「被害者意識が強過ぎるんじゃないの?」と思う心には「悪いおじさん」がいる。自分アラートとしての『持続可能な魂の利用』

2020.7.11


「おじさん」社会の理不尽を露にする『持続可能な魂の利用』

そんなわたしにはっきりと「そういう考えは良くない」と注意をしてくれる大勢の友人や読書のおかげで、少しずつ自分の中の「悪いおじさん」を駆逐してきたはずなのに、今回の「キモい」の一件で残滓が露呈されてしまった。がっかりというより、呆然となった次第です。で、そんなわたしに追い打ちをかけたのが、松田青子の『持続可能な魂の利用』(中央公論新社)なのでした。

『持続可能な魂の利用』松田青子/中央公論新社
『持続可能な魂の利用』松田青子/中央公論新社

主人公は陰湿なセクハラに遭い、派遣先の会社を追われた30代の敬子。彼女はある日、笑わないアイドル××とそのグループを発見し、夢中になっていきます。

〈ひらひらした衣装の笑顔のアイドルたちも、分厚い生地の衣装を身につけた笑わない××たちも、同じ一人の男にプロデュースされていた。長きにわたり日本のエンターテインメントの世界に君臨し、権力を持つ男に。
 そう考えてみると、敬子を傷つけたのも、敬子を救済したのも、同じ男だと言えた。認めたくはなかったが、そうだった。
後ろにあの男がいる。女の子たちを操るたくさんの男たちがいる。その構造が常に維持されてきた〉

もしかすると何か裏があるのかもしれないという疑念から逃れられないまま、しかし、敬子は××たちに夢中になり、職探しもそっちのけで〈推し〉の日々に埋没。そして、〈(前略)まるで憑かれたように踊り狂う彼女たちを見て、どうして彼女たちが好きなのか、敬子はすとんと理解できた。この黒魔術みたいな踊りで、もしかしたら、普段彼女たちを操っている男たちを殺せるんじゃないか、このダンスでいつか本当に殺すんじゃないか、と信じられるほどの気迫を感じるからだ。そこには希望があった、確かな〉という心境に達します。

カナダで同性の恋人エマと暮らす、敬子の妹の美穂子。かつての敬子の職場で今も派遣として働いていて、敬子に陰湿なセクハラを仕かけた男性社員を〈私が倒す〉と胸に誓っている20代の歩。アイドル時代にとても気持ちの悪い思いをして、それをきっかけに引退し、今は魔法少女のアニメにはまっている24歳の真奈。男性社会が押しつけてくるルールを「なあなあ」で無効化してしまうおばちゃんたち。新生児を抱えている由紀。遠い未来を生きている少女たち。そして、物語終盤で重要な役目を担う××。この小説には敬子以外にも、さまざまな女性が登場し、「おじさん」が作ってきた社会の理不尽を露にしていきます。

〈わかんないけど、日本って特に、悪い意味で、女性のことしか見ない国だよね。家父長制が徹底してるっていうかさ。女性にそうさせている男性の存在は無視して、女性だけを問題にして、非難することが当たり前になってる。そのシステム自体は絶対に問題視しない。これじゃ男性はまるで透明人間〉
〈(外国では薬局で売られていたり無料だったりするピルが日本では入手しづらいエピソードの中で)日本社会は、女性が楽をすることに、快適に暮らすことに、選びとることに、なぜか厳しい目を向ける社会だった。女性が自分の体をコントロールすることを良しとしない社会だった〉
〈抗い続けなければ、どの瞬間にも、「おじさん」の悪意に、「おじさん」がつくったこの社会の悪意にからめ取られてしまう。常に防衛するのが当たり前の、「普通の生活」を日々送っている日本の女性たち〉
〈女が大統領になるくらいだったらあらゆる面で醜悪な「おじさん」を大国の大統領に据えて世界を危険に晒すほうを選ぶように、急病人の命を救うことよりも男の聖域である相撲の土俵に女が上がることのほうが許せないように、深刻な環境破壊よりもそのことを真剣に訴える三つ編みの女の子の口調が気に入らないように、このままきっと「おじさん」によって国が滅び、世界が滅びる。「おじさん」によってみんな死ぬ〉

子供をたくさん産めば〈お国のためにえらい〉と上機嫌で褒める。若い女の子に従順さや愛らしさを要求する。女性が怒ると、それがどんなに正当な怒りであっても「感情的になるなよ」と小バカにしていなす。女性から名字を奪う。女児や女性を性的な視線で舐める。そのすぐ延長線上にあり、いまだじゅうぶんな対策は取られていない痴漢や盗撮やレイプといった犯罪。相手が自分よりも低い存在だと示すために行うマウント。いじりといじめ。

自分アラートを発動させよう

この小説の中には「おじさん」性の悪い面がこれでもかとばかりに提示されています。なので、読んで怒りや反発を覚えた人や、「被害者意識が強過ぎるんじゃないの?」と思った人は自分アラートを発動させたほうがいいです。あなたの中に「悪いおじさん」がいる証拠ですし、あなたが他者の痛みに鈍感な人間である証左ですから。小説の中でも描かれていますが、「おじさん」は中年以上の男性に限らない。小学生にもいます。かつてわたしがそうだったように、女性の中にもいます。『持続可能な魂の利用』は、だから、自分の中の「おじさん」発見器として有効な小説でもあるんです。

〈「おじさん」から少女たちが見えなくなった〉という衝撃的な未来像から幕を開け、なぜその未来が到来したのかが明らかになる第二部で幕を閉じるこの小説を読んでいる最中、わたしの中の「小さなおじさん」は身をよじって恥じ入っていました。そして読後、「小さなおじさん」なんかじゃなく、敬子の代わりに陰湿なセクハラ男性社員をやっつける歩が肌身離さず持っている〈ピンクのスタンガン〉こそを心の中に具えていたい、〈毎日がレジスタンス〉を合言葉に敬子たちと連帯したいと願うに至ったのです。
だから、男性にこそ読んでいただきたい。男性の感想が聞いてみたい。男性と話し合ってみたい。それがこの小説が今の時代に生み出す「希望」。『持続可能な魂の利用』は、「おじさん」が作り出した絶望から始まって、この世界に生まれるべき希望を描いた小説なのです。


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豊崎由美

(とよざき・ゆみ) ライター、書評家。『週刊新潮』『中日(東京)新聞』『DIME』などで書評を多数掲載。主な著書に『勝てる読書』(河出書房新社)、『ニッポンの書評』(光文社新書)、『ガタスタ屋の矜持 場外乱闘篇』(本の雑誌社)、『文学賞メッタ斬り!』シリーズ&『村上春樹「騎士団長殺し」メッタ斬り!』..

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