考察『鬼滅の刃』修行こそがバトル。してない努力には何も報いない「努力の等価交換」は人間讃歌だ



修行は「ロジカルな異能バトル」の裏づけ

2年にもわたる修行期間は炭治郎の基礎体力ばかりか、しっかりと物語の骨子を強化している。ひとつは、主人公が戦いの中でロジカルに考え、急成長していく力だ。『鬼滅』も剣士らが特殊な呼吸法から引き出した力と鬼達の血鬼術(超能力)とのぶつかり合い、つまり異能バトルの一種だから、たまたま運よく、あるいは根性で勝ちましたでは成立しない。

炭治郎は猪突猛進の正反対で、とにかくよく考える子だ。そのよい例が、鼓屋敷の主・響凱との戦い(3巻)。身体に埋め込まれた鼓を打つことで部屋の上下左右を回転させたり爪状の斬撃を飛ばしたり、空間感覚を狂わせてくる。要はパズルゲームをしながら3Dアクションするようなややこしさで、バカには勝てない相手だ。

前の戦いで骨折していた炭治郎だったが、あることがヒントでケガが痛まない体の動かし方を学び取る。呼吸は浅く速く、その呼吸で骨折している足まわりの筋肉を強化する……と自分自身をコーチングできたのも、岩斬り修行での「できていないことを言葉で指摘される」体験のたまものだろう。少しメタな話をすると、「鬼滅」は戦いの説明がかなりロジカルで、だからこそ勝利がご都合主義の対極にあって説得力ハンパないのだ。

『鬼滅の刃』<3巻>吾峠呼世晴/集英社

禰豆子が生き延びる伏線は「2年の修行」にあった

もうひとつの「2年の修行」の成果は、柱合会議──鬼殺隊の最高位にある柱たちが集まる、つまり全員が鬼を殺したくてしょうがない地獄みたいな場で、鬼となった禰豆子が見逃される理由のひとつになったことだ。炭治郎が修行をしていた2年間、禰豆子は眠りにつき、飢餓状態にあっても人を喰わなかった……。長過ぎる修行はその伏線でもあったのか!と唸らされたものだ。

最後の大がかりな修行経験は、その後の蝶屋敷での機能回復訓練だ。蜘蛛山での戦いで大ケガを負った炭治郎たちのリハビリを兼ねているのだが、そこは人にも鬼にも厳しい鬼殺隊だけに容赦ない。柔軟すぎる伊之助でさえ悲鳴を上げる柔軟運動(足四の地固め含む)、超絶な眼力を持っているカナヲとの薬湯のかけ合いによる反射訓練、そして身の丈ほどもあるヒョウタンを肺活量で破裂させる相手との鬼ごっこ。

栗花落カナヲの師匠、鬼軍曹・胡蝶しのぶ『鬼滅の刃』<6巻>吾峠呼世晴/集英社
栗花落カナヲの師匠、鬼軍曹・胡蝶しのぶ『鬼滅の刃』<6巻>吾峠呼世晴/集英社

まさに心を折るための地獄。となるはずが、なぜか三人娘に慕われるわカナヲを無自覚に口説き落とすわとギャルゲー状態の炭治郎だった。やはり修行とは人と人とのコミュニケーションであり、出会いの場……ということは伊之助や善逸にはからっきしなかったので、やはり長男力強し!と前回(考察『鬼滅の刃』其ノ壱「炭治郎の長男力」)の話に戻るのだった。


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多根清史著書

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多根清史

(たね・きよし)1967年、大阪市生まれ。京都大学法学部修士課程卒。著書に『ガンダムと日本人』『教養としてのゲーム史』、共著に『超クソゲー2』『超ファミコン』など。ゲームやアニメ、マンガからスマートフォンまで手がける雑食系ライター。

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