11月30日、ジャーナリストの伊藤詩織さんに対する中傷ツイート投稿、リツイートに対する訴訟に、東京地裁は賠償金の支払いの命を下した。その額に「たったそれっぽっち?」と唖然とした書評家・豊崎由美は、アルベール・コーエンの自伝エッセイに登場する〈心に生えている犬歯〉で差別感情をあらわにする輩が、 現代のネット上に跋扈していることに憤る。繰り返されるヘイトを止める手立てはないものだろうか。
10歳の少年をかばってくれる人はひとりもいなかった
1905年8月16日、10回目の誕生日を迎えたアルベール・コーエン少年は、夏休み補習授業を受けた帰り道、万能染み抜き剤を売らんと声を上げている香具師に魅了されます。
〈おお、彼はなんと上手にしゃべるのだろう、私は彼にすっかり夢中になってしまった。生まれ故郷のギリシアの島から五歳でここフランスにやって来て、まだろくすっぽフランス語を話せなかった小さな異邦人の耳に、フランス語というすばらしい言葉はどんなに快く響いたことだろう〉
アルベール少年は誕生日プレゼントでもらった3フランの半分を使って、スティック状の染み抜き剤を買おうとします。ところが──。
〈おい、お前、ユダ公だろうが、え?〉
〈お前は汚いユダ公だろう、なあ、そうだろう、え? お前の面見りゃ、こちとらにはわかるんだよ、お前豚は食わないよな、え? 豚は共食いはしないからな(後略)〉
香具師の男は、世間に流布されている酷いユダヤ人イメージを立て板に水の勢いで並べたてた挙げ句、
〈お前どっかに行っちまえよ、もうたくさんなんだよお前なんか、お前は自分の国に住んでるんじゃないぞ、ここはお前の国じゃねえんだよ、ここは俺たちの国だ、このフランスにゃお前にやってもらうこたあ、一つもないのさ、さっさとうせろ、外へ出てちょっとエルサレムへでも行ってこいや〉
と言い放ち、周囲の大人たちは香具師の言葉に笑って賛同するばかりで、たった10歳の少年をかばってくれる人はひとりもいなかったんです。
これは、第二次世界大戦時には各国亡命政府とナチスから逃れたユダヤ人との協力関係樹立に重要な役割を果たした、スイス国籍の作家アルベール・コーエン(1895~1981)の自伝エッセイ『おお、あなた方人間、兄弟たちよ』(国書刊行会)からの抜粋です。
今ではこの香具師の男のように面と向かってヘイトの言説を放つ不届き者は減っているかもしれませんが、ネット上には〈心に生えている犬歯〉をむき出しにする輩が跋扈しているのはご承知のとおり。しかも、罵詈雑言や揶揄や憎悪の対象になっているのは人種だけではありません。
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