):クルト・ダールケらが1979年に設立したレーベル。ダールケがメンバーだったDAFやデア・プラン、ホルガー・ヒラー、アンドレアス・ドーラウ、ディー・テートリッヒェ・ドーリスらの作品をリリース。「【『Roots of 電気グルーヴ ~俺っちの音故郷~(仮)』#2:DAF】「君のことを考える」ってタイトルが沁みる」も参照。
※12 ディー・クルップス(Die Krupps):1980年にドイツ・デュッセルドルフで結成されたバンド。EBM、インダストリアル・メタルの先駆けとして知られている。2021年5月にカバーアルバム『Songs from the Dark Side of Heaven』をリリース。
※13 ザ・フライング・リザーズ(The Flying Lizards):1976年にデヴィッド・カニンガムを中心に結成されたイギリスのニューウェーブ/ポストパンクバンド。1979年にバレット・ストロングの「マネー」のカバーとデビューアルバム『ミュージック・ファクトリー(The Flying Lizards)』がヒット。1984年に解散。
※14 デヴィッド・カニンガム(David Cunningham):1954年生まれ、北アイルランド・アーマー出身のミュージシャン、プロデューサー。ディス・ヒートなどのロックから現代音楽、フリーインプロビゼーションまで、幅広いジャンルのアーティストとの共演、共作、プロデユースで知られる。
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