電気グルーヴ、コンセプトの源になった言葉を明かす「陳腐なことを重ねていくとスーパー陳腐なものができ上がる」【Roots of 電気グルーヴ#5:Palais Schaumburg】



ホルガー・ヒラー、初来日公演の思い出

石野 こっからホルガー・ヒラーの話ね。ホルガー・ヒラーはこのアルバム(『Palais Schaumburg』)だけで辞めちゃうんだ。で、このソロ・アルバム(『Ein Bündel Fäulnis In Der Grube』1983年)を出すんですけど、これがすごくよくって。パレ・シャンブルグのときはバンドだったんだけど、こっちになると、ちょうどサンプラーが出てきたころで。アート・オブ・ノイズとかとも同時期なんだけども、それともまったく違う視点のサンプリングの使い方っていう。

この人はダダイズムとかにすごい影響を受けてて。歌詞を読んでも、何が言いたいのか、何を指しているのかわからない。抽象的で、具体的な歌詞っていうのはほとんどないんだよ。

 何かのことを言ってるっていうわけでもないし、でも、ただ単語の羅列でもないっていう、みたいな。

石野 パレ・シャンブルグのファーストアルバムでも、1曲目が「Wir Bauen Eine Neue Stadt」っていう。これ、「僕たちは新しい街を作る」っていう意味なんだけど。これは、「僕は石を渡すから、砂を送れ、俺たちは新しい街を作る」っていう歌詞なの。それだけ聴いても、なんのこっちゃでわからないんだけど、でも、それも、当時はジャーマン・ニューウェーブの、今までの価値観とは違った新しいシーンやムーブメント、っていうところにかかってる。あとほかの歌詞もね、「Grünes Winkelkanu」とか、これは「緑色した魚釣りカヌー」っていう。

 その単語、好きだよな(笑)。

石野 俺は当時、辞書も持ってなかったし、ドイツ語はもちろんわかんなかったんだけど、英訳が入ってたから、その英訳のタイトルとか歌詞とかを辞書片手に日本語に訳したの。そのときに、こんなに突飛な歌詞っていうのは、それまでに聴いたことがなかった。で、それが、けっしてシリアスな感じだけじゃない音で、かといって、コミックバンドみたいな音じゃないところから飛び出してくるっていうところに、ものすごい衝撃を受けたんですよ。

 あと、やっぱこのジャケの日本庭園の感じとかもさ、ぐって持ってかれるよね。お前、「緑色した魚釣りカヌー」ってさ──。

石野 すごい痺れた。

 ことあるごとにチラシの隅っこに書いたりしてたよな(笑)。

石野 あと、「Gute Luft」は「綺麗な空気」。シングルに入ってたときの元々のタイトルは、「Aschenbecher」ってタイトルなのよ。

 「アッシェンベッヒャー」?

石野 「灰皿」。「灰皿」って曲、作る(笑)? すごいよね。そういうところにすごい衝撃を受けて。で、ホルガー・ヒラーのこのアルバム(『Ein Bündel Fäulnis In Der Grube』)が出るんだけど。実はね、このときにホルガー・ヒラーが来日してるんだよね(※15)。ちなみに、瀧くんが──。

 初来日ライブを、僕、観に行ったんですよ。当時、84年だから、高校2年生。

石野 84年の11月だって。

 だから、俺、まだ野球部バリバリの時だったんだけど。「Jonny (Du Lump)」とかさ、そういう曲を聴いて、「観てえ!」って思って。で、部活をサボるわけですよ。部活をサボって、上京して観に行くんですよ。

石野 日帰りだったんでしょ。当時、泊まるほどの財力もなかったでしょ。

 ないないない。で、東京にライブを観に来たんですけど。池袋に西武デパートがあるじゃないですか。ライブ会場が、その西武の納品場なんですよ(笑)。ほら、ここ(BE AT STUDIO HARAJUKU)もラフォーレでファッションデパートだから、裏に納品場があるじゃないか。トラックが横づけして荷物を下ろす、みたいな。その納品場でライブなんですよね。納品場ってさ、トラックを横づけするから、ちょっと高くなってるんだよね。

石野 荷台の高さね。

 その向こう側の納品される側に、ホルガー・ヒラーがいて。

石野 ステージね。

 で、こっちのトラック側で俺たちが客として見るっていうやつで。ちなみに対バンがEP-4(※16)だったっていう。

石野 そのときの来日って、ホルガー・ヒラーのバンドじゃなくて、日本で集めたバンドだったんだよね。ちなみに、それが瀧が観た初めての外タレのライブね。次がチョー・ヨンピルでしょ(笑)。

 チョー・ヨンピルは観たことないけど(笑)。当時、坊主だからさ、それで東京にライブを見に行くなんて、もう超ハードミッション。

石野 坊主頭が東京に行っていいのかっていう(笑)。それは俺も思った。もしかして、煙草を持ってたら補導されるんじゃないかって。前回のデペッシュ・モードで言ったやつね。

 しかも、東名バスで行ってさ。

石野 安かったんだよね。

 バスを使えば、静岡から2500円ぐらいで行けたんだよね。で、新宿着いて、池袋行って、「ここが池袋か」みたいな。

石野 そのときお前さ、K-FACTORYにハマってもんな。

 K-FACTORYは、まだ着てなかった。その時は──。

石野 どてら(笑)?

 どてらで行かないだろ(笑)。

ピエール瀧

石野 一番下ろし立てのやつ、よそ行きの(笑)。近所の人が縫ってくれた千人針を腰に巻いて(笑)。そこにカツアゲされたときのためのお金を入れて。

 札を縫いつけてるんだろ(笑)。

石野 で、まず着いたら木刀を買うんだろ(笑)。

 なんか変なモッズコートに、坊主頭を隠さなきゃいけねえっつって、ベレー帽を被ってた気がする。当時17歳の高校生だったわけじゃんか。

石野 尾崎豊だ(笑)。

 尾崎豊じゃないけど(笑)。

石野 「尾崎正則」(笑)? 「ピエール尾崎」が(笑)。

 「ピーオザ」(笑)。なんか、もうすげえモダンなセットだったのよ。

石野 そう。それは、これ(『Ein Bündel Fäulnis In Der Grube』)の日本盤の解説に書いてあって。当時、まだコンサートでビデオを使うのは珍しかったんだけど、それをホルガー本人からのたっての希望で使ったっていうのが書いてあるよ。(ライナーノーツを読みながら)そんな予算もなかったんだけど、スイスのスタジオで、2カ月近くにわたって編集したものだって。ハメ撮りの(笑)。

 スイスで(笑)? スイスまで行かなくてもよくね(笑)?

石野 当時だとスウェーデンでしょ(笑)。

 ブルーフィルムね(笑)。ほんとに、前座にEP-4が出てくるところから「うわー!」ってなってるから、そのあと映像を使ったホルガー・ヒラーのライブで、「へぇ!」って度肝を抜かれて帰ってきた。

石野 「12へぇ」ぐらい(笑)? その時に生まれたのが「へぇボタン」(笑)。

※15 ホルガー・ヒラーの初来日公演:1984年、東京・新宿のシアターアプルや西武池袋本店などでライブが開催された。

※16 EP-4:1980年、京都で佐藤薫を中心に結成されたニューウェーブ/ポストパンクバンド。ステッカーを街中に貼った宣伝活動、アルバムのタイトルを「昭和崩御」としたことによる発売延期、神奈川金属バット両親殺害事件が起こった家の写真をジャケットにしたファーストアルバム『リンガ・フランカ-1 昭和大赦』(1983年)が話題になった。2012年に再始動。

電気グルーヴの表現方法


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