岩井秀人「ひきこもり入門」【第5回前編】ひきこもる子供に親がすべきこと

2021.4.2

取材=池田 亮 構成=岡本昌也
撮影=平岩 享 編集=森山裕之


作家・演出家・俳優の岩井秀人は、10代の4年間をひきこもって過ごし、のちに外に出て演劇を始めると、自らの体験をもとに「人生そのもの」を作品にしてきた。

これまで、岩井自身の過去を振り返りながら、実母へのロングインタビューや現在の岩井家のあり方などを通して、パーソナルな視点から「ひきこもり」について考えてきた。

今回はひきこもり問題を中心に取材・執筆活動をつづけているジャーナリスト・池上正樹を招き、対談のかたちでひきこもりという現象を俯瞰して考える。

当事者に向き合うのではなく、同じ方向を見る

岩井 僕は自分がひきこもりだったことをモデルに、自分の家族のことを台本にして演劇にするってことをやってきました。お客さんにおもしろがってもらいながら、ちょっとだけ「家族」や「ひきこもり」について考えられれば……ぐらいな感じで。

今回、池上さんとお話しするにあたって、取材チームみんなで池上さんの本をそれぞれ読んで、どんな本だったか感想をシェアしました。

池上 ありがとうございます。

岩井 本当にルポルタージュの1球1球の重さがすごいから。それに、挙げられている事例と僕自身の体験と状況が全然違うし、僕が演劇を使ってやっていることの無力さ、みたいなものを池上さんの本を読んだときにすごく感じたんです。

でも、冷静になって考えてみると、「役割の違いなのかな?」と思ったところもあって。ひと口に「ひきこもり」と言っても、すごく深刻な状態の人もいれば、人の数だけさまざまなケースがあります。いろんな段階のいろんな人がいるなかで、とにかく「本当にどこかで生きている人」の話を、当事者じゃない人たちへ少しでも想像してもらうための問題提起——そういうレベルのことだったら、まだつづけていってもいいんじゃないかと思ったんです。

連載ではこれまで、僕がこもってた話と、それを母がどういうふうに見てたかみたいな話を書いてきました。

池上 読ませていただきました。今「同じ時代に生きている」人が、自分の経験と現在を照らし合わせながら語る言葉は、現在当事者である人にとっても自分事のように響くと思います。当事者たちは、「生きていていいんだろうか?」と常に自分と対話をしている。「ひきこもり入門」のようなメッセージはとても勇気づけられるはずなので、このまま日々、感じることを伝えてもらえるといいなと思いました。

岩井 母と僕の当時の見解の違いなどもそのうち記事になると思います。

池上 とても興味深いです。

岩井 子供と親、両方の視点が記されているものって、そんなにない気もしますよね。

池上 確かにそうですね。

岩井 池上さんは取材の際、両方からの話を聞けますか?

池上 いや、限られていますね。やはり親からつながってしまうとなかなか子供に会えない。子供にとって、僕が「親の味方」になってしまうんですよね。ひきこもり支援者もそうです。支援者はよく、親からの「子供となかなか話ができない。会ってもくれない」という依頼を受けて家に行くので、その段階で子供に敵認定されちゃうんですよね。

反対に子供の側からつながると、親は「自分が叱られるんじゃないか」と脅えたり、警戒されたりすることもあって、なかなか腹を括って話したがらない。親子同時に会えるケースって少ないんですよ。

作家・演出家・俳優の岩井秀人(左)とジャーナリスト・KHJ全国ひきこもり家族会連合会(広報担当)理事の池上正樹(右)

岩井 池上さんは取材対象の方の生活をよいほうに転がすためだったら、がっちり介入していきますよね。弁護士さんを紹介したりコミュニティを紹介したり。そこまでしてるジャーナリストは僕はほぼ知りません。

池上さん自身を心配しましたよ。池上さんがどういうことでストレスを発散していれば、この仕事との折り合いがつくんだろうと。ご自身のメンタルケアはどうされてるんですか?

池上 距離の取り方は常日頃、意識しています。毎日のようにご本人からもご家族からも相談が寄せられています。仕事を超えてアドバイスを求められることも多く、自分が対応できる範囲である程度割り切ってお答えしています。こういう方法があるとか、こういうところに問い合わせてみれば、とか。それぞれの立場や状況に合わせて、できる限り僕の知っている情報をお伝えする関係として。

中には依存というか、つい優しいと思われるのか、どんどん入ってこようとする方もいらっしゃいます。そういう空気を感じたときは、こちらも巻き込まれていくとわかっていますので、ちょっと冷たいですけど突き放したり、いわゆるソーシャルディスタンスを取ることもあります。あとは、今日もがんばったなっていう感じで、夜、缶ビールを開けるとかですね。自分にご褒美を与えるようにしています。

岩井 実はとんでもない変態だったりして……じゃないと折り合いがつかないんじゃないかと思いました。

池上 変態かもしれません(笑)。

岩井 (笑)。

池上 同時に距離の話でいうと、私の場合は当事者たちの目線まで降りていって、「同じ風景を見る」ということは心がけていますね。これはひきこもり支援者もよく勘違いしてうまくいかないんですけど、「向き合う」のではなくて「同じ方向を見る」ことが必要です。そうすることによって不安の正体や望んでいることを想像することができる。本人やその家族が置かれている状況や心情を想像して、どうすればいいだろうと一緒に考え、その上でアドバイスなりをしていくということは意識しています。

岩井 「同じ風景を見る」というのは目から鱗ですね。やっぱり当事者は俯瞰した目線はなかなか持てないんですよ。社会に参加できない問題を抱えた者がひきこもりになってしまうということではなく、社会のほうに問題があって、その問題を身をもって表しているのが「ひきこもり」という現象だと思っています……だいたい合ってます?

池上 そのとおりですね。

岩井 これは当時の「僕」も含めてすごく救われるひきこもりの捉え方なんですが、その目線を当事者はやはり持ちにくい。ずっと社会に出られていないという負い目があるから。出られたら俯瞰できるけど、現在進行形でひきこもっていたらなかなか持てる視点ではありません。

反対に、社会に出られている人からすると潜在的にどうしても自分たちのほうが正しいと思っちゃうから、「出られないんだ、困ったね」とか「じゃあ出られるためにどうしようか」という目線になるので、お互いに目線が合わない。社会の中で生きていながら、当事者と同じ風景を見るというのは、両方をよく知る人じゃないと持てない目線なのかなと思いました。

池上 私も報道の世界に一時いたのでわかるんですけど、報道ってどうしても「上から目線」になる構造があります。事実を伝えるという大義名分のもと、安心安全なところから見下ろす、みたいなところがあるんです。もちろん、事実のみを伝えるというのは大事なことでもありますが。

弟がひきこもり当事者だった


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