素肌の表現が感じ取れる『アジアの天使』
しかしながら、塚本晋也監督の異形の時代劇『斬、』での主演以後、彼のフィルモグラフィは、これまでのような技術のパースペクティブや、着実で確実な凄腕職人の仕事ぶりからは把握できなくなっている。
精密さは変わっていない。私たちの脳を振り向かせる吸引力にはやはり魔が存在している。だが、もっと、大鉈を振るうようになった。野球で言うところの「振りかぶって」という実況中継的表現が相応しいように思うが、大上段から叩き下ろす、鉈の刃の大胆さが、今の池松壮亮にはある。
これまで幾度もコラボしてきた石井裕也監督との新作だからなのか、『アジアの天使』には、この演じ手の秘密さえも開陳しているかのような、無防備なまでの、素肌の表現が感じ取れる。
妻を失い、息子と共に、兄を頼って韓国に渡った男が、彼の地で、3人の兄妹と出逢い、ボーダレスな家族の時間を共有する。
物語の中心部にあるのは、池松扮する主人公の、元アイドルで売れないソロシンガーとなった韓国人女性への想いである。ハングルを解さない日本人と、日本語がわからない韓国人は、出逢いの瞬間からディスコミュニケーションを生きるしかない。
だが、この言語的すれ違いが、いかに男女を心の領域で結びつけるか。ほとんど理屈を超えたこの摂理を、池松は、なす術もなく漏れ出ていく笑みのグラデーションによって、ざっくりと体現する。
ふたりが再会するとき、女はいつも泣いている。このドラマツルギーに根差したゲームの規則さえ無効化するかのような大雑把な振る舞いから、池松は笑う。ただ、笑う。
彼は小説家である。本来、武器は言葉だ。しかし、相手の言語が理解できないことから、その武器は半ば放棄せざるを得ない。だが、だからこそ、彼はボディランゲージならぬ表情ランゲージによって、あくまでも日本語を話しつづけ、彼女とコンタクトを取ろうとする。
涙ぐましい努力と言うよりは、無謀なまでに可能性に賭ける胆力によって、その表情は、映画を観る者の瞳を釘づけにする。彼の、破格の眼差しのありようは、嵐を巻き起こす。なぜなら、主人公の視線はすでに、このシチュエーションを乗り越えているからである。
両者の意思と意志が完全に疎通することはない。しかし、それらは、あるとき、確かに触れ合うのだ。
弟の顔。父の顔。作家の顔。子の顔。夫の顔。日本人の顔。アウェイの顔。男の顔。いくつもの顔を混在させ、そのどれもが本当でありながら、そのどれでもない顔を、彼は、意中の女の前で、見せている。
めくるめく渦の先に、一瞬の静止がある。
泣いているような、笑っているような、真剣であるような、安堵しているような、多くのことを考えているような、何も考えていないような、そんな眼球の停止。
止まることが、もっとも、人の心を動かすことを、今の池松壮亮は知っている。
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映画『アジアの天使』
2021年7月2日(金)テアトル新宿ほか全国公開
脚本・監督:石井裕也
出演:池松壮亮、チェ・ヒソ、オダギリジョー、キム・ミンジェ、キム・イェウン、佐藤凌
配給・宣伝:クロックワークス
(c)2021 The Asian Angel Film Partners関連リンク
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