2021年1月29日に公開し、4週連続で興行収入1位を記録した映画『花束みたいな恋をした』。さまざまな「サブカル」的な固有名詞が頻出すること、主人公の青年・麦のあまりにも急激な転向など、とにかく誰かと語りたい映画として話題を呼んでいる。
バンド「トリプルファイヤー」で作詞とボーカルを務め、初の著書『持ってこなかった男』(双葉社)が2月に発売になったばかりの吉田靖直氏は、本作を観てこう記した。
「しかし麦と絹を見ていると、ネットとまったく同じ下衆な文脈で『〇〇が好きなんじゃなくて〇〇を好きな自分が好きなだけだろ』と言いたくなっている自分に気づいた。ミイラ展とかガスタンクとか本当に心から好きなのか」
目次
『もののけ姫』も最後まで観た試しがない私でも観られるのか…
先月末くらいから、近辺が映画『花束みたいな恋をした』の話でザワついている。予告編を見た限りでは菅田将暉と有村架純主演の王道ラブストーリーといった風情で、おそらくディズニーランドなどが好きそうな高校生や大学生を対象とした映画、少なくとも私のまわりの偏屈な30、40代が観るような映画ではなさそうだった。
しかしSNSで断片的な感想を見ていると、「押井守」「今村夏子」「天竺鼠」「cero」「NUMBER GIRL」「穂村弘」「きのこ帝国」などなじみのある単語、普通メジャーな映画に絶対に登場しないような固有名詞が頻発しており、なるほど、と思った。
あまり使い慣れないClubhouseで、知人が『花束みたいな恋をした』について語り合っていたので聴いてみた。映画を観てもいないのに感想を聴くことに若干の躊躇はあったが、実際に自分が映画館へ行くことはないだろうと思ったのだ。
そもそも私はあまり映画を観る習慣がない。映画を好きになりたいと思ったことは何度もあるが、適性がなかったのか習慣づかなかった。人の映画評などを見ると、よく1本の映画でこんなにいろんなことを考えられるなと感心する。
金曜ロードショーでたまにやっている『もののけ姫』も、何度観ようとしてもいつも途中で寝てしまい最後まで観た試しがない。きっと集中力が欠けているのだろう。
しかし今回、QJWebの編集の方から『花束みたいな恋をした』の感想を書いてみないかと言われ、いつもはしないことをするいい機会だと思い観に行くことにした。考えてみれば、ひとりで映画館に行った経験も人生でほとんどない。下手したら今回が初めてかもしれない。
映画を観終わって、「おもしろかった」と思った。その直後、そんなアホみたいな感想じゃいけないのだというプレッシャーが重くのしかかってきた。
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