黒沢清が贈る2020年の“ハッピーエンド”。映画『スパイの妻』が提示する男女の普遍
第77回ベネチア国際映画祭で、黒沢清監督が銀獅子賞(監督賞)を受賞したことで話題を呼んでいる『スパイの妻<劇場版>』が2020年10月16日に封切られた。
物語の舞台は、1940年の神戸。蒼井優と高橋一生が扮する夫婦は、夫が抱えている大きな秘密と、抗うことができない時勢に飲み込まれていくのだが……。
ライターの相田冬二氏は、本作を「2020年に忽然と現れたハネムーン映画」であり、「実はシンプルに、男女の普遍を提示しているだけかもしれない」と評した。その真意とは――。
『スパイの妻』が公開されること、それは特殊化した世界への<ギフト>である
ハネムーン。
日本で、いっとき、好んで用いられた新婚旅行の別称だ。もはや古風な言い回しかもしれない。今の若い人は、もうこんな言い方はしないのではないだろうか。
黒沢清監督の『スパイの妻』は古風な映画である。
だからだろうか。最近ではあまり耳にしなくなったハネムーンという単語が浮かんだ。この監督の映画からハネムーンが連想されるなどとは、想像すらしたことがなかったから、これは未だ見ぬ世界の到来である。それが未来というヤツなのだろう、きっと。
2020年は特殊な年だ。日本だけのことではない。世界的に特殊な、地球規模で特殊な、歴史に残る特殊な年である。なぜかは、今さら言うまでもない。乳児以外、なぜ特殊かは理解している。ことによると、赤ちゃんだって、今年の、この特殊さは、なんとなく体感できているかもしれない。
まずは、黒沢清が、特殊な、極めて特殊なこの年に、こんなにも古風な映画を贈り届けてくれたことに感謝したい。もちろん製作は、世界が特殊化する以前に始まっている。だから、本来はなんの関係もない。だが、結果的に、2020年に『スパイの妻』が公開されることは、特殊化した世界への<ギフト>以外の何物でもない。
映画には、力がある。そのことを実感する。
『回路』(2001年)で。『叫』(2006年)で。『予兆 散歩する侵略者 劇場版』(2017年)で。『大いなる幻影』(1999年)で。黒沢清は何度も世界を破滅させてきた。だが、この映画作家は断言する。「私は、楽天的なのだ」と。「世界がどんな状況になろうとも、どうにか生き延びる人はいる。それを見つめている」と。私はインタビューで、直にその言葉を聴いた。
つまり、どんなに陰鬱とした画面であろうが、絵に描いたような希望がなかろうが、彼は一貫してハッピーエンドとしての映画を創りつづけている。
前作のタイトルは、そのことを証明しているだろう。『旅のおわり世界のはじまり』(2019年)。おわりははじまりとくっついている。はじまるのだ。何度でもはじまるのだ。何度でもはじめられるのだ。旅はおわっても世界ははじまる。世界をはじめられる。
ハッピーエンドは、エンドレスループ。
こうした理念を孕む黒沢清の2020年作品『スパイの妻』は、実に古風なハネムーン映画だった。
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