キャスティングからも読み取れるフェアネスへの意識

性の問題は性“単体の”問題として完結することばかりではない。この作品でも、ルックスのコンプレックス、将来への不安、機能不全家庭といった性の外部の困りごとが性の枠組みの中でディスオーダーとして発露しているケースが多く描かれる。
第2シーズンではより家庭環境、薬物問題、自傷といった性と直接関わりのない、ただし密接に関わりうる諸問題にフォーカスしていく。
水泳部のエースであるジャクソンは、水泳に自身の将来が左右される不安に苛まれ、同時に裕福で理想的な家庭というパブリックイメージながら問題を抱えている自身の家族にも向き合っていく。
キャンピングにおいてリーダーシップを発揮することで父親としての面目躍如を図った主人公の父が、伝統的に男性性とされるような規範に準拠できない弱さを露呈することで「男らしさ」というものについて深く掘り下げるエピソードは、現代の男性たちにとって重要な教育的価値を持つだろう。

また、制作の面でもこうしたソーシャルイシューに対するフェアネスを感じる姿勢は貫かれており、車椅子に乗った青年アイザック役には、実際車椅子で生活している俳優を起用している。近年ハリウッドを中心として、白人である必要性のない役に白人俳優を起用する「ホワイトウォッシング」が問題視されており、日本で言えば特定のグループのアイドルが映画や舞台の主要キャストを占めてしまう現象が散見され、さまざまなキャスティングにまつわる機会不均等が表出している。こうした現代にあって、車椅子に乗った役に車椅子で生活している俳優を起用するという極めて妥当な、それでいてあまり決断されないフェアなキャスティングを行ったことは、強いメッセージを帯びるものだ。

日本でも古くは手塚治虫の『ふしぎなメルモ』、小学館の学年誌で掲載された『ないしょのつぼみ』など、性教育をテーマとしたエンタメ作品は存在し、共に映像化に至ったという点で一定の成功を収めていると言える。リテラシーの面で諸外国に大きく水を開けられていると感じられる部分が多い現状だが、こんな今に即していつつ『セックス・エデュケーション』のような強度を持つコンテンツが本邦からも現れることを期待したい。
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