【『Roots of 電気グルーヴ ~俺っちの音故郷~(仮)』#4:Depeche Mode】観るなら絶対ベルリンがいい


フレッチへのインタビュー

石野 で、これを観に行って、俺、このときにカセットテープでコンサートを隠し録りしてたの。それは未だにあるんだけど、俺はそのテープがあんまり聴けないのよ。

 なんで?

石野 なんでかって言うと、俺がすげえ声を発してて恥ずかしいから(笑)。

 あ〜! うれしくて、はしゃいじゃってて。

石野 そうそう。デペッシュ・モードどころじゃないんだよ。あと、でたらめ英語で一緒に歌ってるとか。そっちが気になっちゃってさ。で、83年に初来日して、85年、86年、88年ってね──。

 来てるね、このころ。

石野 あと、90年も来てるんだ。高校生のときに東京まで来て観たのが、パブリック・イメージ・リミテッド(※17)とニュー・オーダーとデペッシュ・モードっていう、その3つなんだよね。

で、次に俺がデペッシュ・モードを観たのが、90年の「World Violation Tour」(※18)の、9月11日の日本武道館。それまでの間にも2回来てるんだけど、なんで行ってなかったのかなと思ったら、上京したてとかでそれどころじゃなかったんだよ。お金もなかったし。

 あ〜。そうね。88年とか、人生(※19)のころだもんな。

石野 90年のとき、すごいのはさ、福岡とか石川・金沢とか名古屋とかでやってるんだよね。今じゃ考えられないよね。最終日が、9月12日の日本武道館。これ、実は加藤賢崇さん(※20)と観に行ったのよ。

 変わったふたりだなあ。

石野 しかも、賢崇さんから連絡があって。『宝島』──今はちょっと雑誌のカラーが変わっちゃったけど、当時はまだ音楽系のページがけっこう多くて。で、賢崇さんが「卓球、デペッシュ・モード好きだったよね? 実は僕、『宝島』でコンサートレビューを書くんだけど、メンバーのアンディ・フレッチャー──通称フレッチね──にインタビューもするんだけど」って言うの。でも、賢崇さんはデペッシュ・モードをまったく知らないからって(笑)。それで「卓球は好きで詳しいだろうから、一緒に来てくれないか」って誘われて、行ったの。

 なるほど。サポート役として。

石野 そう。だから実はこのとき、フレッチにインタビューしたんだよね(笑)。

 (笑)。どうだった、フレッチ?

石野 彼らもニューオーダー同様、フロントマンっていうのはあんまりインタビューとかに出てこなくって。で、フレッチっていうのは、メンバーなんだけど、マネージャーもやってるのよ。マネージャーがステージにいるっていう(笑)。初期の人生でいうと、瀧の「客がステージにいる」っていう──。

 「触れ込み」じゃないけど(笑)。

石野 「なんと、あのバンドは客がステージにいる!」って(笑)。その「客」、一緒に移動もしてんでしょ、客じゃねーじゃん(笑)。

 一緒のホテルに泊まって(笑)。

石野 でも、「客」っていうのが売りだから、そこをキープしなきゃいけないわけじゃん(笑)。泊まるとこも違ったり……(笑)。

 「客」だから、一線は引かなきゃって(笑)。

石野 (爆笑して)腹いてえ(笑)。

 すみませんね。たまに、こういうツボのときがあるんですよ。

石野 (涙を流しながら)すっごいツボった。おもしれえ(笑)。メンバーなのに客っていうさ(笑)。客が(ステージに)上がっちゃったんじゃなくて、メンバーなのに客。あっははははは(大爆笑)。

 客扱いだから弁当も一番最後に取る、みたいな。

石野 楽屋も入れなくて、ギャラも出ないんでしょ。あっはははは(笑)。チケットを買って(笑)。(引きつった声で)腹いてえ(笑)。

 「じゃあ、次のところ先行ってるわ」っつって。

石野 マネージャーとかに「下がって!」って言われて(笑)。

 でも、ステージに出て(笑)。

石野 「今だ!」って感じで。しかも、それがそのバンドの売りなんでしょ(笑)。久しぶりに、横隔膜にきた(笑)。……今、説明する前に、俺の頭の中で想像が先走っちゃって。

 皆さんには、ちょっと伝わってないかもしれない(笑)。

石野 ……で、フレッチはスポークスマンなわけ。実は、ステージでもコーラスをやったりとか、たまにパーカッションを叩くとかっていう──。

 落ち着いてる人(笑)。

石野 そうそうそう、落ち着いた瀧っていうか(笑)。こっち(瀧)は「落ち着かないフレッチ」っていう(笑)。

 (インタビューで)どんな話したの?

石野 あんまりよく覚えてないんだけど、そのときの印象としては、「マーティン・ゴアとか、ボーカルのデヴィッド・ガーンがよかったなあ」と思ってたよ。

 そうなるよな。用があるのはそっちだもんな(笑)。

石野 そこはやっぱ、ニュー・オーダーとは違うっていうかさ(笑)。それが90年なのね。で、最後にデペッシュ・モードが日本に来たのが、この90年なのよ。

 そうなんだ!? もう30年、来てない!

石野 こっからは、もう「デペッシュ詣」に行くしかない。……「もうプロ野球は……断念するしかないッ……ウウッ!」(※21)。これは、『(プロレス)スーパースター列伝』(※22)。ジャイアント馬場が風呂場で転んだときに──。

 つるーん、がしゃーんってなった瞬間、傷を見て「もうプロ野球は……断念するしかないッ……ウウッ!」。

石野 俺、この前、ウィキペディアでジャイアント馬場(の記事)を見てたんだけど、風呂場で転んだときって、大洋(ホエールズ)の選手だったって知ってた? 巨人じゃなかった。巨人から大洋に移籍して、すぐそうなったの。これ、どうでもいいでしょ。

 あっ、そうなんだ。どうでもいいけど、大事な情報ですよ。

石野 食いつきよかったもんね。それ(ウィキペディアを)見たら、馬場のケガって右腕で、ピッチャーとしてはけっこう致命傷で指先がちょっと麻痺して、みたいな感じだったらしいんだけど、のちに全快したって書いてあった。断念したけど、全快はしたっていう(笑)。

 G馬場の話。……なんでG馬場の話になったんだっけ? 「デペッシュ詣」になったって話だ。国内は断念して──。

石野 「これはもう国内は断念するしかないッ……ウウッ!」って(笑)。

 なんでまたそこに戻るんだよ(笑)。

※17 パブリック・イメージ・リミテッド:1978年、セックス・ピストルズを脱退したジョン・ライドンがイギリス・ロンドンで結成したポストパンクバンド。通称「PiL」。1992年に活動休止後、2009年に活動再開。石野卓球は1983年の初来日公演を観ている(『音楽ナタリー』「『WIRE13』オーガナイザー石野卓球インタビュー」参照)。また、同年に「Low Life」のカバーを制作している(https://twitter.com/TakkyuIshino/status/694764577108590593)。

※18 ワールド・ヴァイオレーション・ツアー(World Violation Tour):1990年に開催された、アルバム『Violator』のリリースに伴うツアー。全88公演。日本での公演は、9月4日に福岡市民会館、9月6日に兵庫・神戸ワールド記念ホール、9月8日に石川厚生年金会館、9月9日に愛知・名古屋市公会堂、9月11、12日に東京・日本武道館にて。

※19 人生(ZIN-SÄY!):1985年に結成された電気グルーヴの前進バンド。1989年に解散。

※20 加藤賢崇:1962年、広島生まれの俳優、声優、ミュージシャン、漫画家。1982年に岸野雄一らとバンド、東京タワーズを結成。1990年ころに砂原良徳らとディーヴォのコピーバンド、ディーポで活動。テレビや映画に多数出演。

※21 も……もうプロ野球は……断念するしかないッ……ウウッ!:下記、『プロレススーパースター列伝』におけるジャイアント馬場のセリフ。

※22 プロレススーパースター列伝:原作・梶原一騎、画・原田久仁信による、実在のプロレスラーを題材にしたマンガ。1980~1983年まで『週刊少年サンデー』で連載された。

デペッシュ詣

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