開き直らず、かといって責め過ぎずに「男である自分」と向き合うには――『さよなら、俺たち』書店員対談

2020.10.20


元チャラ男でコミュ力高いからこそ、これが書けた

伊野尾 僕は、清田さんが若いころチャラチャラしてたってことをちゃんと書くところがいいなと思いました。失恋がきっかけで本を読むようになったっていうのもすごくいいですよね。チャラ男時代を生きているからこそ、わかることが多いんですよ。モテないまま文化系だけでずーっと来てたら、いつまで経ってもこの視点は出てこない。

コメカ 読みながら何度も思ったけど、清田さんはコミュ力が高い。だからこれを書けるんですよね。

伊野尾 そうそう! 「モテなかった」とか「ダメだった」とか、実際なかなか言えないですからね。

コメカ 『電波男』ってあったじゃないですか。あれは結局、「モテない俺たち」をいかに無条件肯定するかっていう大命題を抱えてたと思うんですよ。それがこう、「俺たち」を搾取してくる三次元の恋愛資本主義から離脱して、「二次元の愛に生きろ!」みたいな、ネタのような理論に昇華されてたわけですけど(笑)。ゼロ年代までは、文化系の男性による性愛や恋愛についての自己言及って、そういうルサンチマン芸みたいなものに陥りやすかったと思うんですよね。

『電波男』本田透/三才ブックス/2005年

伊野尾 自分を直視する作業ってなかなか難しいですよね。

コメカ 今後は、モテるかモテないかって話ともまた違って、「俺はフェミニズムを理解しているんだ」みたいな自意識を、自分の自尊心の根拠にする男性が増えちゃうかもなあって思ったりもしています。

――男性内で、「俺のほうがお前よりわかってる」っていう勝ち負けの話になってしまうのはなぜなのでしょうか。

伊野尾 それこそ「すごーい!」って言ってもらいたいからですよ。

コメカ 相手にマウント取って打ち負かして自分が上位に上がっていくってのが、ほとんどの男性にとって一番なじみ深い、社会的自己実現のための手段ですからね。

あと、清田さんが言うような、男性もbeingを大切にしようという方向性が今後もし大きくなっていくとして、そのとき気をつけないといけないなと思うのは、たとえば男性中心主義構造に乗っかってそもそも普段から居丈高な人が、さらに「俺のありのままのbeingを認めろ」とか言い出したら……(笑)。

――それはしんどいですね。

コメカ 一方、男性の加害性を意識し過ぎるあまり過剰に自罰的になって、「男として生まれてきてしまってすみません」みたいな感じで出口がなくなってしまうのも、それはそれでマズいと思っていて。

伊野尾 若い世代だと特にその傾向があるのかもしれないですよね。

コメカ あとは、beingを大切にしようというプロセスの中で、「俺は昔はこんなにダメだったんだ」みたいな、過去のダメ自慢チキンレース、懺悔合戦みたいになるとそれもまたおかしなことになる。ほかの人たちと「俺たち、ダメだったよな! 今は違うけどな!」みたいに肩を組み始めたりしたらすごいヤバいなあと。

――それだと「俺たち」に「さよなら」できていないですよね。

伊野尾 自分の世代だと、あんまりそうはならない気がするなぁ。その瞬間、カーストが下になるって意識が強いから。人前でダメな部分を晒すことにはかなり慎重ですよ。

コメカ なるほど。「男である自分とどう付き合うか」っていうのは、やっぱりすごく難しいですね。ただ、自分っていうものをどうやって変えていくかとか、どうやって相手を傷つけないようにするかが一番大切なんであって、ダメだった部分を吐露することが目的化しないようにしなければ、と思います。

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