子供を作ったのはなぜ?誰にも言えない「男親たちの本音」を可視化【#01〜04/ぼくたち、親になる】

文=羽佐田瑶子 編集=高橋千里


子を持ち、親になった文化系男子の自意識の変化を綴る匿名ルポルタージュ連載「ぼくたち、親になる」がQJWebで始まってから早4カ月。第1回から第4回までが公開され、中にはSNSで物議を醸した回もあった。

そもそも「なぜ連載することになったのか」、そして我々は読者に「何を伝えたいのか」。聞き手・ライターの稲田豊史氏をはじめとする関係者全員で、改めて本連載の意図をすり合わせ、第1回から第4回の内容や反響を振り返る。

座談会メンバー
稲田:本連載の聞き手・ライター。著書に『ぼくたちの離婚』(角川新書)、『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』(光文社新書)など
田島:QJWeb/『クイック・ジャパン』編集長
高橋:QJWeb/『クイック・ジャパン』編集部員。本連載の担当編集
藤澤:太田出版の書籍編集。担当書籍に『射精責任』『宗教2世』など。本連載の書籍化を検討中

「男性の子育て」から今の社会が見えてくる

稲田 去年、高橋源一郎さんのラジオ番組に出演させてもらったとき「稲田さんの今までの著書は“考現学”の一種ですよね」と言われたんです。

高橋 今起こっている現象をありのまま記録して、社会の世相を分析する“考現学”ですか。

稲田 「離婚」も「倍速視聴」もまさにそう。で、その時点で1歳になる子供がいたんですが、源一郎さんから「男性の子育てから見えてくるものは絶対にありますよ」と言われたのが、この企画の発端です。

男が親になったことで生活はどう変化したか。それについて何を思っているのか。さまざまな子持ち男性の本音を並べることで、今の日本社会が見えてくるのではないかと。男たちの本音を匿名でしゃべってもらうという意味では、離婚した男性に匿名で話を聞いた拙著『ぼくたちの離婚』のパート2のような位置づけです。

高橋 あくまでも、社会の世相や現象を描くことに徹するとおっしゃっていましたよね。

※画像はイメージです

稲田 『ぼくたちの離婚』はいろいろな離婚エピソードから世相や男性の世代的特徴などをあぶり出すルポでしたが、今回も基本はそうです。

連載を始めるにあたり、いくつかルールを決めました。まず、テンプレ的なイクメン礼賛にはしない。今まで女性が当たり前にやってきたことを褒めてもしょうがないので。

パートナーに対する愚痴や恨みも掘り下げません。それが社会や世相を表していたり、社会問題として一般化できそうなら深掘りしますが。

高橋 詳しくは稲田さんの考えを綴った、連載のイントロとなる第0回を読んでいただきたいですが、「子持ち/子なし」の分断が加速しているという話をしましたよね。

稲田 私は40代まで子なしコミュニティで過ごし、子供ができてからのここ2年で急に子持ち側のコミュニティの声を聞くようになりました。

それでわかったのが、子供のいない人をどこかで“下”に見る子持ち男性の視線は意外なほど身近に存在している、ということです。言うまでもなく、子供がいようがいまいが批判されたり見下されたりする筋合いなど一切ありませんが。

第2回第3回に登場した男性は、本人たちは認めないかもしれませんが、「子供がいる人のほうがまとも」という意見の持ち主に思えました。

これにはもちろん同意しかねますが、話を聞いていて思ったのは、こういった旧来的な価値観は社会から蓋をされているだけで、いまだ根強く残っているということです。しかも彼らは70代や80代の老人じゃない。まだ40代です。

高橋 現実ですね……。

稲田 今回は主に30〜40代の「文化系男子」に絞って話を聞いていますが、彼らはこれまで自分の趣味に大半の時間を使ってきた人たちです。それが仕事に結びついている職業の人も少なくありません。しかし子供ができれば、当然ながら時間は自由に使えなくなります。そこを気持ちの部分でどう処理しているのかを知りたかった。

たとえば第1回に登場した男性は、自分の人生の時間をどれだけ本や映画や音楽などのコンテンツに捧げてきたかによって、今の自分の地位が決まる──という主旨のことを言っていました。費やした時間が彼のアイデンティティそのものなんです。しかし子育てに時間が取られることによって、それが崩壊しました。

田島 耳が痛い(笑)。まさに僕も3歳の娘がいて、この連載のターゲットど真ん中ですが、子供ができると育児に時間を取られますもんね。

稲田 私もです。無論、育児で趣味や仕事の時間が確保できないなんて、女性にしてみれば遥か昔から被っている苦痛です。それを男性が今さらながらに気づいただけのこと。ただ、そのことをよくわかっている男性ほど、世間体や風当たりを気にして自分の苦痛を口に出しては言わない。だから匿名で本音を聞きたかったんです。

「子育ては富裕層の贅沢」でも、子供を作るのはなぜか?

高橋 連載の第0回を公開してすぐ、書籍編集の藤澤さんから「おもしろい企画ですね、書籍化も検討したいです」と声をかけてもらったんです。どんなところに興味を持ったんですか?

藤澤 先日、金原ひとみさんが子育ての苦しさについて朝日新聞に寄稿されていたじゃないですか。あれは衝撃的で、“あの”金原ひとみさんですら育児の負担は彼女に行くんだと思ったし、「私にとって生きがいだった恋愛感情を失った」という一文が強烈でした。

たしかに、彼女の作品には恋愛がいきいきと描かれていて、そのアイデンティティが育児負担によって崩壊したんだと思って。

稲田 性別は違えど、「ぼくたち、親になる」第1回の男性と同じような道をたどっているんですよね。

藤澤 私が第0回を読んで印象的だったのが、「自分の気を狂わせないために“変化し続ける”対象として子供が必要だった。これで、同一局面が永遠に続く人生の地獄から脱することができた」というフレーズです。

個人的な話をすると、私は荻上チキさん編著『宗教2世』の担当編集で、自分自身も“宗教2世”なので、あまり家族というものに夢を持っていないんです。言葉は悪いけれど、産んでほしいとか頼んでないし(笑)。

稲田 「勝手に産みやがって」と。

藤澤 友達を見ていても、自分の幸せのために子供を産んでいるなあと感じます。でも、子供を産むのは親のエゴだと思う、とはすごく言いにくい。

なので、先ほどの発言を読んで、綺麗事じゃなく、マイナスな自分の人生を子育てで一発逆転しようとする人がいるんだ、というのが一歩踏み込んでいておもしろいなと感じたんです。捉え方によっては、ちょっと人間を道具にしている発想じゃないですか。カント、激おこみたいな。

稲田 たしかに(笑)。

藤澤 見方によっては人間を手段にしている、っていう営みがどこまで許されるのだろうかというのは、連載から見えてくるといいなと期待しています。

※画像はイメージです

稲田 「“変化し続ける”対象として子供が必要だった」と言った彼は、こうも言っていました。

「歳を重ねて体力的にも仕事の面でも衰えを感じたとき、未来が死ぬほど怖くなった。それを理由に子供が欲しくなった」「衰える一方の自分と違い、子供は成長する一方の存在だから、それだけで自分にとっては希望だし前向きになれる。子供は手をかけた分だけいろいろなことができるようになっていくので、自分の人生に意味を見出せる」と。たしかに、我が子という人間を道具化する発想ともいえますよね。

藤澤 今の話を聞いて怖いのは、子供は肯定的な変化だけじゃないじゃないですか。

たとえば私は親の信仰を継げなかったことで、虐待の対象になったんですね。親の期待どおりの結果じゃなかったというのが自分の負い目だし、落ち込んだこともありました。でも、私の何が悪かったんだ、と思うようになって。

稲田 何も、悪くないですよね。

藤澤 育児は親の器が試されますよね。私は猫を3匹飼っていて、幸いとてもいい子たちですが、一方で「思ったのと違う」といって捨てられてしまう動物たちもいます。

動物と子供は違うけれど、親が望む子供に育たなかったとき、手を上げずに一線を守って無償の愛を注ぐことって修行みたい。お金も時間もかかるじゃないですか。

稲田 これまで結婚と子育ては人間のライフイベントに当たり前に組み込まれていましたが、生き方の多様化が進んだ結果、今や「子供を作ること」にはそれなりの動機や理由が必要になっています。

しかも今の日本社会では、「子供は富裕層の贅沢品」なんて言われてしまうくらい、子供を持つことは経済的にも精神的にも体力的にもハードルが高い。だから取材では毎回必ず「なぜ子供を欲しいと思ったのか」を聞くようにしています。

「可視化されていなかった価値観」を表に出す

高橋 連載を立ち上げる際には、今まで可視化されてこなかったことを書いて、議論が生まれる記事になるといいと話しましたよね。

稲田 特に物議を醸した第3回・後編の男性が「少子化の原因は女性の幼稚化」と発言したことは、私個人としてはシンプルにアウトだと思っています。

この発言に激昂する方の気持ちはもちろん理解できますし、文末の取材後所感には、私自身の気分を押しつけがましくない程度の皮肉として書きました。

ただ現実として、「この社会には彼と同じように前時代的な考え方の人が、思った以上に存在している」ということを、取材を重ねれば重ねるほど強く感じるようになったのは事実です。

田島 僕たちは、この連載で誰かを断罪しようだとか、白黒結論を決着させようとは思っていないじゃないですか。でも、そう捉えられない可能性もあるので、こちらからお願いして、記事の最後に稲田さんによる「取材後所感」を入れてもらうことになったんです。

稲田 ただ、記事の最後以外に私の所感は入れていません。相手のどんな語りも遮らない独白形式にしています。『ぼくたちの離婚』では、相手の言葉の合間に聞き手である私自身の所感を都度ツッコミのようなかたちで挿入していましたが、今回はそれをやめました。読み手が抱く印象を私の所感で誘導したくなかったので。

ただ、この作りって、記事を作った側、つまりQJWeb編集部や私が取材相手の意見に“同意”していると勘違いされる可能性もあるんですよね。

田島 それでも、もっと言葉を尽くして伝えなきゃいけないんだと思いましたし、余計に分断を生む部分があったのであれば、それは反省点です。

あれこれ議論しながら「親」や「家族」を考えたい

※画像はイメージです

藤澤 でも、そんなにみんな親に期待しているんだ、ということがわかって驚きました。私はこの第3回を読んで「こういうふうに思ってる人もいるよな~」ってすごく納得したんです。その人なりの正しさだと思うし、隠されているだけで傲慢な親なんてたくさんいるはず。

だって旧来的な価値観を持った団塊世代に育てられた子供たちが、親になって急にマインドチェンジなんて難しいですし、社会の変化に追いつけていない人もいるなと思います。

むしろ、専業主婦が当たり前で女性はお茶汲みしかできなかった時代を“なかったこと”にして、社会を進めようとすることに私は違和感を覚えます。

稲田 社会は常によりよいかたちへ変化を続けるべきだと思いますが、息を潜めながら実は根強く残っている前時代的な価値観、あるいは蓋をされている意見などを、この連載で土俵に上げて、あれこれ議論しながら、今の社会における「親とは何か」「家族とは何か」を考えるきっかけにできればなと。

田島 そうですね。いかに可視化されていないか、というのもよくわかってきました。

稲田 子供がいる人、子供がいない人はそれぞれにコミュニティがあり、そのコミュニティ内では「この考え方が“ふつう”」という暗黙の空気があるじゃないですか。でも、そのコミュニティを一歩出ると、とたんに“ふつう”じゃなくなる。

連載に出てくる“極端な”意見の人たちも、彼らの所属コミュニティ内では、おそらく“ふつう”なんですよ。少なくとも彼ら自身はそう思っている。そういったことも、連載でどんどん可視化していければと思っています。

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羽佐田瑶子

(はさだ・ようこ)1987年生まれ、執筆・編集。女性アイドルや映画などガールズカルチャーを中心に、インタビュー、コラムを執筆。主な媒体は『クイック・ジャパン』『She is』『BRUTUS』『TV Bros.』『CINRA』など。岡崎京子と女性アイドルなど、ロマンティックで力強いカルチャーや人が好き..

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