子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を、匿名で赤裸々に独白してもらうルポルタージュ連載「ぼくたち、親になる」。聞き手は、離婚男性の匿名インタビュー集『ぼくたちの離婚』(角川新書)の著者であり、自身にも2歳の子供がいる稲田豊史氏。
第6回は、43歳で第一子を授かった映画ライターの男性。若いころから子供を欲しいと思ったことがなかった彼が、40代になり、子供を作った理由とは。
都内在住の立浪吉信さん(仮名/49歳)は大学卒業後、編集プロダクション勤務を経て30歳でライターとして独立。現在は映画や音楽の分野を中心とした執筆活動を行っている。40歳のとき、8歳年下で同じくライターの女性と結婚し、43歳で男の子を授かった。
立浪さんは東京生まれ、東京育ちの団塊ジュニア。幼いころはファミコンや『週刊少年ジャンプ』や『コロコロコミック』に没頭し、学生時代は映画に傾倒してレンタルビデオショップに入り浸り。映画誌や音楽誌を読み漁る典型的なサブカル男子として青春時代を送った。
そんな立浪さんは若いころから、そして結婚当初ですら、子供を欲しいとはまったく思っていなかったという。変心の理由を聞くと、言葉がどっとあふれ出した。同世代である筆者に向けて、まるでクラスメートのごとく親近感たっぷりに──。
※以下、立浪さんの語り
子供時代は憂鬱だった
俺らの世代ってやたら人口多いじゃないですか。しかも、今みたいに子供の個人主義とか個性なんて一切尊重しない集団主義、マスの世界だったでしょ。集団になじむ子が「いい子」。
俺は全然やる気ない子だったから、よく先生にぶっ叩かれたし、クラスの奴らにも「立浪、いつもやる気ねえな」ってよく言われてました。でも、「やる気出して、いい高校出ていい大学出て、なんかいいことあんのかよ、バーカ」って、いつも思ってましたよ。
要は子供時代がね、すごくつまんなかったんです。だから子供なんて全然欲しいと思わなかった。俺みたいなのを再生産するだけだから。
いやね、子供向けのホビーは当時めちゃくちゃ充実してたし、そういう意味では毎日おもしろかったですよ。だけど、根本的なところではつまんなかった。つまんなかったというより、つらかった、かな?
今は見えなくなってるだけかもしれないけど、昔は小学校のクラスに、むちゃくちゃ不潔な子や信じられないほどバカな子、目に見えて貧乏な子がけっこういたじゃないですか。親が宗教活動どっぷりで子供が巻き込まれてる家もあったし、親が極左の子もいた。それを多様性って呼ぶのは簡単だけど、俺はけっこう、憂鬱でしたね。
みんなが言うほど子供時代が楽しくなかった。いじめも多かったし、先生は高圧的だし。早く社会に出て働きてえなあって、そればっか考えてました。
今の少子化の原因は俺ら世代が子供を作らなかったからですけど、シンプルに子供時代がつまんなかった、つらかった。だから子作りに前向きになれないって人も、わりといるんじゃないですかね。
「できないとわかると、作っといたほうがいい」
そういうこともあり、同業者の妻に出会って結婚はしたいと思ったけど、子供を作る気はまったくなかったです。妻も同じでした。俺も妻もフリーランスのライターですから、そもそも経済的余裕はないし。子供、金かかるでしょ。
子供に老後の面倒を見てもらいたいなんてことも、一切思ってませんでした。俺は長男ですけど、親から立浪家を残せとは言われてなかったし、俺自身も残す気はまったくなかったです。残すような家柄でもないしね。
だけど、40で結婚して少し経ったら、突然欲しくなってきたんですよ。子供が。
ひとつは、年を取ったから。精子は40歳を過ぎると劣化が早まるって話が、急に頭をもたげてきたんです。親の加齢とともに、疾患や障がいをもった子供が生まれる可能性も高まるし、そもそも子供自体、できにくくなる。妻は妻で高齢出産の年齢が迫ってきていましたし。
そうなるとね、欲しくなるんですよ。不思議なもので、できないとわかると、作っといたほうがいいなって。
もちろん、俺と妻のふたりがかけ合わせられた人間を見てみたい、月並みな言葉で言えば、ふたりの「結晶」ってどんなんだろうという興味はありましたけど。
ただ、もっと根本的な理由がありました。俺の天井が見えた、ってことです。
キャリアの天井が見えた
仕事が乗りに乗ってるから子供を作る余裕はないし、育児にリソースを割きたくない、キャリアを中断させたくないって人、いるじゃないですか。男も女も。それはよくわかります。俺も映画を観まくって、音楽を聴きまくって、それで原稿書いて飯食ってきた身なんで。
30代前半までは、まだそういう気持ちが強かったと思います。仕事でやりたいこともいっぱいあったから、もし結婚して子供ができたら、子供に時間取られたくねえな、子供に足引っ張られたくねえなって。
でも、ふと自問したんですよ。お前、そんなにまでしてやりたいことあんの? お前のキャリア、こっからどう伸びるんだ?って。
どう考えたって、てめえの天井、見えてるだろって。
だったら、子供作るのもいいなって。
それまでのライター人生で燃え盛っていた情熱みたいなものが、明らかに冷めつつあるなって自覚したんですよ。昔は少しでも時間があれば、仕事になる・ならない関係なく映画を観に行っていたし、好きなアーティスト追っかけて海外のライブにも行った。伝説と呼ばれるミュージシャンのコンサートなんかも、クソ高いチケット代払ってよく行きましたよ。
だけど、そういうことに対する興味が急速に落ち始めたんです。40歳過ぎくらいで。如実に表れたのが読書です。本も昔はよく読んでたし、今も知的好奇心がなくはないんだけど、“積ん読”が一向に減らない。
「育児に時間が取られてしまい、仕事のためのインプットの時間が減って困る」みたいな、ほかの人が言ってるような感覚が、40過ぎくらいから急速になくなっていったんです。育児が仕事の邪魔になっても、別に全然構わないなって。
そうそう、出産前後は妻が仕事を休んでくれたんですけど、あるとき仕事用の試写に出かけようとしたら、妻に苦言を呈されたんですよ。「なんか、私だけきつくない?」って。
そのときはイラッとしたけど、あとで考え直しました。俺、そこまでして試写に行く必要なくないか?って。
「映画、もういいや」って。吹っ切れたんですよ、何か。
「誰でもできる仕事」ばかり受けている
映画という分野でいうと、今、世間で一番求められてるのって、話題の作品をいち早く観て、そのエッセンスをわかりやすく、おもしろく伝えられる人じゃないですか。
でも、そういうふうに噛み砕いておもしろい語りに仕立てる頭のよさが俺にはないから。ちょっともう、そっちはいいかなって。
そういうふうに語れる人は、少数いればいいんですよ。町山智浩さんとかね。それ以外は、映画なんてX(旧Twitter)で語り合ってりゃそれでいい。……いや、ほんとはそんなことないんだけどさ。一般の人がシンプルに「ここがおもしろかったです」って語ってれば、今は事足りる時代ですから。俺みたいな無名ライターの出番はないんです。
正直もう、映画ライターという職業にあまり思い入れというか、向上心みたいなものがなくなりました。試写状は来るし試写にも行かせてもらってますけど、消化試合みたいな感じ。ほんと、申し訳ないんですけど。
もともと映画界隈でものを書いてきたけど、映画ジャーナリズムというか、あの界隈の面倒臭さみたいなものが、昔からどうも嫌いで。
スノッブな雰囲気ってあるじゃないですか。観た本数とか知識をひけらかす感じ。数を観てない人を見下す感じ。何をどう書いても、「あ、それはそうじゃないと思いますよ」って言ってくる。ネット上の警察ね。知らねえよ、うるせえなと(笑)。
そういうのがいい加減バカバカしくなってきた時期と重なったんでしょうね、40過ぎってのが。ちょうどいいタイミングだった。
だから自然と、誰がやってもいいような仕事を淡々とこなすようになっていきました。署名原稿ではなく無署名のね。こういうこと言っちゃなんだけど、誰でもできる仕事ばっか受けるようになりました。楽っちゃ楽ですよ。出来なんてどうでもいいし。
安定という名の定年
俺、もうすぐ50ですけど、キャリアってなんだろうと思うわけですよ。稲田さん(注:インタビュアー)は本とか出してるからいいけど、俺はそういうのないし。
ただ、ライターとして名が立ってはいないけど、住まいもあるし、妻も子供もいる。儲かっちゃいないけど、いい人に囲まれてはいる。仕事もプライベートもね。幸せですよ。
この先は、ゆっくり消化試合みたいにキャリアが終わっていくんだろうなって思います。体力の限界とともに、いずれ「今までありがとうございました」って言うんだろうな。今までお世話になった人たちに。
もちろん、年取ってもやれる人はやれるし、向上していく人はしていくんだろうけど。でも確実にあると思うんですよ。サラリーマンではない個人事業主でも、安定という名の定年が。
「天井が見えた」って言い方、いかにもお先真っ暗みたいに聞こえるでしょうけど、俺の場合、天井が見えて初めて、人生に子供を持つだけの心の余裕が生じたってことなのかもしれないです。
それが40過ぎで突如訪れた。不幸にも、ではなく、運よくね。ま、金は全然ないんだけど(笑)。
43の遅い子供でよかったと思ってます。もし20代で子供なんてできてたら、絶対■してますよ。だって、シャレになんないでしょ。家にあんなうるさいのがいたら。一瞬たりとも目が離せないし、家はすぐ散らかるし、イライラするし。
俺、どう考えても人より10年は人間的成熟が遅いんで、20代だったら無理でした。43くらいがちょうどよかったんですよ、子供を持つのは。
「衰え」と「諦め」
※以下、聞き手・稲田氏の取材後所感
「達者な自虐芸」。立浪さんの語りをひと言でいうと、そうなる。
誤解してほしくないが、立浪さんはちゃんとしたライターである。知識量や批評眼は申し分なく、原稿に反映されるかどうかは別として、皮肉やユーモアの切れ味も鋭い。
厭世的でアナーキーな語りとは裏腹に、生活はとても安定しているし、身なりにも気を遣っている。なにより、我が子を溺愛してやまないよき父親だ。
立浪さんは、キャリアの「天井が見えた」から子供を持てたと自覚していた。逆にいえば、もし天井知らずで自己研鑽を続けているようなライターだったら、子供は持てなかった(持つ精神的余裕が生まれなかった)ことになる。彼の理屈では。
彼は「先端を追求し続ける職業ライター」から降り、あるいは見切りをつけ、彼がいうところの「安定という名の定年」を選び取って、子供を持つ人生に移行した。無論、そこにいいも悪いもない。
ただ、引っかかる。仕事上の向上心と子供を持つことは、ある種の職業にとって、それほどまでに両立し得ないものなのだろうか? 職業上の「衰え」や「諦め」とセットでなければ、清々しい気持ちで子育てに身を投じることはできないのだろうか? 精神的に「あがった」人でなければ、穏やかな気持ちで子供は持つことは望めないのだろうか?
この社会で「子供は富裕層の贅沢品」などとささやかれ始めたのは、いつごろからだったろう。現代の日本では、あらゆる意味で「余裕」がなければ子供を育てることはできないのだろうか。本当に?
【連載「ぼくたち、親になる」】
子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を匿名で赤裸々に語ってもらう、独白形式のルポルタージュ。どんな語りも遮らず、価値判断を排し、傾聴に徹し、男親たちの言葉にとことん向き合うことでそのメンタリティを掘り下げ、分断の本質を探る。ここで明かされる「ものすごい本音」の数々は、けっして特別で極端な声ではない(かもしれない)。
本連載を通して描きたいこと:この匿名取材の果てには、何が待っているのか?
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