ライター・多根清史による考察『鬼滅の刃』シリーズ第2回のテーマは「修行」。派手なバトルよりも地道な修行が多く描かれる理由、さらに、修行が作品のエンタテインメント性の根幹となる作劇精神をロジカルに解く。
【関連】考察『鬼滅の刃』最終巻。すべての登場人物に愛が注がれたバトルに拍手、よくがんばった、無惨様!
『鬼滅の刃』における修行シーンの多さ
最近の少年漫画の中で『鬼滅の刃』がとりわけ異質なのは「修行がやたら多い」ということ。だいたいにおいてバトルがない、明けても暮れても鍛練をする修行編は読者人気が芳しくないというのが定説となっている。
それは同じジャンプ漫画の『ONE PIECE』でも麦わらの一味が離ればなれになったとき2年間の修行はあったけれど、触りだけを描いて残りは豪快にすっ飛ばしていたことからも推して知るべしだ。まぁ、ワンピは渡り歩く土地のエキセントリックさが魅力のひとつで、「同じ場所に留まって修行」はそう相性がよくないこともあるのだけれど。
さて『鬼滅の刃』の主人公・炭治郎の修行は、命を助けてくれた冨岡義勇に土下座して、自分の命を奪おうとした禰豆子の命乞いをしたところ「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」と義勇に言われたことから始まったと言っていい。弱者にはなんの権利も選択肢もない、ことごとく力で強者にねじ伏せられるのみ……。そう言いつつ、鬼殺隊の入隊希望者を鍛える“育手”鱗滝左近次を紹介したのが義勇の優しさ(その意図を説明しないコミュ下手でもある)。
炭治郎と鱗滝とのファーストコンタクトは、「妹が人を喰った時お前はどうする」と聞かれ、答えに詰まった炭治郎に対して「判断が遅い」と張り手一発。ファンの間でも語り草の、一見して理不尽なやりとりだ。が、鬼になった妹を連れ歩くことは、そういう判断を迫られる瞬間が来るかもしれない可能性を孕んでいる。心構えから修行に入るイニシエーションと言えるだろう。
が、まだ修行もしてないド素人の炭治郎を狭霧山に連れて行き、夜明けまでに山の麓まで降りてこいと言い放つ鱗滝。山は空気が薄い上に落とし穴やら投石機やらトラップだらけで、修行に入る前に死にそう。それでも持ち前の鋭い嗅覚で人の手で仕かけられたワナのかすかな匂いを嗅ぎ取り、どうにか避けるのがかろうじて「主人公補正」となっている。
それでも「だからって突然それを全部回避できるほど 急に身体能力が高くなったりはしないけど!!」と炭治郎に言わせるのが、鬼滅を鬼滅たらしめている本質だろう。普通の人間がなんの裏づけもなく突然強くなったりもしないし、覚醒するのも「それまで磨き上げてきた力と技」を本来のポテンシャルで使えるようになるだけだ。
努力をした人には、したぶんだけ報いる、してない努力には何も報いない「努力の等価交換」は、根拠のない超常の力を持てる鬼とは違う人間賛歌であり、本作に一貫している動かし難いルールなのだ。
最初の修行期間はなんと2年
狭霧山での最初の修行期間はざっと2年。ほとんど1巻の半分を費やしている修行は稀であり、よくぞ担当編集者も許したものだと思う。しかし改めて読み返してみてもまったくダレず、濃密な読み応えや緩急の巧みなつけ方には驚くばかりだ。
刀の素振りや受け身を取らせる「転がし祭り」、呼吸法や「型」の習得に1年。「もう教えることはない」と言い渡されて旅立ちかと思いきや、鱗滝が課した最終選別に行く条件とは「岩を斬れ」。炭治郎が、岩って斬るものだっけ?と呆然とするのは当然のこと。刀を折るな、折ったら骨を折ると言われてるのに?である。ここで呼吸法やら型やら、あらゆる手を試し尽くして半年が経過。それでも岩が斬れない、ワニ先生(作者・吾峠呼世晴の愛称)こそ鬼だ……。
そして1年半の時点で転機が訪れる。狐面の少年・錆兎と優しき少女・真菰だ。錆兎が木刀で炭治郎に稽古をつけて叩きのめし、真菰が悪いところを指摘して無駄な動きや癖がついているのを直してくれる。実技担当と指導担当、理想的な教え方だ。「お前は何も身につけてない 何も自分のものにしていない」と言い、鱗滝が教えてくれたすべてを知識から血肉に、骨の髄まで叩き込んでくれたのだ。
「とにかく死ぬほど鍛える」は昔のスポ根(スポーツ根性)漫画からあった伝統。ことバトル漫画では人が人のまま化け物を超える無茶をまかり通らせるには今なおアリな方法論だが、『鬼滅』の修行はそこにコミュニケーションと「学び」を持ち込んでいることが魅力だ。
初心者がたったひとりで練習しては欠点には気づきにくい、だから客観的に見てくれる他者の協力が欠かせない。炭治郎の「長男力」(考察『鬼滅の刃』其ノ壱「炭治郎の長男力」参照)が時代錯誤のような印象を与えることもある本作だが、実はすこぶる現代的なコーチングの考えに基づいていたりする。
1年半+半年+錆兎らとの半年=2年を費やして、ついに岩を両断した炭治郎を温かく迎える鱗滝。お前を最終選別に行かせるつもりはなかった、お前にあの岩は斬れないと思っていたのに……いや無茶ぶりだとわかってたのか! 多くの子供が死ぬのを見てきた鱗滝にとっては、できっこない岩斬りの修行は(わかりにくい)愛情表現だったのだ。
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