さまざまな分野に“気鋭”と呼ばれる存在がいるが、このふたりは間違いなく各シーンにおけるそれだろう。長谷川あかりと大森時生。料理家とテレビプロデューサー、それぞれ異なる立場同士だが、どちらも慣習に捉われないアプローチで業界に新たな風を吹かせている。
大森がプロデュースを手がける『たべるししゃべるし』(テレビ東京)も、まさにそんな番組だ。20年来の親友である長谷川とFRUITS ZIPPER鎮西寿々歌による『たべしゃべ』は、これまでテレビで目にしてきたトークバラエティや料理番組、またモッパンや雑談などネット上の動画ともまた違う印象が新鮮だ。
今回は番組放送を記念して、長谷川と大森による特別対談が実現。同世代のふたりはジャンルをまたいで、何をしゃべるのか。
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生活ってアツい

──『たべるししゃべるし』は、長谷川さんと鎮西さんが、ふたりでご飯を作って食べてしゃべるだけという極めてシンプルな構成になっています。大森さんがこの番組を作るに至ったきっかけはなんだったのでしょうか。
大森 まず長谷川さんを知ったきっかけでいうと、本当に妻かもしれないんです。番組のクレジットに妻の名前を入れようか?と家で話したくらいに(笑)。それまでも長谷川さんのことは目にしていたと思うんですが、ちゃんと像を結んだのは、妻からの「この料理家さん、めちゃめちゃすごいんだよ」というリコメンドが最初でしたね。
長谷川 うれしい。ありがとうございます(笑)。
大森 僕、これまではわりとホラーっぽいドキュメンタリーを作ることが多くて。だからこそこの番組もよけいな推察を生んでしまって、長谷川さんにも「これからどうなるんだろう」とご心配をおかけしたと思うんですけど。ただ、僕自身30代になって、自分の生活とか、生きるということそのものに関心が向いてきたんですよ。ご飯の食べ方にしても、運動にしても、生活のすべてがけっこうめちゃくちゃだったんですけど、心のどこかで「生活ってアツいよな……」とずっと感じていた。でも、それを実行するのは難しいじゃないですか。仕事は続いているし、メイクマネーもしなきゃいけない。そんなときに、長谷川さんの料理が、自分の中の生活のアツさとの接地面になり得ると、勝手に定義づけていたんです。
だから長谷川さんの料理を取り上げる番組というよりは、長谷川さんの料理を通じた生活そのものを見せたい。生き方とまでは言わないけれど、その手前にある「生活的なもの」を提案したいと思ったときに、一番ナチュラルにそこへ行けて、なおかつ誰かに作って、感想をもらいながらその場に空間が生まれる相手として浮かんだのが、鎮西さんだったんです。
長谷川 私のところに話が来た段階では「鎮西寿々歌とふたりで作って食べてしゃべる」という企画だったので、単純に「そんなごほうびみたいな話があっていいんでしょうか!!」という気持ちでした。
それと同時に、ずっと感じていたことでもあったんですよね。私がレシピを出すとき、それがどうしても「レシピすぎる」ものになってしまう。ずぼらレシピや手抜きレシピでさえ、料理を中心に生活を考えすぎているんじゃないか、と。もっと雑な部分や隣り合わせになる部分を含めて、それをどう受け入れていくかという最適解として、「今日はこれくらいの気持ち」で作っている自分がいる。その前後の文脈まで含めて料理を見せたいとずっと思っていて、でもそれがまさか「友人と作って食べてしゃべる」というかたちになるとは想像していなかったので、本当にうれしかったんです。
大森 「レシピすぎる」。
長谷川 ひとつの方法としてエッセイを書いてみたこともありますし、レシピ本よりももう少し多面的にレシピを紹介するためのパーソナルムックを作ってもいるのですが……。もちろん、レシピはレシピとしてだけ見たい、人の情報や感情の情報はいらない、という方もいらっしゃる。ただ、もう少し生活のことをきちんと考えた上での提案の仕方にしたかった。レシピがすごくおいしいから作ってほしい、ということだけでもないんです。理想というとおこがましいですが、共有の仕方として「こんな手があるんだ」と気づいてもらえた喜びは大きかったです。
生活の意識としての“アーバンナチュラル”

──「生活がアツい」という大森さんの感覚は、長谷川さんもお持ちですか?
長谷川 私もずっと生活はアツいです。そのアツさって、結局どこかに「ままならなさ」を抱えているからこそ生まれるものだと思っていて。本当にちゃんと生活ができている人は、たぶん「アツい」という視点自体を持たない気がするんです。私がすごく感じたのは、『天然生活』(扶桑社)や『暮しの手帖』(暮しの手帖社)のような雑誌を、ファッション誌のように読んでしまう自分がいるということ。実用書として読んでいるわけじゃない。そこにアツさを感じているのは、どこかで「自分ももう少しこういう生活になれたらいいのに」という、働き方なのか社会なのかわからないけれど、ままならなさを抱えているからなんだと思います。この温度感が、大森さんと一致していたのは、すごく安心しました。
大森 結果的に本番を見ながら思ったのは、長谷川さんと鎮西さんがあれだけゆっくり過ごしている時間そのものが、フィクショナルなものでもあるということでした。実際はおふたりとも忙しくて、3カ月に1回、4カ月に1回、月食のようにタイミングが合ったときに生まれる、奇跡的な時間だと思うんです。それが現場で本当に起きている。それってもうフィクションに近いというか、「そうなったらいいな」という生活に近い。僕自身、朝起きて一秒後に仕事のLINEを返しているような生活をしているので、これはもう生活じゃなさすぎる、と痛感するんです。だから長谷川さんのレシピ本も、僕はあまり作るためというより、読書になっていることが多い。ゴーヤの炊き込みご飯のページを読んで「いいね」と思う、それが僕の中の生活のアツさなんだと思います。
長谷川 すごく似ているかもしれません。私自身、料理家をやりながら、いまだにレシピ本をその感覚で見ているんです。多くの料理家さんはもっとちゃんと生活をしているでしょうし、レシピ本を料理を作るための本として捉えるのが自然ではあるから、「アツいものとして見るな」と怒られたりすることもたまにある。でも、バタバタした生活の中でも、月に1回でもいいから料理を通してゆとりのある時間を持てたらいい、と思うことにすら意味があるというのはもはや、なかなか気づけないので。私もレシピ本は読書だと思っています。
大森 本当にそうですね……さっきおっしゃったように、ままならずにきちんとできている人が、生活をアツいと思うわけがないというか。理想の田舎暮らしをしている人は、たぶん粛々とやっているだけなんですよね。逆に、東京から山梨県北杜市あたりに移住しようとしている人ほど、アツさを感じながら移住生活を送っている。今の東京のリアルというのは、むしろ「生活がアツい」と感じてしまうことのほうなんじゃないかと思います。満員電車に一本乗るだけでも、生活というものが終わってしまう感覚がある。「北欧、暮らしの道具店」的なものを妄想すること自体が、生活のアツさという概念そのものなのかもしれません。
長谷川 今聞いていて、すごく思い出したことがあります。私が料理家になろうと思ったとき、「ここだ」と思った瞬間があって。恥ずかしい話ですが、塩だけで味つけをするのがかっこいい、と言っている料理家さんがほとんどいなかったので、言うのをためらっていたんです。でも言ってしまったら、意外とわかってくれる方がいた。「生活がアツい」という言葉自体、今日初めて単語として意識したくらいなんですが、いつか梅仕事をして瓶をたくさん並べて地方に移住したい、と思いながらも「今は働き盛りだからそんなこと言っていられないよね」という気持ち……『天然生活』を読みながら、憧れとともに苛立ちも感じていたんです。アーバンでいながらナチュラルさを忘れたくない──料理家になる前によく「アーバンナチュラル」なんて言っていたのを思い出しました。インテリアの用語ですけど、生活の意識として取り入れたいなと。
──アーバンナチュラル!
長谷川 味噌は仕込めなくても、今目の前の料理を塩だけで味つけることはできる。そこで素材の味をちゃんと感じながら「生きている」と10分だけでも思えたら、それはもうじゅうぶんに生活なんじゃないか、と。それがアーバンナチュラルの、今も活動の根っこにあるコンセプトだと思います。
──『たべるししゃべるし』は、ひとり黙々と料理を作っている長谷川さんが指を少し切ってしまって、そこにばんそうこうを貼って……みたいなシーンから始まっていて、すごく印象的でした。
大森 実はあの現場には、カメラだけが置いてあって、スタッフが誰もいないんですよ。撮影方法を考えている段階で長谷川さんと打ち合わせをさせていただいて、そこで初めてお会いして、こういうビジョンで考えていますとお話ししたときの長谷川さんの答えが、もう100パーセントいけると確信を持てるものだったんです。正直、そこであの撮影方法は決まったようなものでした。もしビジョンにズレがあったら、この撮影方法を取る勇気は持てなかったと思います。演出は現場で逐一やらないと、自分たちが本当に思う成果にはつながりにくい。長谷川さんとビジョンを共有できたからこそ、それこそ余計な味つけをしないほうがいい、塩だけでいい、みたいな選択ができた。ちょっとダサい結びつけかもしれないですけど(笑)。
指を切られたときも、ばんそうこうの場所だけをお伝えして、実際にご自宅で切ってしまったときにどう対処するかを、そのまま撮らせていただいた。それを許してくださること自体、長谷川さんの懐の深さだと思いましたし、同じビジョンを共有できているからこそだと思っています。ショーアップされたかっこいい料理家、かっこいい料理を見せて、戯画化された会話をするというよりも、生活の延長としてのふたりの会話を見せたかった。指を切ったらばんそうこうを貼るのは当たり前だよね、という感覚を共有できていたことが、大きかったですね。
ポップと資本主義の違い

──大森さんの作品づくりの考え方と、長谷川さんの料理に対する向き合い方にはどんな共通点があると思われますか。
大森 長谷川さんは、料理をケア的な文脈で語られていますよね。一緒にPodcastをやらせてもらっている小説家の小川哲さんが、よく「これからはメンタル神経の時代だ」という話をするんです。
運動神経は、ボールがこう来たらバットをこうぶつければホームランが打てる、というのが体感的にわかる能力ですが、メンタル神経は、何かが起きたときに自分の心をどう動かすか、物事を自分の中でどう処理するかがうまくできる能力のことです。長谷川さんが料理をケアとして語っているのは、生活の一部としての料理を、メンタル神経をうまく働かせるための手段としてやっている、というふうに僕には見えていて。
自分で自分を労わること、自分で自分をケアすることを意識的にやることで、人は生きていけるんだ、という考え方が30代になった自分にすごく刺さったんです。妻から話を聞いて、そういうインタビューを読むようになって、この人は料理家というより思想家だ、と思ったんですよね。
長谷川 ああ、恐縮です……。
大森 そして長谷川さんは思想家でありながら、ポップアイコンとしての役割も自ら背負って邁進している方だということで。今の時代、誰かが背負ってくれないと、と思うことが多くて、長谷川さんは明確に「背負おうとしている人の目」をしていると、いつも感じます。
──テレビの世界も、料理の世界も、先人たちが築いてきた型があるなかで、おふたりともその型とは違うものを、それぞれの場所で模索されているように感じます。大森さんはテレビという、いわゆるオールドメディアの世界で見たことのないものを見せようとされているし、長谷川さんも、そもそも料理をすることが頭にない人にどう届けるか、をずっと悩まれてきた。
大森 そんなに深く考えているわけではないんです。普段テレビを観ない人たちを積極的にこちらに連れてこよう、というのはあまり考えたことがなくて。ただ、自分の気持ちに素直に作りたい、という気持ちだけは持っている。自分が本当にいいと思えるもの、おもしろいと思えるものを作ろうとした結果、既存のテレビっぽいフォーマットから外れたものがアウトプットされているだけかもしれません。それが結果的にテレビ以外のお客さんを呼べているのだとしたら、うれしいことですが。長谷川さんはどうですか、料理を意識されて作られているんですか。
長谷川 私はどちらかというと、作ろうという衝動の一番根っこにあるのは、怒りとかモヤモヤなのかな、と気になっていて。私はかなり、イラついたり不快に思ったりしたことがそのまま「これは嫌だ」というところから始まるタイプなんです。快・不快で言うと、不快のほうから始まる。
大森 僕も、自分が「よくない」と思っているものが世の中で広がっていることが多くて、そのバランスを変えたいのかもしれません。自分にとっていいものを、少しでも世の中に出したいという気持ちです。ただ、毎回「よし、世直しだ」と思って番組を作っているわけではなくて、なんとなく粛々とやり続けている感覚に近い。根底にあるのは、もしかしたら長谷川さんがおっしゃった「不快」のほうが強いかもしれませんね。僕がやってきたことは、そこまで超メジャーになるようなことはあまりなかったと思うので、結果的に、オルタナティブな選択肢をひとつでも増やしたい、という気持ちがあります。
長谷川 私は今、少し異常な状態だと自覚していて、SNSで「私の料理が合わない」と書いて肩身が狭そうにしている方を見かけることがあるんですが、まったく肩身が狭くなくていい、と思っています。私の料理は、良い意味でも悪い意味でもやや人を選ぶものが多いので。今の状況のほうがおかしいくらいで。
今回『たべるししゃべるし』で踊ることが決まったときも、いろいろ考えてしまったんですよ。「なんでこいつ踊ってるんだよ」と普通に思われるだろうな、と。ただ、テレビ東京さんだから、というのと、鎮西さんがいるから、というのが、実はかなり大きかったです。他局から万が一同じような話が来たとしても、踊らなかったかもしれません……。
──踊るまでにはそれなりの心の葛藤がありましたか。
長谷川 葛藤というほどではないですが、いろいろ考えたのは3秒くらいですね(笑)。料理じゃなくて踊るのかよ! 生活でもないじゃないか!みたいな気持ちもありつつ、でもエモさとテレビ東京ならいける、と思って。
大森 長谷川さんにはポップさもあるということを、僕は思っていて。ポップと言えばダンスだろう、と(笑)。
──ポップといえばダンス(笑)。ポップであり、大衆的でありながら、その中でトガり続けることの難しさについて、それこそQuick Japanの特集の中で長谷川さんはずっと考えてらっしゃいましたよね。
長谷川 私の場合、これはコミュニケーションの問題な気がしています。全員に受け入れられたいとはまったく思っていないですし、合わない人がいて当然だとも思う。ただ、料理は結局、生活そのものなんです。そして生活のことで人を傷つけたくない、という気持ちが強くあります。新しい世界観を打ち出したいと思っても、何かを否定することにはならないように、丁寧にコミュニケーションを図っていきたいなと。
それは本を作ったり雑誌に出たりと、総合的にどう露出していくかという話なので、クリエイティブというより、長谷川あかりという存在をどう使うか、を自分で調整しなければいけない部分が大きくなっています。レシピはレシピとして変えようがないし、おいしいと思う味や、そこに至るストーリーが変わらないことには自信があるんですが、それを「長谷川あかり」という媒体を通じて届けるときの出力の仕方は、意識してコントロールしないと、変な方向に行ってしまう怖さがあります。
大森 長谷川さんは、サブカル的なものが死んだ……Quick Japanさんの前でそんなこと言うのもなんなんですが……サブカルが死んだと言われる時代に活動されていますよね。サブカルがしょぼく見えてしまうのは、今の時代、数値の面も含めて「結局ほとんどの人が見ていない」という現実が透けて見えてしまうからだと思うんです。僕はそのこぢんまりと収まってしまう感じがすごく嫌で、でも一方で、とにかくマスに広がっていればいい、という「ダサさ」も許せない。自分がいいと思ったものを、譲れない美意識のラインを越えないまま、できる限り最大化したいという欲望があって。長谷川さんの活動には、その美意識をすごく感じるから、好きなんだと思います。絶対にショボくしない、行けるところまで行くんだという姿勢が。

長谷川 でも、わかります。活動の根っこにある意思・意図みたいなものを撒いておきながら、ちゃんとわかりやすく大衆的な動きもして、安っぽくは見えないようにする。やみくもに人気者になりたいわけではないので、本当は思想的な部分をもっと共有したい気持ちが大きいんですが、それをやりすぎると宗教的に見えてしまう。だからもう少しポップでもなければいけない。そのバランスは、なかなか難しいですね。でも意識を常にそこに持っておかないと、中途半端になったりミスったりしそうだな、という不安がずっとあります。
大森 僕自身、年齢を重ねるごとに、美意識が少しずつゆるくなっているんですよ。ちゃんとポップであることの比重が増えている。昔はもう美意識にがんじがらめで、あれもできない、これもできないと思っていました。たとえばバズるための施策みたいなものって昔の自分だったら絶対に許せなかったと思うんです。でも今は、それが広がった先で、僕たちが本当に作りたいと思っているものを見てもらうことにつながっているという価値を感じられるようになりました。長谷川さんは、そのバランスが変わってきた感覚はありますか。
長谷川 まだ始めたばかりなので、あまり変わっている感覚はないですが、料理自体が相当ポップなものなので、ある程度そこまで踏み込んでもいいのかな、とは思っています。
大森 キー局のお昼に放送されるようなめちゃめちゃポップな番組にガンガン出演するという選択肢もあるわけじゃないですか。
長谷川 たしかにそれは、今のところないですね、そこは相変わらず。家庭料理や生活にまつわる思想さえ共有できていれば、どんどんポップに広げていきたいのですが、ポップすぎるものに飲み込まれてください、というご依頼を受けるのは難しいのかなと。目指す方向の違う誰かの「俺のポップ」に染まってしまうことだけは違う、という一線は、はっきり持っています。あくまで、私のポップであること。そこだけは譲れません。
大森 ポップと資本主義は、混同されやすいと思うんです。資本主義に飲み込まれたポップさと、美意識を保つためのポップさは、まったく違うものなんですよね。でも自分もうっかりすると一瞬で資本主義の方に飲み込まれてしまう。そもそも資本主義を回すために生きているわけではない、という気持ちが、今の自分にはすごくあります。だから選挙に行こう、というくらいの気持ちに最近なっています。なんかそういう30代かもしれないですね。

『たべるししゃべるし』はTVer、U-NEXTなどで見逃し配信中

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