東日本大震災から10年。非当事者の関わり方を映画『二重のまち/交代地のうたを編む』から考え直す
2011年3月11日に発生した東日本大震災から10年。
2021年2月27日にポレポレ東中野、東京都写真美術館などで封切られる『二重のまち/交代地のうたを編む』は、震災後、岩手県陸前高田市を中心に東北で創作活動をつづけてきた小森はるかと瀬尾夏美によってつくられたドキュメンタリー映画だ。
被災地の風景の変化や人々の震災体験を記録しながら、同時に、震災の“非当事者”がかの災厄とどう向き合いながら生きていくことができるか、実験的な試みが映し出されている。
先日、福島県沖でまた大きな地震が発生したばかりだが、この契機に改めて、本作から私たちの東日本大震災との関わり方を考え直す機会を得たい。それはきっと、身の回りにある多くの“ディスコミュニケーション”に対処する手立てにもなるはずだ。
目次
被災者の体験を若い旅人が「語り直す」過程を追う
(高校の)入試の結果発表の前に、携帯を買ってもらうっていうことがあったんですけど。自分が本当に欲しい携帯の機種が、その震災の影響で入荷してこなくて。それがすごい、普通に「やだな」って思っちゃって。そのぐらいなんか、震災のときの自分の感覚はその程度で。
『二重のまち/交代地のうたを編む』は、2018年秋に岩手県陸前高田市を訪れた4人の若い旅人が、かさ上げ工事によってつくられた新しいまちの風景に2週間ほど身を置き、そこに住む人々の声に耳を澄ませ、その対話の記憶/想像された体験を自身の言葉で「語り直す」、そこまでの過程を追ったドキュメンタリー映画だ。
旅人4人のうちのあるひとりは、東日本大震災が発生した当時のことを上記のように振り返る。いわば、自分は震災の直接的な当事者ではなかったと、そう回顧するように。本作が丁寧に映し出そうとするのは、震災からの距離が空間的あるいは精神的に遠かった若い旅人が、「言葉」を用いた「聞く」「想像する」「語り直す」という行為の反復によって、被災者の記憶や体験を「受け継いでいく」様子である。2者間のコミュニケーションによって思い起こされる過去が、現在の暮らしや新しいまちの姿にいくらかの背景を与え、やがて未来へとつながる可能性の道筋を開いていく。
一人ひとりに固有の「震災体験」が混じり合っていく
被災地で震災を経験することのなかった者たちは、東日本大震災から10年が経過する今、かの災厄とどう向き合いながら生きていくことができるのだろうか。
この期間に、ボランティアなどで被災地を訪れた者もいれば、なかなか思いを巡らす機会がなかった者もいるだろう。一人ひとりに震災時の記憶があり、固有の震災との向き合い方があったはずだ。言うなればそれぞれに(重さや軽さという基準では測り得ない)「震災体験」があったのだと思うが、ひとまずは、「距離の遠さ」を感じてきた人のことを想像してみる。この記事を書いている筆者もまたそのひとりだった。
本作の旅人たちは、そうした者たちの目線を共有して被災地に立つ。震災後に初めて陸前高田を訪れ、まちの風景を眺め、人々の話を聞き、思いを巡らせていく。ほとんど追体験に近い感覚で、私たちはその姿をおそらく祈るように、あるいは前のめりになりながら見つめることになるだろう。
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