「成績優秀な人たちが、小学生が見てもおかしい事態を引き起こすのはなぜなのか?」 『ここぼく』脚本家・渡辺あやインタビュー(4)

2021.7.27
脚本家・渡辺あやインタビュー

文=木俣 冬 撮影=石垣星児 編集=田島太陽


自主映画『逆光』に企画と脚本で参加している渡辺あやさんに、彼女の地元・島根で行ったインタビュー、第4回(全6回)。『今ここにある危機とぼくの好感度について』(NHK/以下『ここぼく』)でも脚本を務めた渡辺さんは、物語世界を通して、社会の何を描こうとしているのか。

(1) 地元・島根を訪ね、『ここぼく』『逆光』の背景を聞く
(2)参加意識は「巨人軍のコーチみたいなもの」
(3)自分たちでお金を出し「企画会議を通る要素がひとつもない」映画を作る
(4)「成績優秀な人たちが、小学生が見てもおかしい事態を引き起こすのはなぜなのか?」
(5)煙草と人間のエネルギーについて「ちょっとくらい体に悪いこともやっていないと」
(6)「私にとって脚本は、ある程度の余白みたいなもの」

渡辺あや
映画『ジョゼと虎と魚たち』(2003年)で脚本家デビューし注目され『メゾン・ド・ヒミコ』(2005年)、『天然コケッコー』(2007年)など優れた脚本を次々書く。『火の魚』(2009年)、『その街のこども』(2010年)でテレビドラマの脚本を書き、2011年、朝ドラこと連続テレビ小説『カーネーション』でそれまで朝ドラを観ていない層にも朝ドラを注目させた。近年は『ワンダーウォール』(2019年)、『今ここにある危機とぼくの好感度について』(2020年)などが高い評価を得ている。寡作ながら優れた作品を生み出すことに定評がある。

映画『逆光』
コロナ禍、脚本:渡辺あや、監督、主演:須藤蓮が互いの持続化給付金を持ち寄って作った自主制作映画。舞台は70年代の尾道、三島由紀夫にかぶれている青年・晃(須藤蓮)が故郷・尾道に好きな先輩・吉岡(中崎敏)を連れて帰郷してくる。先輩に向けられた湿度を伴った晃の眼差しが物語を牽引する。尾道と島根で10日間のロケを行った。

私たちが受けてきた教育は「受動的であれ」というものだった

──『逆光』は舞台となった尾道や広島の人たちを巻き込んで、広報活動をしています。

渡辺 広島から発信していくことは東京のプロの人たちから反対されました。でも反対されればされるほど、蓮君の中で反骨心が燃え上がり、思いきってやってみたらそれこそいろんな方たちが、だったらこんなことがやれるってどんどん提案してくれて、みんなで楽しんでやっています。

──脚本がいいと現場のテンションは上がると私は思っていて。それこそ渡辺さんだったらみんな楽しくやれるのではないかとも思いますが、脚本だけでは足りないものなんでしょうか。

渡辺 もちろん私もどんな作品でもできるだけ現場の人が楽しいと思ってくれるようなものにすることを一番の命題にして書いているので、『ここぼく』もきっと現場は楽しくあってくれたと思います。ただ『ここぼく』はある程度予算もつくし、仕上がりがある程度のクオリティになる予想がつきます。一方『逆光』は本当に予算が最小限で制作は過酷で、にもかかわらず爆発的なエネルギーを持ち得る。そういうのを見てみたいと私は思うんですよ。

この前、蓮君とふたりで『朝日新聞』の取材をZoomで受けたとき、蓮君が「主体的に関わることをやりたいし、まわりにもそうあってほしいと思う」と言っていました。『逆光』では私や蓮君が主体的にやっていたら、まわりの人たちも受動的ではなく、能動的に関わろうとしてくれる現象が起こり始めたんですね。そうなったのはたぶん、私たちが主体的にやっているとはいえ、できないことが多過ぎて(笑)、足りない部分を埋めたいとまわりの人が思っちゃうんでしょうね。そうやって関わったら彼らにとっても楽しいものになったんじゃないかな。

人間は主体的だったり能動的だったりするとき、初めて能力が100%開花すると私は思いますが、今の社会や私たちが受けてきた教育は受動的であれというものです。とにかく上の言うことを聞いて、言うとおりにしろという教育をずっと受けてきました。主体的であってはいけない、能動的であってはいけないと思っている節すらあります。

もちろん、受動的な生き方が向いている人もいると思いますが、受動的であることを強いられてしんどい思いをしている人がたくさんいるような気がするんですよね。その枷を外すことが起こるとしたらたぶんこういうことなんじゃないかっていう試みが『逆光』だったと思うと蓮君が取材で言っていたのを聞いて、なるほどそうだって私も思いました。

この企画は関わってくれている人たちがみんなめっちゃキラキラしているんですよ。これがプロの現場との圧倒的な違いです。プロの現場がすべてそうだということではないですが、主体的にやっている人と雇われて仕方なくやっている人との温度差がありますよね。自主制作だったら圧倒的に全員、自由ですから。

アンティークのミシンが玄関に

──期せずして、『ここぼく』は受動的な人が主人公で、意味のない言葉がいいなどと言っているような人たちが中枢にいて……というのが物語の発端でした。それが放送されてほどなくして、自由な作り方をした『逆光』が公開されるとはおもしろいですね。

渡辺 そうですね。ほんとそうですよね。『ここぼく』も自分の中にある問題なんでしょうね。だからものすごくわかるんですよ、神崎真(松坂桃李)が努めて意味のあることを言わない気持ちもわかります。私は今、フリーランスの脚本家だからこんな感じに自由ですけど、彼のように間違ってエリートの道を歩き始めて、組織の中に放り込まれたら、たぶん、ああいうふうに考えただろうとすごく思うんです。

組織って多かれ少なかれ、ああいう感じになっている気がして。官僚をはじめとして成績優秀な人たちがそろいもそろって小学生が見てもおかしいような事態を引き起こすのはなぜなのか、その事情を理解してみたいと思って『ここぼく』を書きました。同じ人間だからわかるはずと思ったんです。自ら内側に入って私なりに解きほぐしてみたかったんですね。

──実際、大学の取材をしたのですか。

渡辺 細かい組織や学術的なことに関してはプロデューサーが取材してくれました。私が取材すると、つい会った人をモデルにして、そうすると大問題になりかねませんから(笑)。なるべく距離をおいてより架空感を高めました。

──『ここぼく』の勝田夏子プロデューサーとはどうやってこのテーマをドラマにすることになったのでしょうか。

渡辺 最初はふわっと「何か一緒にやりましょう」という感じで来られて、そういう場合、一番共有できるのはどこかを探すところから始めるのですが、いろいろしゃべっていて、一番同じテンションで熱くなれたのは、今の社会や組織に対する考えでした。そこで私たちが共有できた問題意識を何かメタファーに託して描こうということになって、出てきたのが“大学”でした。

私が『ワンダーウォール』で大学組織に興味を持っていたので、大学だったらできる気がしますと提案しました。『ワンダーウォール』で書いた、ラスボスがいると思ったらどうもいないみたいな暖簾に腕押し感と、じゃあ誰と闘ったらいいのかっていう個人的な疑問を描いてみたかったのかな。私はあらかじめ、こういうことを映画やドラマで書いてやろうという強い意思があるわけではなくて、たまたま関わった人たちと物語世界を通してこの世の状況を理解したり一緒にドタバタ七転八倒したりしたいという欲求があるんですよ。

──そこも参加意識型ですね。

渡辺 徹底的に参加型です。

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  • 『逆光』

    『逆光』

    企画:渡辺あや、須藤蓮
    脚本:渡辺あや
    監督:須藤蓮
    音楽:大友良英
    出演:須藤蓮、中崎敏、富山えり子、木越明、SO-RI、三村和敬、衣緒菜、河本清順、松寺千恵美、吉田寮有志

    2021年7月17日(土)よりシネマ尾道、7月22日(木)から横川シネマにて公開。以後、順次公開予定。

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