岸田國士戯曲賞「受賞作なし」から考える、演劇の変化と戯曲の可能性

2021.4.9

文=河野桃子 編集=碇 雪恵


「演劇界の芥川賞」とも呼ばれる、岸田國士(きしだくにお)戯曲賞。2020年は、オンライン上映作品を含めた8作がノミネートされるも「受賞作なし」に終わり、演劇関係者やファンの一部で波紋を呼んだ。

さまざまな声が上がったが、演劇における「戯曲」の賞とは、そしてそもそも「戯曲」とはなんなのか。2019年より岸田國士戯曲賞の受賞予想を行っている演劇ライターの河野桃子が、演劇の変化と戯曲の可能性を考察する。


演劇とは違う。“戯曲”と、その楽しみ方とは?

3月12日、岸田戯曲賞が「受賞作なし」と発表されました。

そのとき、コロナ禍での「該当作なし」という結果に驚く声や、つづく野田秀樹氏の短いコメントへの波紋など、一部SNSでネガティブな反応もあるなか、いくつかの言葉が目に留まりました。

「戯曲の賞ってどういうこと? 演劇の賞じゃないの?」
「戯曲って上演のための台本じゃないの?」

なるほど。 確かに、「戯曲」って演劇を作ったり、かなりの演劇ファンでなければなかなか目にしないですよね。

まず、戯曲とは「演劇を上演するための台本」とは少し異なります。上演する前にすでに活字になったものや、上演の予定がないものもあり、雑誌『悲劇喜劇』(早川書房)や『新潮』(新潮社)などに掲載されています。また、最初から上演を想定していない形式のものもあります。書く人も劇作家に限らず、小説家では太宰治や星新一なども戯曲を書いていました。

たとえば『大辞泉』には「戯曲」とは、「会話や独白、ト書きなどを通じて物語を展開する。また、そのような形式で書かれた文学作品」とあり、『日本大百科全書』にも「作者(劇作家)の書いた作品の思想性を重視し、文学作品としても鑑賞できるような芸術性を保った作品をさしていう場合が多い」の一文もあります。戯曲は、ほとんどの場合に上演を想定された形式の読み物、つまりひとつの「文学作品」だと考えられてきたのです。

岸田戯曲賞を例にしても、対象は活字になった作品です。ただし、ずば抜けておもしろい上演作品があったときには、ノミネート候補として推薦されることもあります。

そうすると、上演作品と戯曲のクオリティはまた別の話になってきます。「上演はおもしろかったのに、戯曲だとそのよさがうまく伝わらない……」とか「上演は難しくてよくわからなかったけど、戯曲を読んで『こういうことだったのか!』と気づいた」ということがあり得ます。

また、読み物としておもしろいということは、上演を観ていなくても、誰でも、どこでも、いつでも楽しめるということでもあります。

わたしが高校生のとき、家は高知県の中心部にあったけれど、劇場は片手で数えるほどしかありませんでした。演劇の上演数となると、地元の劇団含め数週間に一度しか行われません。足を伸ばして都会に観劇に行きたくても、何千円もするチケットを買うお金も旅費もありません。演劇が知りたくて、演劇に飢えていてたまらなかったわたしは、学校の図書室と公立図書館と演劇部部室とブックオフを走り回り、戯曲を片っ端から読んでは「これって舞台で上演されたらどんな感じかな?」と想像し、演劇雑誌をあさってその舞台の写真を見つけて「思ったより奇抜な衣装だ!」「舞台美術どうなってんの!?」と、戯曲を読んでふくらませた脳内上演と実際の舞台写真を比べて、自分の想像力を超える世界にわくわくしたのでした。

そのうちに、何度も上演されている戯曲は時代によってもまったく見せ方が違うことに気づきます。その時代ごとにシーンの解釈や見せ方が違うし、演出家によっても表現方法が違うらしい。一冊の戯曲に、いくつもの演劇の可能性が詰まっています。

戯曲はまるで、その上演や、時代背景や、当時息づいていた俳優たちを知るガイドブックのようでした。

中でも岸田戯曲賞受賞作は、ほとんどが書籍化されていて、しかも「何か賞を獲ったらしい」「こういう作品が注目されているらしい」という安心感もあって手に取りやすかったのです。

2020年コロナ禍。これまでとは違う岸田戯曲賞


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