「子供がいることを隠す」40代大手広告マンの譲れない“セルフブランディング”【#03前編/ぼくたち、親になる】

文=稲田豊史 イラスト=ヤギワタル 編集=高橋千里


子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を、匿名で赤裸々に独白してもらうルポルタージュ連載「ぼくたち、親になる」。聞き手は、離婚男性の匿名インタビュー集『ぼくたちの離婚』(角川新書)の著者であり、自身にも一昨年子供が誕生したという稲田豊史氏。

第3回は、大手広告代理店で働く40代男性。妻との間にふたりの息子がいるが、まわりには子持ちであることを“隠している”という。その理由とは?

大手広告代理店でプランナー職を務める伊賀宏樹さん(仮名、43歳)には、小学2年生の息子と幼稚園に通う5歳の息子がいる。が、子持ちであることを周囲には言っていない。

勤め先の総務人事部や直属上司は把握しているが、職場の同僚を含む仕事関係者の大半、社会人になってから知り合った友人のほとんどに、自分が父親であることは伝えていないという。当然ながら、結婚指輪もしていない。

にもかかわらず彼の持論は「子供を持たないと宣言している人はアホ」。これはいったい、どういうことなのか。

※以下、伊賀さんの語り

“セルフブランディング”のために、子供がいることを隠している

嘘はついてないんです。

子供がいるかどうかを強く聞かれれば答えますが、今のご時世、そして僕のいる業界やその周囲の風潮として、パートナーの有無や家族構成を聞くことはモラルに反するので、聞かれることはほとんどありません。

休日に何をした、どこそこへ旅行に行った、みたいな話を職場や飲み会でするときにも、慎重に「家族と一緒だった」ことを伏せるようにしています。

僕の趣味は映画、読書、アナログレコード収集、筋トレ、食べ歩きといった、家族が関わらないですることばかりなので、家族の存在に言及しないで趣味トークができるんです。

だから、僕を独身と思い込んでいる人も多いんじゃないかな。今日なんかもほら、こんな格好でしょ?(筆者注:取材日は初夏の平日日中、取材場所は都内だったが、伊賀さんはアロハシャツにバミューダパンツ、素足にサンダルという格好だった)

当然ですが、友達限定のSNSでも家族の写真は出しません。匂わせるような投稿も一切しない。仕事と趣味のことに限定しています。

※画像はイメージです

子持ちであることを言わない理由は、セルフブランディングと自意識の制御のためです。

僕、仕事をするにしても遊ぶにしても、人に対しては「ちゃらんぽらんしてる感じ」「軽薄な感じ」を出したいし、そういうキャラでいたいんです。

そのほうが円滑にコミュニケーションできることを経験上知っていますし、なにより僕自身が快適。

相手が適度に僕をナメてくれることって、実はメリットが多い。この感覚、わかりますか?

ある社会集団、ある年齢帯限定の話かもしれませんが、いい大人になると「人の親」であるというだけで“ちゃんとした人間”のレッテルを貼られます。

でも、僕にとってそれはむしろ邪魔。

たとえるなら、非モテをネタにしていた女性芸人が普通に結婚したら、非モテ芸に説得力がなくなって笑えなくなる、みたいなもの。だから非モテ芸を続けたいなら、結婚の事実は伏せなければならない。

とはいえ、本当にちゃらんぽらんではダメです。幸い僕は、誰もが知っている“ちゃんとした会社”に勤めているので、その部分で社会的信用は担保できている。

だからこそ、キャラとして「ちゃらんぽらん」でいられるし、いい歳してバミューダパンツでも許される。

ホワイトカラーなのにブルーカラーの格好をして茶化す

それに、これは僕の側の問題として、相手に「こいつも人の親」って思われてるな……と察知すると、心底アホなことや振り切った発言ができなくなってしまうんです。

世の中にはそんなこと気にしない人もいるでしょうが、僕はそこで自意識が働いてしまって、「人の親なのにこんな振る舞いして、どうなの?」などと自問してしまい、大胆な振る舞いにストッパーがかかってしまう。

かっこつけていうと、プランナーは既存の規範や良識や倫理をいったん取り払って自由な発想でものを考えなければならない職業なので、そういう自意識は邪魔になるんですよ。

「人の親である」という属性を意識することで、思考の真の自由さが失われる。「父親」という称号に責任を負いたくない、気圧(けお)されたくないんです。

多くの人にとってはどうでもいいことかもしれませんが、僕にとっては人生を気楽に送るためのライフハックなんですよ。

※画像はイメージです

今所属している広告代理店には中途入社ですが、前職は──詳細は伏せますが──とあるサブカル系コンテンツの映像制作をやってました。

そこでは今よりずっと、「社会的にちゃんとした人間ではない」ことがむしろ仕事上有利に働いていたし、僕自身そういう振る舞いが得意でした。

自分をわざわざダメなように見せる。身をやつしているような自己演出。ホワイトカラーなのにブルーカラーの格好をして茶化す。それでずいぶんと「得」をしました。

転職して5年以上経ちますが、仕事内容はある程度前職からの延長上にあるので、今でも基本はその気持ちのまま。

少なくとも外からの見え方としては、楽に気ままに生きている人間でありたいんです。正確にいえば、楽に気ままに生きている人間に“見せたい”、かな。

こう話すと僕が特殊な人みたいに聞こえるかもしれませんが、ほかにもけっこういると思いますよ。自分が父親であることをおくびにも出さず、「自由な独身者」みたいな顔をしてちゃらんぽらんに振る舞ってる人が。

「結婚していること」も隠すのは、社会に染まりたくないから

実は、結婚していること自体、ほとんど人に言っていません。

結婚式すらやっていないので、対外的にアナウンスするタイミングもありませんでした。結婚指輪もしていません。

近い業界で働いている妻も、僕が外でそういう話をしていないことは察知していると思います。

彼女はもともと結婚に対する憧れがまったくない人で、結婚式を挙げることも彼女自身が望んでいませんでした。都内私立校育ちのお嬢様で、友達もたくさんいる人ですが。

浮気がしたいから独身者を装っているわけではありません。僕にとって「結婚」のイメージは「社会に染まる」「社会の中に組み込まれる」なので、それを避けたいんです。

他人から「大きなものに染まってる」と思われたくない。サブカル文化系としての、わずかに残ったプライドですかね(笑)。

広告代理店の仕事なんて思いきり資本主義社会の走狗(そうく)じゃないか、と突っ込まれることは百も承知です。

でも、仕事でがっつり大きなものに組み込まれちゃっているからこそ、それ以外の心持ちの部分ではせめて抵抗したいんですよ。

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ただ、実は“パパ会”みたいな集いにはけっこう参加しています。

対外的に「父親」と見られたくないことと矛盾していると思われるかもしれませんが、仕事や趣味関係で“自由な人”というアイデンティティが完璧に確保されているので、パパ会ではスパッと切り替えて父親でいられるんです。

もちろん苦痛ではありません。そこでの僕は普通の父親です。

当然ながら、パパ会に仕事や趣味の友人は混じっていません。完全に分けています。小説家の平野啓一郎さんがいうところの「分人主義(※)」ってやつです。

※平野啓一郎「分人主義」のHPでは以下のように説明されている。「対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。中心に一つだけ『本当の自分』を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを『本当の自分』だと捉えます。この考え方を『分人主義』と呼びます」

「子供を持たない」と宣言する奴はアホ

そもそも結婚したことも子供がいることも伏せたいのに、なぜ子供を作ったのか。

僕、実は家族観についてはけっこう保守的なんですよ。いわゆる“伝統的家族観”には賛成です。

稲田さん(注:インタビュアー)は僕に、どうして子供が欲しいと思ったのかを聞きましたが、欲しいも何も、人間は子供を作るのが当然ですよ。

はっきりいってしまえば、身体的・経済的に子供を持てる状況にあるのに「持たない」って宣言してる人、アホだなと思います。

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まず単純に、「人を成長させる喜び」を味わわないまま一生を終えるのって、あまりにもったいなくないですか?

それに、自分が老いたときのリスクヘッジとしても子供は有効です。リスクヘッジといっても、介護してほしいとか経済的に支えてほしいって意味ではありません。精神的な拠りどころです。

何かがあったときに血のつながった誰かが「いる」、というだけで絶大な安心感がある。僕はひとりっ子で親戚にも子供がいなかったので、よりいっそう、そういう気持ちが強いのかもしれませんが。

子供がいないと、人生が暇になる

あとは、人生にイベントができるのは大きい。七五三、入学式に卒業式、家族旅行、結婚式……。子供がいると、この先の人生、子供の成長に伴って新鮮なイベントが目白押しです。

もちろん子供がいなくても自分の後半生にイベントはあるだろうけど、正直それって想像の範囲内というか、たかが知れている。

たとえば旅行だって、若いころに得た刺激はもう味わえないでしょうし、自分用の買い物も、もはや感動が薄い。趣味を続けるにしても、40代の今の時点ですでに昔ほどの熱意はない。子供がいないと、人生がなんか暇なんですよ。

なんでそんなことがわかるかって?

僕、以前は仕事でいろいろな境遇の人によくインタビューをしていました。今でも多種多様な年齢、価値観の人に日々たくさん話を聞いて仕事をしています。

で、これだけ他人の人生の話を聞いていると、「子供のいない人生がつまらない」というのが、だいたい想像できてしまうんです。

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探求できる趣味を持っている人にはたくさん会いましたし、たくさん話を聞いてきました。

ただ、僕も根は趣味探求型の人間なのでよくわかるんですが、趣味の探求によって人生で得られるものって、いってしまえば限界がある。想像の範囲内に収まってしまう。

ぶっちゃけ言いますよ。そういう人たちをたくさん見てきて、映画を観ることに人生を賭けるとか、クルマが趣味で人生を賭けるって、意味ないなって思ってしまったんですよ。

僕自身が文化系男子として昔から趣味に生きてきたから、なおのこと我が事として感じました。趣味は趣味としてキープしていていいけど、子供は「別物」として、ちゃんと作っておかなきゃダメだなって。

だから、歳いってからそのことに気づいた人が「子供を作っておけばよかった」と嘆いていたり、歳のいった夫婦が「今からでも子供が欲しい」と言っているのを見ると、心から思うんですよ。かわいそうだなって。

内心そう思ってる子持ちの親、けっこう多いんじゃないですか。僕も含めて、絶対口に出しては言いませんけど。

記事後編:少子化の原因は「女性の幼稚化」?

【連載「ぼくたち、親になる」】
子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を匿名で赤裸々に語ってもらう、独白形式のルポルタージュ。どんな語りも遮らず、価値判断を排し、傾聴に徹し、男親たちの言葉にとことん向き合うことでそのメンタリティを掘り下げ、分断の本質を探る。ここで明かされる「ものすごい本音」の数々は、けっして特別で極端な声ではない(かもしれない)。
▼本連載を通して描きたいこと:この匿名取材の果てには、何が待っているのか?

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稲田豊史

(いなだ・とよし)1974年愛知県生まれ。ライター・コラムニスト・編集者。映画配給会社、出版社を経て、2013年に独立。著書に『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ──コンテンツ消費の現在形』(光文社新書)、『ぼくたちの離婚』(角川新書)、『ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の..

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