マームとジプシー『cocoon』を再訪する【第2回】今とは違う世界を思い描くこと

2020.6.1

2020年公演に関するひとつの結論

今年2020年の春から初夏にかけて、藤田くんは『CYCLE』と『かがみ まど とびら』と題した作品をそれぞれ発表するはずだった。でも、いずれも公演は延期されることになった。藤田くんの作品が延期されるのは、9年ぶりのことだ。2011年3月、藤田くんは『まいにちを朗読する』と題したワークショップの発表会をするはずだったけれど、震災の影響で延期されることになった。それは確か、藤田くんにとって初めてのワークショップだった。

「あのときは原発の問題もあったし、計画停電の中、自分の作品を上演する場所まで足を運ばせることは、すごくリスクを伴うことだなと思ったんですね。そこにはチケット代だけじゃなくて、劇場まで足を運んでもらって、そこから家に帰る時間も必要なわけで、演劇というのはそういう拘束力のある表現なんですよね。皆が同じ時間にひとつの場所に足を運ぶことで成立する表現だっていう。ぼくらはきっと、『上演する』と決めれば、劇場に集まって作品を発表することはできると思うんですよ。ただ、そこで観客の皆さんに『劇場に足を運ぶ』と判断させるのは、とても大変なことだなと思ったんですよね」

オーディションが開催されたのは、
彩の国さいたま芸術劇場にある稽古場だった。
そこは芸術監督だった蜷川幸雄さんにちなんで、「NINAGAWA STUDIO」と名づけられている

今年の夏、予定どおりに『cocoon』が上演されるのかどうか、ずっと気がかりだった。

ゴールデンウィークを過ぎてからというもの、新規感染者として発表される数字は下がっていたし、「新しい生活様式」という言葉も繰り返し耳にするようになっていた。ただ、ワクチンや治療薬が開発されたわけではなく、感染の確率が下がっただけだ。

もし上演するとなれば、観客だけでなく、俳優やスタッフを含めて大勢の人たちを劇場に集めることになる。上演に至るまでにも、何十日と稽古場に集まる必要がある。そこにはリスクがつきまとう。リスクを背負いながら最大限の配慮をしながら上演することは可能だけれども、『cocoon』という作品が描いているものを――藤田くんがここ数年描いてきたことを――考えると、もしも「今年の上演を目指して走り出す」と言われたとしたら、その決断を心から応援できないなと思っていた。だから、正直に書くと、藤田くんの言葉にほっとしたところもある。

「今の時代っていうのは、『cocoon』がモチーフとしている75年前の戦争の時代とすごく似てると思う」。藤田くんは言葉をつづける。「作品の中で描かれている戦争は、やるべきじゃなかった戦争だと思うし、どうにもこうにもいかなくなった時代に、どうにもこうにもいかなくなった戦地に派遣されて、そこで死ぬしかない命があったわけですよね。『cocoon』というのは、そこで『看護しろ』と言われた女性たちの話で、その女性たちも半数以上が亡くなっている。それを描いた作品を今の状況で上演して、そこに観客の足を運ばせるってことは矛盾していくんじゃないかっていう。7月からのツアーを強行するってことは、ぼくが作りたい『cocoon』のイメージから離れてしまうし、多くの人を巻き込んでいくことを考えると、今やるべきではないんじゃないかっていうことがひとつの結論としてありました」

今年の夏の『cocoon』は、上演が見送られることになった。ただ、今回上演できないにしても、2022年の夏、今年予定していたよりも大きな規模のツアーとして上演を目指したいのだと藤田くんは語る。公演の延期自体は早い段階で決断していたものの、発表まで時間を要したことには理由があるようだった。

新しい『cocoon』を描くために

「この中にはきっと、こうやってぼくが話してることに対して、『誰なの?』って思ってる人もいると思うんだけど」。藤田くんがそう切り出すと、藤田くんの話に聞き入っていた皆の表情が少しゆるんだ。この日集まったメンバーの中には、藤田くんの作品をほとんど観たことがなく、『cocoon』に出演したいという思いからオーディションに参加した人もいる。

「今年はすごくいいオーディションができたし、全部のバランスがすごくうまく組めたなと思えたキャスティングだったんですね。延期するにしても、このメンバーで『cocoon』を作っていないのに改めてオーディションをするってことは絶対にしたくないと思ってるから、どうにかこのメンバーと『cocoon』の実現に向けて動いていきたい気持ちがあるんです」

そこまで語ると、藤田くんはペンを手に立ち上がる。ホワイトボードに書き綴られたのは、2013年の『cocoon』の初演以降、藤田くんが発表してきた作品のタイトルだ。

「2013年の『cocoon』の初演と、2015年の『cocoon』再演の間に、『カタチノチガウ』という作品を上演したんですね。この作品の最後には、未来を生きる子供たちに何かを託すようなセリフが出てくるんだけど、それはちょっと祈りに近いようなところがあったんです。『カタチノチガウ』に限らず、その時期のぼくの作品には未来に託すようなイメージがあったんだけど、この5年の間に『未来を誰かに託すって、ものすごく無責任なんじゃないか?』って思うようになったんですね。『未来に託す前に、まずは自分たちでどうにかしないの?』っていう」

藤田くんは繰り返し「記憶」というモチーフを――つまり過去という時間を――描いてきた作家だった。彼の作品に「未来」という言葉が登場するのは、『カタチノチガウ』が初めてだった。

マームとジプシー『カタチノチガウ』 撮影=橋本倫史

この『カタチノチガウ』を経て再演された2015年『cocoon』には、過去・現在・未来という時間軸が強く組み込まれていた。現在は過去から見た未来であり、未来から見た過去である――戦後70年の節目を迎える年に、かつて行われた戦争のことを振り返りながら、未来に向けて何を託すのか。藤田くんは『cocoon』を上演することで、世界が変わることを願っていたのだろう。

こう書けば、「何を夢みたいなことを言っているんだ」と笑う人もいるだろう。でも、演劇作品を上演するまでに膨大な時間を注ぎ、劇場で観客を待つことは、藤田くんにとって「祈り」に近い行為なのだろう。

2015年に『cocoon』を上演してからというもの、藤田くんは時折「世界は何も変わらなかった」と口にした。2017年にインタビューしたときにも、『cocoon』の再演を振り返り、彼はこう語っていた。

藤田 あの劇を観にきてくれるのはよっぽどなことだと思っていたんです。僕は戦争物っていうのが怖かったし、たとえば手塚治虫の漫画を手に取るにしても、『火の鳥』は開くのに体力が要りますよね。それと同じように、『cocoon』という作品を観るためには「マームとジプシーが好きだから」ってだけのモチベーションでは観れない気がしたんです。少なくとも僕の感覚ではそうなんです。わざわざ戦争物を手に取るためには動機が必要で、娯楽というレベルでは観れないと思うんですよね。そうやって観にきてくれたお客さんたちが作品に向けてくれるまなざしを、僕は客席の後ろから観た。そこには泣いている人もいれば怒っている人もいて、何も思っていないような人もいたけど、「この経験をしにきたってことは一生忘れるなよ」と思ったんです。だから今、辛いです。結局のところ何も変わらなかったなと思って、結構辛かったですね。すごくチープな言い方になってしまうけど、あの会場に関しては平和のイメージだったんです。別に平和を謳って公演をやっているつもりはなかったけど、あの作品を観るために劇場に足を運ぶってことは、少なからずそういう意志のある人たちがいたんだと思えたんです。でも、そこから2年経った今、あの公演って何だったんだろうと思わざるを得ないんですよね。その気持ちが『sheep sleep sharp』に繋がっていくんだと思います。

マームとジプシー公式サイト「mum & gypsy 10th Anniversary Tour 藤田貴大 特別ロングインタビューvol.4」

今とは違う世界を思い描くこと

テレヴィジョンの「マーキームーン」を耳にするたび、思い浮かぶものがある。

ひとつは、ナンバーガール/ZAZEN BOYSである。ライブが始まり、メンバーがステージに登場する際のSEとして、しばしば「マーキームーン」が響き渡る。そして、もうひとつ思い浮かぶのがマームとジプシー『sheep sleep sharp』(2017年)だ。

マームとジプシー『sheep sleep sharp』 撮影=井上佐由紀

思い返してみると、『sheep sleep sharp』は不思議な作品だった。

青柳いづみさんが演じる「私」は、幼くして父を失くし、母はずっと意識をなくしたまま入院しており、ひとりきりで暮らしている。彼女は世界に絶望し、「自分の手ですべて終わらせる」と、登場人物をひとりずつ殺してゆく。舞台がエピローグを迎え、「マーキームーン」が流れるなか、殺害シーンがリフレインされる。ただし、登場人物を殺害するのは青柳いづみが演じる「私」ではなく、谷田真緒が演じる「少女」だ。「マーキームーン」は途中で中断されることなく、舞台上に流れつづける。長い曲の間に、殺害シーンがもう一度リフレインされる。そこで少女は、登場人物を殺すのではなく、そっと抱きしめる。舞台に立つ「私」は、「実は、誰も、死んでいない?」と口にする。

人を殺すシーンを描いてきて、最後の最後に「実は、誰も死んでいない?」と語る。こうして文章に書き出すと、ただ突拍子もない話に思われるだろう。それは確かに突拍子もない言葉ではあったけれど、そのエピローグはとても鮮やかな光景としてぼくの記憶に残っている。どうしてそんなシーンを描いたのか、藤田くん自身もきっと、あの当時は説明がつかなかったのではないかと思う。でも、あれから3年が経ち、はっきり見えてきたものがあるらしかった。

「『cocoon』っていう作品は、物語上はサンしか生き残らないよね。だから舞台上では、他の登場人物が死んでいく場面を描くんだけど、演劇を上演しているのは今生きてる人たちじゃないですか。物語の中では死ぬんだけど、カーテンコールでは立ち上がって挨拶をする。いくら死を扱っていても、見えてくるのは生しかないってことが演劇の難しさでありおもしろさだと思う」

2013年の『cocoon』も、2015年の『cocoon』も、最後には青柳いづみさんが演じるサンだけが生き残る。立ち上がった彼女は、「繭が壊れて、、、わたしは羽化した、、、/羽があっても、、、飛ぶことはできない、、、/だから、、、/生きていくことに、、、した、、、/生きていくことに、、、した、、、、、、」と語り、舞台は終幕を迎える。3月に沖縄を訪れたころから、藤田くんはしきりに「やっぱり、生きていくことにしたでは終われない気がする」と語っていた。

マームとジプシー『cocoon』(2015年) 撮影=橋本倫史

「つまり、沖縄戦っていうのは、ほんとうにあったことですよね。それを物語として伝えるために、ひとりの少女だけが生き残ったっていう話を今日さんは描いて、ぼくも舞台化してきたんだけど。でも、それはほんとうにあった話をモチーフにしているわけで、そこでは『ひとりの少女が生き残って、今、生きているんです』みたいな話ではないわけだよね。だから、『cocoon』を舞台化するのであれば、サンひとりが生き残ったことを描くだけじゃ駄目なんだろなと思い始めたんです。他の誰かも生きたかもしれないし、30代になって、60代になって、90代になってあのころのことを話したかもしれなくて。そういう可能性だってあったはずなのに、ひとりの少女のモノローグとして、きれいな話として終わらせてしまうことに違和感があるんだと思う」

藤田くんの話を聴きながら、どうしてわたしたちはフィクションを必要とするのだろうかと考えていた。

『cocoon』はひめゆり学徒隊に着想を得て描かれた物語だ。沖縄戦も、ひめゆり学徒隊の悲劇も、事実として存在している。その揺るぎなさは、わたしたちが今、このようにして生きていることと近しいことだと言える。わたしたちひとりひとりが、それぞれの境遇で生まれ育ち、それぞれの生き方をして、今この瞬間まで生き延びている。それは事実として、そのように存在している。

その事実から目を背けることは、ただの現実逃避だ。でも、事実を見据えながらも、今とは違う時間のことを想像することだってできる。こうならなかった世界のことを、今とは違う世界のことを、わたしたちは想像することができるはずだ。世界がどんなに混沌としたって、みだりに絶望することなく、今とは違う世界を思い描くことができる――この2カ月はずっと、その可能性のことばかり考えて過ごしてきたような気もする。

何百年という規模のリフレインを想像する

何百年という規模のリフレインを想像する

藤田くんはホワイトボードに、2015年の『cocoon』以降に描いてきたいくつかの作品のタイトルを書き出してゆく。

『BOAT』
『BEACH』
『BOOTS』
『CITY』

そして、今年の春に上演されるはずだった『CYCLE』。こうして書き出してみると、「B」と「C」から始まる作品がつづいていたことに、このとき初めて気づかされた。

「僕の中では『CITY』が一番最近作った“新作”なんだけど、『CITY』、『CYCLE』、『cocoon』と、1文字ずつ増えていくように順序立ててたんですね。『CYCLE』が延期になって、その順序も崩れてるんですけど、『cocoon』を実現するに向けて、このメンバーで何かを立ち上げていけないかってことを考えてるんです。それで最近、『B』とか『C』にまつわるタイトルのことを――それも、沖縄にまつわるタイトルのことを――考えていて。たとえば『bayside』とか、『coralreef』とか、『coastline』とかね。このタイトルはまだ決定じゃないし、戦争っていう時代からいったん離れてもいいんだけど、沖縄のランドスケープのことを考えながら、たとえば『bayside』って言葉が今の風景だとどこに当てはまるのか、あの時代にはどういう響きを持っていたのか、考える企画を立ち上げていきたいと思ってます」

「沖縄の海」と聞けば、
青い海と白い砂浜を反射的に思い浮かべてしまうけれど、
当然ながら場所ごとに表情は異なっている

たとえばだけど――そう前置きした上で、藤田くんはいくつかのアイデアを皆に語ってゆく。出演者のうちの何人かで『coastline』って公演を来年あたりにやってみてもいいかもしれないし、公演にまで至らなくても、WEBサイトを立ち上げて、そこに映像作品を載せてみたり、原田郁子さんと一緒に録音した音源を載せてみたり、皆が作業しているところを今日さんにスケッチしてもらったり、そういうことはできるんじゃないか、と。

「それで、最終的には『C』を超えたいと思ってるんだよね」と藤田くんはつづける。「ぼくが昔から考えてきた『daydream』ってタイトルがあって、これは白昼夢って意味なんだけど、ここに向かっていきたいと思っています。初演の『cocoon』のときから考えていたのは、たとえばガマの中にいて、目の前で人が死んでいるんだけど、『これは夢を見ているだけで、私は実はここにいないんだ』と思っていたかもしれなくて。繭の中で眠りながら悪夢を見ているイメージが、今日さんの中にもあったし、僕の中にもあったんですね。だから、沖縄のいろんなランドスケープのことを考えて、最終的に『daydream』ってタイトルに辿り着くことができたら、初演や再演とは違う強度の作品として『cocoon』を描けるんじゃないかと思っています」

思い出されるのは、いつだか沖縄を訪れたとき、藤田くんや青柳さんと一緒に訪れた海だった。

その海は入り江のようになっていた。ちょうど引き潮の時間らしく、ゴツゴツとした岩肌が露わになっていたけれど、ところどころに潮だまりがあり、貝が蠢いていた。ここはきっと、潮の満ち引きが何百年と繰り返されるなかで、少し入り江のように変形したのだろう。この風景にも、かつて戦争が影を落としていたのだろうか?

『cocoon』がモチーフとするのは、75年前に沖縄で行われた地上戦だ。

ただ、『cocoon』という作品を想像することは、75年前に思いを巡らせるだけでなく、10年前の、100年前の、1万年前の姿を想像することにもつながっているはずだ。そうだとすれば、2022年の夏に上演を目指すのだとしても、時間は足りないくらいだろう。『cocoon』が上演されるはずだった2020年の夏から、2022年の夏に向けて。皆がどんな時間を過ごすのか、見届けたいと思っている。

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橋本倫史

(はしもと・ともふみ)1982年東広島市生まれ。物書き。著書に『ドライブイン探訪』(筑摩書房)と『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』(本の雑誌社)。琉球新報にて「まちぐゎーひと巡り」(第4金曜掲載)、あまから手帖にて「家族のあじ」連載中。

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